チャイナ・ドリームが破れる時 平川祐弘
チャイナ・ドリームが破れる時
比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘
米日中の栄枯盛衰について考えたい。敗戦後10年、日本は依然として貧しく、「せめて戦前並みになればいいな」とパリで朝飯抜きの留学生は思っていた。祖国が普請中であることにずっと劣等感を覚えていたのである。ただし、アジアで日本だけが産業化していることは各地の港に寄って渡欧したのでよくわかり、独立を守ってくれた明治の先人の努力に私は感謝した。さらに10年後、大学助手となったとき、北米で就職した級友が「お前の月給はいくらだ」と尋ねた。1ドル360円の頃で「100ドル」と言うと、「俺はその10倍だ」と言った。絶対的な隔絶が洋の東西の間にはあると思った。
≪米日中の栄枯盛衰の行方は≫
だが日本再建は進み、1977年、東大助教授の給料がオックスフォードのドンに追いついた。日出づる国の勢いは止まらない。92年定年時の私は、かつての給料10倍の北米残留組より高額所得者になっていた。米国が敗戦国のようで米国人が苛立(いらだ)ったのも無理はない。がバブルがはじけ、以後日本は振るわず精神も空洞化した。
では、日中関係も逆転するか。中国へ教えに行った天安門事件の直後、北京から1時間走ると田舎道に籾(もみ)が撒(ま)いてあり、通過する車に脱穀させていた。そんな原始的な農村だから中国学生は日本に追いつけないと思っていた。来日した人は次々と日本で就職した。
それが近年、学位を取り損ね中国へ戻った人も、自国の経済発展で大変な自信回復だ。昨今のベストセラーは劉明福『中国夢』(中国友誼出版)で、ポスト・アメリカ時代に中国が世界一をめざし、世界に中国時代を招来させるのがチャイナ・ドリームだという。
≪「日米もし戦はば」の中国版≫
著者は国防大学軍隊建設研究所所長の大佐だ。中国人がアヘン戦争以来の列強の侵略に反発し国防建設を夢見るのは理解できる。夢もほどほどなら結構だ。だが人民中国誕生から63年、近隣諸国からの軍事的脅威はない。それなのに軍事大国を目指すとは何ごとか。『中国夢』は中米大戦争を露骨に想定はしないが、それでも昭和初年に売れた平田晋策『日米もし戦はば』の中国版の趣(おもむ)きがある。
そもそも現役軍人がこんな世界戦略を売り物にしていいのか。中国政権内の開明派が軍部を統制しようにも抑えが利かず、中国の軍事大国化にもはや歯止めは利かないのではないか。何しろ軍幹部が退職後軍事産業に天下りし、共産党幹部の子弟が有力証券会社を牛耳る昨今だ。人治の国では私的な血縁関係が優先で、子弟集団の太子党はわが世の春である。アイゼンハワーは大統領職を去るとき、米国における軍産複合体の肥大化を警戒し遺言としたが、その異常増殖が今の中国であるらしい。
大中華秩序復活の夢を劉明福は「黄福論」と称する。公正な選挙一つ行えない強権支配の国でありながら、「歴史清白、道徳高尚」中国は世界大国中唯一の「没有原罪的国家」であるから天下に王道を広める資格があると主張している。米国から見ればこのジョークは新しい「黄禍論」と映ずるだろう。何が無原罪なものか。毛沢東と共産党によって殺された人数は2600万と『建国以来歴次政治運動史実報告』にも出ている。
その中国が領海法を一方的に制定し、南シナ海の島嶼(とうしょ)、東シナ海の尖閣諸島は「核心的利益」だと言い出した。ベトナム、フィリピン、インドネシアをはじめ日韓印も反発する。「今の中国に友邦はあるか」と問うてみるがいい。ミャンマーももはや友邦ではない。彼らは答えに窮するが、北朝鮮の名はさすがに言いかねている。だがそれで黙りはすまい。「米豪日が連携してアジア中小国とともに対中包囲網を敷くとは何ごとか」と居直って、怒るに相違ない。
≪日本に亡命して中華料理屋に?≫
「史ヲ以テ鑑(かがみ)ト為(な)ス」とはよくいったものだ。少年のころ日本帝国は歪(いびつ)に発展した。軍部は満蒙は日本の生命線(核心的利益)だとして進出し、南シナ海で新南群島を武力を背に日本領とし、41年に仏印南部にも進駐した。米英中蘭は、America、Britain、China、Dutchの頭文字を取ったABCD包囲網で日本帝国を取り囲んだ。
そんな戦前について「日本こそ被害者だ、包囲した方が悪い」と言い立てる疑似愛国者は日本にもいた。今の北京にもそれと同種の愛国者は多い。しかし人民中国の有力者は口でこそ自国の正義を主張するが、陰では保身を計ってしたたかだ。バブルがはじけ国内外に大混乱が生ずれば、一党支配はもはや正当化もできまい。そんな未来を必至と見て賢明な共産党幹部や富裕層は宝石を買い、子弟を海外に送り、国外に預金、外国に親類を拵(こしら)え、万一に備えている。
軍の近代化だけが進み政治の近代化の進まぬ歪な大中華帝国の夢が実現しても大変だが、夢が破れても大変だ。「その時どうする」と聞いたら「日本に亡命して中華料理屋を開く」と真顔で答えた。その昔西ドイツが中共政権を認めたときの、台湾元外交官がボンで中華飯屋を開くという噂話が思い出された。(ひらかわ すけひろ)
4月4日付産経新聞朝刊「正論」