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2012.12.04 (火) 印刷する

【詳報】 第5回 会員の集い 創立5周年シンポジウム 「今の憲法で日本を守れるのか」

会員の集い/平成24年10月28日/ホテルニューオータニ 鶴の間


 シンポジウム会場となったホテルニューオータニ鶴の間は、まるで日本の魂が渦巻いているかのような熱気に包まれていた。それもそのはず、古来わが国は、中国文明がやってくれば、和魂漢才。西洋文明に直面すれば、和魂洋才。一度たりとも、和の魂を忘れたことはなかったのだ。
 ところが、戦後の日本は、魂を抜かれた押しつけ憲法の「おかげ」で、無魂米才に堕してしまった。会場で見られた和の心が通い合う美しき日本を取り戻すには、日本国民の手による憲法改正を一刻も早く成し遂げるしかないだろう。

【登壇者略歴】

稲田朋美氏 衆議院議員
早稲田大学法学部卒。弁護士。福井県第一区選出、衆議院議員当選2回。靖国訴訟の補助参加人(靖国応援団)側弁護士、南京「百人斬り」報道名誉毀損訴訟の原告側弁護士などを務める。平成24年10月より自由民主党政務調査会法務部会長、シャドウ・キャビネットでは法務省を担当。保守政策集団「伝統と創造の会」会長。「百人斬り裁判から南京へ」「私は日本を守りたい、家族、ふるさと、わが祖国」などの著書がある。

櫻井よしこ 国基研理事長
ハワイ大学卒業(アジア史専攻)。クリスチャン・サイエンス・モニター紙東京支局員、日本テレビのニュースキャスターなどを経て、フリージャーナリスト。2007年に国家基本問題研究所を設立し、理事長に就任。大宅壮一ノンフィクション賞、菊池寛賞、フジサンケイグループの正論大賞を受賞。『異形の大国中国』『宰相の資格』など著書多数。「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(通称、民間憲法臨調)の代表を務めている。

田久保忠衛 国基研副理事長
昭和8(1933)年生まれ。早稲田大学法学部卒。時事通信社でワシントン支局長、外信部長、編集局次長などを歴任。杏林大学社会科学部教授(国際関係論、国際政治学)、社会科学部長、大学院国際協力研究科長などを経て、現在名誉教授。法学博士。国家基本問題研究所副理事長。正論大賞、文藝春秋読者賞を受賞。著書は『戦略家ニクソン』など多数。産経新聞新憲法起草委員会委員長を務めている。

髙池勝彦 国基研副理事長
昭和17年(1942年)生まれ。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。Stanford Law School留学。弁護士。新しい歴史教科書をつくる会副会長を務め、南京問題・慰安婦問題について弁護士業の傍ら研鑽をつむ。「伝統が守られ、自由と調和のとれた社会が望むべき国のかたち」であると主張する。憲法改正問題についても発言している。著書は『日本国憲法を考える』(共著)など多数。

遠藤浩一 国基研企画委員
昭和33(1958)年生まれ。駒澤大学法学部卒。民社党月刊誌編集部長などを経て拓殖大学大学院教授・同日本文化研究所長。国家基本問題研究所理事・企画委員。専門は政治学で、政局分析にとどまらず、保守のあるべき姿を提唱する政治評論には定評がある。「戦後日本に関する深い洞察」が高く評価され、第10回正論新風賞受賞。「福田恆存と三島由紀夫 1945-1970」「政権交代のまぼろし」などの著書がある。

 

〈国家基本問題研究所設立五周年を迎えるにあたり、冒頭、田久保副理事長より、皆さまのこれまでのご支援、ご協力に対し感謝の気持ちを捧げるとともに、今後のさらなるご支援を賜りたい旨の挨拶がありました。また、安倍晋三自由民主党総裁からのビデオメッセージと石原慎太郎東京都知事(当時)からの祝電が紹介されました〉

 
髙池 これからシンポジウムに入ります。皆さんのご専門の立場から、日本の憲法をどう考えるのか、順次お話しいただきたいと思います。
田久保 私は日本の国体といいますか、国の姿と国際環境は大いに関係があり、国際情勢全体を無視しての憲法論議はあり得ないと考えています。
