公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

役員論文

2012.08.10 (金)

日本の自画像を描け 櫻井よしこ

日本の自画像を描け

 櫻井よしこ  

 なんともどかしい政治だろうか。税と社会保障の一体改革に関する3党合意の民自公の駆け引きはなんら心に響いてこない。一連の議論に、国家、国益によって立つ思想が少しも見えないからだ。

 首相が政治生命をかけると繰り返した一体改革が潰れていたら、国益はどれほど損なわれていたことか。日本の政治は全く無力だと、国際社会にさらけ出すことの負の影響を、政治家はどう認識しているのか。

 首相と民主党の責任は最も大きいとしても、それはまた、自民党を含めた政治全体が負うべき責任である。だからこそ、野田首相はいま一度、自分がこの一体改革で何を目指しているかを明確に訴えなければならない。武器輸出三原則の緩和をはじめ、首相が日本をまともな国にすべく努力を重ねているのは評価するが、それだけでは不十分だ。まさにここから先の日本の大いなる自画像を首相は描いてみせよ。

 たとえば、前述の武器輸出三原則の緩和である。これがインド、英国をはじめ多くの国々の日本への期待をどれほど高めたか。日本人の価値観が凝縮された日本の技術が非常に高い評価を受けているのである。

 武器や軍隊というと思考停止に陥ってきた従来の日本から脱皮することの意義を、首相は日本人への元気づけとして語ってよいのである。

 自己否定も自らの手足を縛る必要もなく、のびのびと日本人であり続けることの重要性と、そこから生まれる大きな可能性を首相は語るがよい。政治は言葉によって瑞々(みずみず)しい生命を得る。人々を納得させ、勇気づけるどれだけの言葉を語れるか、そのような考え方をどれほど身につけているかが首相に問われている。

 一体改革法案についても同様だ。3党合意で増税は決定したが、社会保障の充実については国民会議で1年間議論するという。5%の増税で見込まれる約12・5兆円の歳入増を財政赤字の圧縮や福祉や年金などの充実にどうつなげていくのか。国民の側にある疑念は深いが、自らの信念で語り、どこまで支持を勝ちとっていけるか否かが焦点だ。

 この法案の行方は「決められない政治」から脱却し、膨大な財政赤字を減らす一歩を踏み出し、再び力強い日本をつくれるか否かの分岐点ともなる。

 同時に、現在の厳しい国際情勢に日本が打ち勝っていけるのかという問いにもつながる。

 いま世界は中国の脅威の前に、二分されているといってよい。中国の膨張主義に対峙(たいじ)するには、日米豪印など、価値観を共有する国々の連携が求められている。そのために、日本にとっては経済戦略としてのTPPと安全保障戦略としての日米安保体制の強化が必要である。

 昨年の東日本大震災での「トモダチ作戦」以来、日米軍事協力は着実に成果をおさめてきた。そしていま、わが国周辺の状況と切迫度を考えれば、集団的自衛権の行使を決意するときだ。首相は森本敏防衛相を起用した意味を、生かすのだ。

 中国は7月24日、南シナ海の西沙、中沙、南沙群島をまとめた三沙市を正式に発足させ、海南省に三沙警備区を設定した。

 行政組織の整備に先立ち、海南省の漁船30隻が船隊を組み、78時間の長い航海を経て南沙諸島の永暑礁海域に到達した。漁業監視船「漁政 310」の見守る中、彼らは約10日間、漁を続けた。中国政府はこの種の実力行使はこれから頻度を高めると、見せつけた。

 南シナ海領有で力を前面に押し出す手法に、米国国務省は8月4日、「問題解決に向けた協力的な外交努力に逆行し、地域の緊張を高める危険がある」と抗議した。中国外務省は即、「(米国は)重大な誤ったシグナルを送った」として「強い不満と断固たる反対」を表明した。米国には南シナ海問題に介入させないという強い意志である。尖閣防衛の手立てが急がれるゆえんである。

 尖閣諸島と東シナ海の戦略的重要性を考えれば、まず取り組むべきは台湾との関係の整備である。日本と歴史的なつながりの深い台湾を、尖閣問題で中国と組ませてはならない。台湾側が従来問題にしてきたのは尖閣周辺海域での漁業権だ。かつて日台の漁民はあの海で共に漁をした。これら台湾の人々に、尖閣周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内での漁を許す枠組みを早急に作り、乱獲防止の協定を整え、日台共栄の漁場を造ることが、日本の漁業の発展にもつながる。

 加えて、尖閣諸島に関しては国家として振る舞うことが大事である。たとえば大東亜戦争末期、石垣島からの疎開の船が尖閣の海で撃沈され、あるいは大破して多くの犠牲者が出た。その人々の慰霊祭のため、超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(山谷えり子会長)が魚釣島への上陸を求めている。戦争の犠牲者の慰霊を政府が許可し、奨励するのが当然であろう。多くの機会に多くの日本人が島の歴史を知り、島を活用できるように、政府であればこそ、できるのである。

 中国という隣国と、協調と対立を念頭に関係を維持しなければならないいま、日本の不安は、この国がどこに向かおうとしているのかを、政治が示しえていないことだ。だからこそ、首相は日本の国益だけを考え、大きな方向性を行動で示さなければならない。その第一歩は、やはり8月15日、よき日本人として靖国神社に参拝することだ。

8月9日付産経新聞朝刊「野田首相に申す」