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2012.01.12 (木)

激動のアジア情勢、危うい野田外交 櫻井よしこ

激動のアジア情勢、危うい野田外交

 櫻井よしこ  

 

野田佳彦首相は首相の座にありながら、油断がすぎる。年の瀬に韓国、中国、インド、年明けに米国へと立て続けに首脳外交を予定しているが、十分な準備と覚悟はあるのか。そうは思えないのが、12月17、18両日の李明博韓国大統領との会談だった。

韓国では市民団体の韓国挺身隊問題対策協議会が12月14日に、ソウルの日本大使館前に慰安婦の像を設置した。日本外務省はそれを阻止出来なかった。それ以前の8月30日には韓国の憲法裁判所が、韓国政府が慰安婦問題で具体的措置を講じてこなかったのは違憲だと断じた。10月11日、韓国政府は国連総会第3委員会(人権委員会)で慰安婦問題を取り上げ、戦時の性暴力の被害者についてすべての国連加盟国に救済や償いの努力を求めた。

こうした状況下の10月18日、首相は訪韓して、通貨危機のささやかれる韓国に、危機のときに融通するスワップ枠を従来の5倍以上の700億ドルに引き上げて支援の体制を作った。朝鮮王朝儀軌も自ら持参して返還した。国と国との関係を冷静に分析するよりも、首脳同士の個人的な信頼関係を築いて好転させようとしたかに思える。

個人的信頼関係なるものがどれほど頼りないかは、12月の京都での日韓首脳会談で示された。李大統領は1時間の内の40分を慰安婦問題に費やし、「日本の誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と語った。慰安婦問題も含めて決着済みとした二国間の条約をこれほど無視した大衆迎合の無礼な物言いがあるのか。日本国首相として野田氏はきっぱりと同問題は解決済みだと主張したという。だが「人道的見地」から知恵を絞るとの言質をとられた。

2011年12月に日韓首脳会談を行う意味は第一に、覇権外交に突き進む中国への対処と協力を幅広く話し合うことだ。北朝鮮有事を念頭に、日米韓の連携にも集中すべきだ。だが、会談は慰安婦問題に終始し、他の重要課題に入れずに終わった。

大失態

外務省も官邸も慰安婦問題に関する韓国政府の意図を読み切れなかったのみならず、現在の慰安婦問題がどのように発生したかを把握していなかった。情勢分析も論点整理も出来ていないまま、「個人的信頼関係」への甘い期待で首脳会談に臨んだのが大失態の原因である。

問題は05年1月、盧武鉉大統領(当時)の下で1965年の日韓基本条約に至る交渉の議事録を公開したことに始まった。国家基本問題研究所の企画委員で東京基督教大学教授の西岡力氏が語る。

「公開された外交文書を検証する『民官共同委員会』が設置され、当時のイヘチャン首相が委員長に就任しました。親北朝鮮左派団体の『参与連帯』の指導者も委員になり、彼らが導き出した結論は、日韓交渉では徴用や徴兵問題は論じられたが『日本軍慰安婦など反人道的不法行為』は論じられなかった、従って同問題に関する日本の責任を持続的に追及するとなったのです。交渉で慰安婦問題が出なかったのは、それが強制連行などではなかったことを当時、万人が承知していたからです。しかし、反日に徹した盧武鉉政権は日本の責任追及へと慰安婦問題を誘導し、それが8月の憲法裁判所の判決につながったと思います」

外務省は、こうした背景を首相、外相に周知徹底しておかなければならなかったにも拘わらず、明らかにその責任を果たしていない。野田首相が「決着済み」と言うだけで李大統領にまくしたてられて終わった原因もここにある。前述のような慰安婦問題のそもそもの歪みを静かに、だが、譲らずに反論しなければ首脳会談の意味はない。

日韓首脳会談の直後に金正日の死去が発表された。首相は19日のその時間、支持率アップを狙って蓮舫行政刷新担当大臣らと共に新橋駅頭で演説する予定だった。内閣情報調査室は北朝鮮で正午に「特別放送」が行われるとの情報を上げ、外務省は「特別放送」は94年の金日成死去の時以来で、極めて重大だと官邸に知らせ、それは首相にも伝わった。それでも首相は、街頭演説のために官邸を後にし、金正日死去の報道に、慌てて戻った。大失態だ。街頭演説が本来の首相の仕事ではあるまいに。国民に自分の考えを伝えたいのなら、会見にきちんと応ずるなど、全国民に伝わる正当な形で語ればよい。

官邸に急ぎ戻った首相は午後1時から安全保障会議を開いた。北朝鮮の独裁者が死に、後継者は経験不足の20代の三男だ。彼は軍を掌握出来るのか、国民の餓えを緩和出来るのか。大量難民発生の危険をどう読むのか。日清戦争も含めて朝鮮半島有事を直接間接の原因として過去の中国の王朝が滅んでいった歴史を、中国は忘れてはいない。それゆえに中国は金正日後の北朝鮮支配を、国運をかけた戦いと見做して手を打ってくる。その中国の動きにどう対処するのか。北朝鮮の核と、北朝鮮の全部隊が保有するとされる生物化学兵器をどう抑えるか。事態急変のとき、米国は国連決議を待たず、また中国が手を打つ前に、核と化学兵器を一瞬の内に抑えようとするだろう。米韓両軍が動くとき、日本はどう支えるのか。行動を共にすべきか。共に行動するにはどんな法整備が必要か。

会議は10分で終わった

そして最も重要な拉致被害者救出のために、如何にして居場所を特定し、招待所などに救援部隊を派遣し得るのか。米韓の北進に日本は誰を同行させるのか。自衛隊か、それに代わる勢力か。日本は韓国による半島統一を支え、最大限の協力をすべきだが、何が最も有効な支えなのか。在日米軍に日本はどう協力すべきか。一連の考えるべきこと、決めておくべきことは山積している。それを議論するのが安保会議のはずだ。

にも拘わらず、会議は10分で終わった。野田首相、一川保夫防衛相、安住淳財務相、枝野幸男経産相などに加えて、藤村修官房長官が勢揃いして、わずか10分で一体全体、何を話し合ったのか。

わが国政府の最重要閣僚らが一堂に会して、朝鮮半島有事という歴史的一大変化に直面し、だれ一人、語るべき内容をもっていなかった。それが安保会議10分間の真実だ。野田内閣には中身がないのである。

こんな状況で中国、インドへ、さらに米国へと首相は向かう。野田氏が政治生命を賭けて奮起しない限り、野田外交は軽く中国に丸め込まれかねない。インドや米国の日本に対する期待にも応えきれない。ただひとつ評価出来るのは、政治的・経済的に大きな意味を持つ武器輸出三原則の緩和を野田政権として決意したことだ。2012年に首相として生き残り、意味ある政治を行うには、日本をまともな国にするこうした動きの先頭に立ち、党内融和を見限って自らの信念を形にしていくしかない。

『週刊新潮』 2012年1月5・12日合併号
日本ルネッサンス 第492回