 まず、大化の改新は、隋、唐の圧力に対し、国の体制を変えなければ国が守れないということで、日本は律令国家に変身したわけです。元寇の役は神風によって、二度の侵攻が防げました。これは一時的には日本にプラスになりましたが、元の大軍が自滅してしまったため、功績を上げた武士に報奨を出さなかったことから、幕府体制が衰退していきます。いずれにしても外の環境が日本を変えたということです。
 さらに、ペリーが来て日本は覚醒しました。しかし、そこから近代国家になった日本は、ユーラシア大陸、清の内乱に関わり合いを持って、日清戦争になり、その後、ロシアが朝鮮半島に出てくるのを拒否したのが日露戦争です。さらに、満州を巡って、日本と中国が険悪な状態になり、ここにアメリカが関わり合いを持ってきます。ひいてはこれが日露戦争以後の基本にあったのではないかと思います。
 経済的には満州という経済のマーケットを巡る争いがあり、日米間には人種問題がありました。こうした流れの中で、日本が負けた結果、今の憲法体制になったのです。つまり、歴史上ずっと連続して因果関係があるのであって、ある日突然、今の憲法が与えられたわけではないのです。
 そして今、尖閣問題で日中が争って、歴史的な帰属がどうのこうのと、顕微鏡的視点ばかりでものを見る傾向がありますが、こういうものの見方に私は反対です。今、ロシアはおとなしくしていると言われています。冗談じゃありません。去年、メドベージェフが大統領のときに、北方領土へ来て、今年七月にも、首相として来ているのに、日本人は、ほとんど騒いでいません。
 その後、尖閣に中国の船がどっと来て、竹島には韓国の李明博大統領が上陸した。これはいったい何なのか。日本はユーラシア大陸、朝鮮半島、中国、ロシアと歴史的に関わり合いがあります。アフガニスタン侵攻、湾岸戦争もありました。ユーラシア大陸からの大きな圧力が、一気に日本に押し寄せているというのが現在の状況です。なのに、どうして日本人は危機感を抱かないのでしょう。また、これらの対策として、防衛省設置法の一部改正案などと言っていますが、これがまた、顕微鏡的な対策なのです。全世界に向かって、日本の意志を知らしめるには、たとえば集団自衛権の行使に踏み切ったらいいのです。
 戦争は起こらないという断定が下されれば、軍隊はなくてもいいでしょう。しかし、周辺の国々が一斉に軍事費を増やしているのに、日本はどうして軍事費を一貫して落としてきたのか。これは思い切って増やすしかありません。さらに重要なことは、日本が憲法改正に向かっているという動き自体が、中国に、南北含めて朝鮮半島に、そしてロシアにどういう影響を及ぼすのか。ひいてはアメリカにどういう影響を与えるかです。私は、アメリカにも、「日本人はやはりまともだ」という大きなシグナルを与えるのではないかと考えています。(田久保副理事長はさらに、日本はこれまで東北大震災を含めて四度改憲の機会があったと述べた。前号の「国基研だより」第二十四号参照。)
髙池 次に、稲田さん、お願いします。
稲田 今日のテーマは、今の憲法で、国民の生命・身体・財産・領土、そして誇りを守れるのかという問いかけだと思いますが、私は断じて守れないと結論づけています。
 安倍総裁が総理時代に掲げられた戦後レジームからの脱却というのは、まさしく占領下で弱体化した日本をもう一度名実ともに主権国家にしなければならないということです。自分の国を自分で守れ、自分の国の行先は自分で決めることができ、そして法治国家の根本である憲法は、自分自身の手でつくらなければ、主権国家とは言えないと思います。
 今の憲法は、日本が占領下におかれ、主権が制限されていた時代に、占領下の国の基本法を変えてはいけないという国際法にも違反して、押し付けられた憲法ですから、私はまったく認めていません。
 この憲法の中核にある精神は何かというと、日本を二度と立ち上がれないようにし、日本を二度と連合国の脅威にさせないという占領軍の意思です。そして、日本を二度と立ち上がれなくするために、日本のアイデンティティ、国柄、皇室を中心とする一体感といったものを破壊しようという占領軍によってつくられた憲法です。そうした基本的な精神の下につくられた憲法で、わが国の国柄や領土や国民の生命・身体・誇りや名誉というものは、絶対に守れないと、私は考えています。
 憲法の何が一番問題なのかと言いますと、前文に嘘が書いてあることです。どんな嘘かと言いますと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。これはまさしく自分の国は自分で守りませんと宣言をしているのです。そして「諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、日本の周辺国を見てください。
 北朝鮮はわが国の同胞を多数拉致していくような人さらいの国です。ロシアはわが国が武器を置いてから、日ソ不可侵条約を一方的に破って満州に侵略し、わが国の同胞六十万人をシベリアの厳寒の地に連れていって十万人を死に至らしめ、そのうえで島を強奪した国です。中国も尖閣が日本の領土だということは百も承知でいながら、一九六八年の海洋調査で海洋資源があるとわかってからは、尖閣は自分の領土だと言って取りに来ている国です。韓国もしかり。竹島は紛うことなく歴史上わが国固有の領土です。サンフランシスコ平和条約発効時に、韓国は連合国に竹島を要求して断られたにもかかわらず、無理やり自分の支配下に置き、不法占拠をずっと続けている国です。
 いずれの国も、「公正と信義の国」とは、とても言えません。そんな国の下でその人たちを信頼して、平和と安全を守るというのは、欺瞞以外の何物でもないと思っています。
 そして、憲法九条です。そもそも、九条は、侵略戦争は国際法上違法だが、自衛の戦争か侵略戦争かは自分自身が決めるという一九二八年の不戦条約を基本にしてできています。しかし、戦争を放棄し、武力の行使ができず、陸海空軍を持つこともできないという非常に厳しい規定になっています。そのタガをずっとはめたまま、厳しく解釈をしているために、何か起きても、武力の行使にあたると言って、自分の国も守れなければ、自国民すら守ることができません。
 憲法は、本来自分の国を守り、自国民の生命・身体を守るためにあるはずです。にもかかわらず、九条のために、まったく本末転倒になっているのです。
 自衛権の行使は認められていますが、それも、急迫不正の侵害に対して他に取る手段がない場合、必要最小限度という、ものすごく制約された解釈になっています。そのため、集団的自衛権は持っているけれど、行使できないという馬鹿げた政府見解がずっとまかり通っているのです。
 それで、どういうことが起きているかと言えば、公海上で日本の艦船とアメリカの艦船が共同で活動をしているとき、日本の艦船が攻撃されれば自衛権を行使できますが、隣で活動しているアメリカの艦船が攻撃を受けた場合は、「憲法九条がありますから申し訳ありません、見殺しにします」と言わなければならないのです。そんなことを言ったとたんに、日米関係はガタガタになってしまいます。
 また、国際的な平和活動でも、PKO法で認められている武器使用は、刑法の正当防衛より狭いのです。刑法における正当防衛は、自分もしくは他人が攻撃を受ければ、それを守るために攻撃をしても犯罪行為にならないと決められています。PKO法の武器使用は、自分の近くにいる、領域内にいる人だけは救えるが、二百メートル、三百メートル先の人を走っていって救ってはいけないという規定になっています。もし、これを本当に実行したら、日本は他国の人を平気で見殺しにするひどい国だと思われ、国際社会では生きていけません。
 そんなこともあり、憲法九条は早急に改正をすべきで、今回の自民党の憲法草案では国防軍をつくる、そして集団的自衛権も認める、国際協力活動においてもきちんと活動ができるという条文にしています。また、今までは理論上、国際的には軍隊でも、国内的には軍隊ではないので、自衛戦争で亡くなる方を想定していませんでした。憲法を改正して国防軍をつくり、自衛戦争を憲法が認めるようになれば、自衛戦争で亡くなった方をどこでお祀りするのかという問題を解決しなければなりません。
 さらに、二十条三項というGHQの神道指令をルーツに持つ規定による現在の政教分離は間違っています。主権国家であれば、自国のために亡くなった方々に対して、総理が靖国参拝をするのは当然のことです。
 国防軍をつくるのであれば、自衛戦争、国を守る戦争によって亡くなった方をきちんと靖国神社に合祀することができ、そこに総理大臣が堂々と参拝をすることができる。そうした条文にしなければならないと思っています。
髙池 どうもありがとうございました。では遠藤さん、お願いします。
遠藤 昭和二十年九月二日にミズーリ号上で降伏文書に調印して、連合国軍による日本の占領が始まります。六年八ヵ月にわたる占領期間は、武装こそ解除されたものの、戦争は継続されていた期間です。そのときに日本国の基本法、憲法が制定されている。これが最大の問題です。ハーグ陸戦法規に反するのは言うまでもありません。この点において、まずわれわれは現行憲法に正統性がないことを確認しておく必要があります。
 この憲法が制定されるときの為政者は、かなり呻吟をして手続きをとっています。幣原喜重郎内閣の外務大臣、第一次吉田内閣の内閣総理大臣として、憲法制定に主役のような役割を果たした吉田茂の回顧録を読みますと、少なくとも最初のころは、吉田自身がこの憲法に対して深い疑義を持っていたことがわかります。
 『回想十年』という回顧録の中で、吉田はこう述べています。
 「この総司令部案の内容が、当時としてはいわば革命的なものであったことは言うまでもない。そこで政府としては、直ちにこれを改正案の基礎として採り上げることを躊躇して、総司令部との間に交渉を始めたが、何分先方の態度は頗る強硬で、容易に妥協を許さざるが如き気色であった。……二、三の閣僚から、総司令部案のごときものは到底受諾できぬという発言があり……」
 結局、幣原総理の下でこれを呑むことになったと述べているのですが、日本に革命を起こすような憲法草案に対して、当時の為政者のあいだには躊躇があったと証言しています。
 さらに興味深いのは、「改正草案が出来上がるまでの過程を見ると」、ここからがポイントです。「わが方にとっては、実際上、外国との条約締結の交渉と相似たものがあった。というよりむしろ、条約交渉の場合よりも一層“渉外的”ですらあったともいえよう。ところで、この交渉における双方の立場であるが、一言で言うならば、日本政府の方は、言わば消極的であり、漸進主義であったのに対し、総司令部の方は、積極的であり、抜本的急進的であったわけだ」
 この部分に、憲法制定の手続きから見える本質が如実に語られています。これは条約を制定する交渉だと吉田は言っているのです。国家の基本法制定プロセスというよりも、実態は勝者と敗者との間で不平等条約を締結するプロセスだったということです。
 幕末に、わが国は不平等条約をいくつも呑まされて、その条約改正に明治の元勲たちは血みどろの努力をしています。日本国憲法も、勝者による敗者に対する一方的な強要であり、まさに不平等条約以外の何物でもないわけですが、制定当時には天皇を人質に事実上取られていた。国民も人質に取られていた。食糧不足に悩んだ吉田は、マッカーサーに、「食糧をください」と懇請した。そうした環境の中で、この憲法が制定されたということを見逃すわけにはいきません。不平等条約を呑まされてしまった当時――被占領前期の吉田茂を始めとする為政者の心の内を占めていたものは、おそらく臥薪嘗胆だっただろうと私は解しています。
 いずれ主権を回復した暁には、この憲法を自前のものに替えなければならないというのが、おそらく当時の為政者の暗黙の了解であったはずです。しかしそうはなりませんでした。
 改正の最初のチャンスはやはり昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約発効時でした。日本が主権回復をしたその瞬間に、日本人自らが現行憲法を改正するチャンスがやってきた。そのときの世論も、それを是としていた。吉田はいつの間にか護憲にスタンスを変えていますが。
 昭和二十五(一九五〇)年を起点として、昭和五十六年ごろまでの再軍備に賛成か反対か、あるいは憲法改正に賛成か反対かという世論の動きを、私はあえて朝日新聞に絞って、調べてみました。主権回復前後は再軍備に賛成する世論のほうが圧倒的に多かった。国民は再軍備を支持していました。朝鮮戦争を目の当りにして九条の欺瞞がわかっていたのです。
 しかし、吉田はそのころから再軍備を拒否するポーズを取り始めます。実際にはダレスとの再軍備交渉の過程で、今日の自衛隊になる、事実上の再軍備を認めているわけですが、国会では「これは軍隊ではありません」と言い募った。ここからモラル・ハザードが始まるわけです。軍隊を再建しながら、これは軍隊ではないと言い張る欺瞞。しかし、これを修正しようということで、昭和三十年の秋に自主憲法制定を党是とした自由民主党が結党されます。ところが、そのちょうどその頃を境に、世論調査では、再軍備反対と賛成の率が入れ替わってしまいます。政治というのはほんとに皮肉というか難しいものです。
 国家の経営は軍備だけでは成立しません。当時の日本は当然のことながら、経済の成長も重大な目標でした。国を豊かにし、国民を豊かにするというのは政治家にとって基本的な使命です。同じように自国の領土、国民の生命・財産を守るということも、政治家にとっては重要な基本的使命です。自由民主党は、その両方を追求しようと、結党された。国民の生活を豊かにするということと、日本を普通の独立主権国家に再建すること、この二つをともにやろうというのが自由民主党の党是でした。
 ここからが難しいところです。国を豊かにする、経済成長をするということを着実に進めていくと、そこで国民はある程度満足し始める。そして昭和三十五年安保改定の騒擾で岸さんが疲れ果てて退陣をすると、その後を受けた池田さんは、国民の関心を経済成長の一点に誘導するような運営をしていきます。それ以降、再軍備賛成論は減る一方です。昭和四十五年ごろにちょっと上がっていますが、これはおそらくその前に学園闘争が大きく盛り上がって、左翼イデオロギー闘争というものの行き着く先が暴力であるということに、国民が気付いて、国民自身の中に防衛本能が働いたということがあるのではないかという気がします。
 それから昭和五十六年ごろにちょっとまた上がっています。田久保さんが触れたアフガニスタンへのソ連の侵攻です。これを目の当たりにして、意識がちょっと変わる。
 注目していただきたいのは、平成十八年四月の調査です。九条改正反対をわずかですが九条改正賛成が上回っています。朝日の世論調査で、上回ったというのは画期的なことです。
 これは小泉内閣末期、安倍晋三氏がポスト小泉に向けて積極的に発言し始めたときです。つまり安倍さんが有力な指導者の一人として憲法改正を打ち出すと、それに国民も反応したわけです。政治指導の役割はことほどさように重大なのです。政治家はこの問題から逃げてはなりません。政治家こそが世論を喚起する責任を背負っているのです。
髙池 教科書について、少し触れておきます。占領期間中は厳しい検閲が行われていて、憲法が占領軍の指示によって改正されたという事実は書けませんでした。昭和二十二年八月二日文部省発行の中学校社会科教科書にはこう書いてあります。
 「今度の新しい憲法は、日本国民が自分でつくったもので、日本国民全体の意思で自由につくられたものであります。この国民全体の意思を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、新しい国民の代表が選ばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで新しい憲法は国民全体でつくったということになるのです」
 これが当時の中学校の教科書です。主権回復後の中学校の教科書には憲法改正はGHQのイニシアティブによるという記述がありますが、驚いたことに、平成五年以降、またその記述が減ってきて、日本国民が自分たちでつくったという記述が多くなっています。たとえば、日本書籍新社の公民の教科書にはこう書いてあります。
 「各政党や市民たちの手でつくられていたさまざまな憲法改正草案を参考にして、GHQは新しい憲法草案をつくり、政府に示した。これを基にして新しい議会の審議を経て、一九四七年五月三日に施行されたものが今国民が手にしている日本国憲法である」
 このように、占領軍が押しつけたことを極力隠蔽する教育が戦後一貫してなされてきたということは、ぜひ皆さんの記憶に留めていただきたいと思います。
 
(ここで、所用のために遅れて到着した櫻井理事長登壇)
櫻井 今までの一時間あまりの議論の中でどのような論点が出たかという髙池先生からのメモを見ながら、私なりに問題点を投げかけてみたいと思います。
 これは極端な言い方かもしれませんが、今世界は、冷戦の真っただ中にあると思っています。私たちは一度冷戦を体験しています。そのときは軍事の戦い、イデオロギーの戦いがありました。今はその両方に加え、緊密な経済交流という、初めて体験する新しい要素があります。その軸において米中関係が、日本の頭越しに進む可能性は十分ありうるわけです。ですから、私たちは中国だけを考えればいいわけではありません。歴史認識の問題などでも日米関係をどうしていくかが大切です。
 こうした厳しい状況の中で、本当に大事なことは自分の国を自分で守ることができるのかということです。アジアの国々は、自力で自国の防衛力、軍事力を高めつつあります。各国とも、普通の民主主義の国として軍事力を使うことができる立場に立ったうえで、アメリカとの協力関係を進めています。日本の各政党の提言を見ますと、みんな「軍隊」を持ちますと書いてあります。しかし、これは日本国の戦後体制を根本から変えることになりますので、深く重い問題がいくつもあります。稲田先生、そのへん自民党の中の議論、稲田さんご自身のお考えなど、お話しいただければと思います。
稲田 自民党では、以前の自衛軍という案から、平成二十四年の改正案では国防軍には変えました。それは単に名称だけではなく、自民党の覚悟を示したことになると思います。
 最初に今の憲法九条の問題点として指摘をした、自衛権の行使ではあまりにも狭すぎる。そして集団的自衛権が憲法九条違反であるという政府見解がある。そしてPKOなどで自分の部隊と、日本の部隊と同じように国際活動をしている他国の部隊を見殺しにしていいのか。また外国にいる邦人を自衛隊が救出することができず、手をこまねいていて、自国民を守ることができるのかという現実の問題については、憲法九条の今回の自民党の草案で解決することができていると思います。
 と同時に、日本が国際社会でまったく尊敬されず、頼りにもされず、日米関係もおかしくなるような今の異常な状態は、憲法を改正しない限り是正できないのかと言えば、そうではありません。憲法を改正しなくても集団的自衛権の行使は認めるという解釈に踏み切ることはできますし、外国における邦人への攻撃はまさしく自国に対する攻撃と同じだという解釈をすれば、救いに行くことも可能だと思います。改正しなくても、解釈、運用などで、まだまだ改善の余地はあると感じています。
櫻井 憲法が定めている精神が典型的に表れているのは、専守防衛という言葉です。この言葉は、今や軍事面だけに限らなくなっています。このところ、某国を中心にハッキング、サイバー攻撃が、盛んに行われています。二一世紀の戦争はサイバーが主たる力になるだろうと言われている中で、サイバー攻撃は先に攻撃をかけたほうは圧倒的に強いのです。専守防衛だから、攻撃を受けてから反撃すると言っても、攻撃を受けたらコンピュータはダウンしてしまい、反撃能力はないでしょう。コンピュータのウィルス攻撃、サイバー攻撃においても、私たちはこの九条の精神、専守防衛によって、戦わずして敗れていると言えると思います。
 過日、アメリカ海兵隊の幹部に聞いた話ですが、3・11のとき、自衛隊が強襲揚陸艦とか水陸両用の船を持っていなかったために、三陸沖から上陸することができなかったそうです。すぐに上陸できていれば、数千人は助けられたのではないかと言うのです。
 世界の平和のため、日本の平和のためだと言い聞かされて、戦後ずうっと続いてきた平和の精神=専守防衛によって、今、私たちは多くの実害を受けているということを認識しなければならないと思います。遠藤さん、そのへん少しお話ししてください。
遠藤 最初にも少し申し上げましたが、これは勝者による敗者への完全支配を日本国憲法という形で表現したもので、要するに軍事規定です。諸国民の公正と信義は信頼に値するけれども、日本国及び日本人は信頼に値しない。その信頼に値しない日本国さえ丸腰であれば、世界の平和と安定は維持できるという思想の下につくられた軍事規定、これが日本国憲法の正体です。
 こういった、自分自身は信用しない。自分自身は信用しないけど、他人様は信用するという精神に支配された憲法を後生大事に、主権回復後六十年間、われわれ自身が守ってきたわけです。誰かから強要されたわけではありません。そこで何が起こっているかというと、あなた任せの精神というものが、軍事面のみならずすべての面でわれわれを深く支配しているということです。誰かがなんとかしてくれるだろう。誰かが助けてくれるだろう。働かなくても生活保護はもらえるだろう。生活保護をもらってパチンコに行って何が悪いの?という気分になるわけです。
 しかし、日本人は、歴史的、伝統的に、働くということに幸福感を見出す民族です。働かないでお金をもらうということに対しては、罪悪感を持つ民族です。にもかかわらず、子どもをつくれば子ども手当を差し上げます。高校は無償化します。何でもかんでもタダにしますよ、差し上げますよといった詐欺文書にも近いマニフェストにつられて政権交代ごっこをやってしまう事態になっている。憲法の「あなた任せの思想」が、今日の政治的な混乱の根底にあると断言してもいいのではないでしょうか。
 最近はまた、直接民主主義ばやりみたいな状況があります。何でも住民投票で聞けばいいじゃないか。国民投票で聞けばいいじゃないか。そして、首相公選制だ……。民意を尊重するということはデモクラシーの基本ですから、尊重自体は重要です。しかし、剥き出しの民意にすべてを依存するというのはたいへん危険だといわなければならない。ギリシャの時代から、この危険性は指摘されているところです。
 そしてこの剥き出しの直接民主主義も、実は政治家にとっては「あなた任せ」のあらわれなのです。自らが決めようとしない。民意にすべてを委ねてしまう。民意がこうだからという発想に自ら埋没してしまう。民主主義に対する誤解以外の何物でもありません。
 主権回復の前後に再軍備論争というのが国会でありました。芦田均が再軍備をちゃんとやるべきだと主張します。そして再軍備を進めるにあたって、政治家は、国民世論を動員すべきだ、民意に向かって政治家が積極的に働きかけるべきだということを言っています。
 これに対して吉田は、「いやいや、そんなものは民主主義に反する。政治家が民意を誘導するなんていうことはあってはならない。政治家は民意に従って政治を進めていく、これが民主主義だ」ということを言っているわけです。あなた任せ、民意任せの民主主義理解が、吉田茂にもあった。それがいつの間にか肥大化していって、さらに一億総「あなた任せ」の時代になっているのではないかという気がします。
櫻井 会場から、国民の防衛義務についても話をしてほしいという要望がありました。その背景にあるのは、今の憲法改正論議は少し生ぬるいのではないかというご不満だろうと思います。田久保さん、どうでしょうか。
田久保 憲法十八条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」にひどいことが書いてあります。
 「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」。これは徴兵していけないということですよ。奴隷的拘束なんて、日本に歴史上奴隷がいましたか。要するに、アメリカ憲法の奴隷をここに持ってきているだけなのです。だから、憲法改正は前文と九条だけではなく、十八条もしなければダメだというのが、お答えになるかと思います。正しく憲法を改正すれば、自然に防衛の義務は出てくると私は思います。
櫻井 今の十八条。これはアメリカの方たちが奴隷に対して南北戦争までしてこの価値観を戦ったという、彼らにとっては非常に重い言葉です。わが国にはこんなことがなかったにもかかわらず、奴隷のような使役はならないと定められているわけです。国に対して、私たちは奉仕しなければならず、国を守る役割を果たさなければならないと思います。これは兵役になるのか、それとも公のために働く奉仕という義務になるのか、このへんについて稲田さんの考えと、自民党の中の考えがありましたら、お願いします。
稲田 自民党案では、国を守る義務が国民にあるとまでは書いていません。ただ、国が国民と協力をして領土・領海・領空を保全し、その資源を確保しなければならないという規定にはなっています。国民の義務であるというところまで踏み込めていませんが、私自身の考えとしては、国家を守る、領土を守る、そして名誉を守るというのは、国民の義務であると明確にすべきだと思っています。
櫻井 自民党のもともとの憲法改正案は自衛軍でした。それが今回国防軍になりました。民主党には憲法改正試案そのものがないわけですが、いち早く出した自民党案を見ても、本当はもっと強く、国民には国を守る義務があるということを盛り込みたいと思いつつも、なにか遠慮しいしい、国民の世論、顔色を見ながら、少しずつやっているのではないかと感じます。しかし、私は、3・11があって、中国の脅威がある中で、国民のほうに政治はもっとしっかりしてくれという思いがあるのではないかと思います。また、ここには知識レベルの高い方たちが集まっていますが、もう少し普通の庶民の間ですと、理屈はよくわからないけれど、日本国を守ることができないような日本って、やっぱりおかしいね、という強い不安感があると思うのです。そのへん、お感じになることはありませんか。
稲田 先ほど遠藤先生から、平成十八年だけ、朝日新聞でも憲法九条を改正すべきだという人が改正すべきでないという人を上回っていたというお話がありました。そのときの安倍政権では、集団的自衛権の問題、PKOの問題などを含めて憲法九条の議論をして、提言もしていました。だから、国民の意識も変わったのです。また、先生は、国民の意識についていくのなら国会議員は必要ないとおっしゃいました。まさしくそのとおりで、今政治の世界でやっているように、世論がどう言っているかを先に聞いて、それに政治家がついていくだけというのだったら、政治家はまったくいらないと思います。
 地元へ帰りますと、自民党が与党だった一年生のころは、竹島や尖閣の問題を話しても、ポカンという感じでした。ところが、今は反対に、「今の政権でこの領土が守れますか」とか、「竹島を取り返してください」とか、「尖閣を取られたらどうするんですか」とか、「尖閣にやっぱり人を置いてください」とか、普通のお母さんやお父さん方がどんどんそういう意識になっています。私は、本当の意味で政治主導を発揮するために、憲法の議論を充実させ、政治家が一歩も二歩も先に行くことが責務だと思っています。
櫻井 遠藤さん、その能力は日本の政治にありやなしや。
遠藤 政治的には、少なくとも今の国会議員、あるいはここ一年以内に行われる選挙で選ばれた国会議員によって憲法改正という作業が進められなければならないわけです。
 そうした中で、どういう問題が起こってくるかというと、憲法改正によって現行憲法の精神をより固定するような改正が行われてしまう危険性があるということです。たとえば環境問題。どこの党とは言いませんが、やたら環境権、環境権と言うでしょ。環境が権利の側面があるのは確かにそのとおりです。環境には両面あります。権利の側面があります。快適な環境というものを享受する権利というのはあるのは当たり前の話ですが、同時に環境を守ろうとするならば、私権を制限せざるを得ない場面が必ず来ます。
 つまりこれは、義務に属する問題でもあります。にもかかわらず、環境と言えば権利ばっかりが議論され、そういう文脈で憲法改正という作業が行われようとするわけです。ここが踏ん張りどころなのです。
 だからこそ、国防は義務ではないかという当たり前の観点を心ある政治家、真に政権担当能力のある政党とその政治家は、しっかりと打ち出していくべきなのです。
櫻井 この国基研も、そして私が今年からお引き受けしました民間憲法臨調も、一日も早く抜本的な憲法改正をしなければいけないということで、燃えに燃えています。田久保さん、国基研として、私たちが憲法改正、とくに前文と九条について、どこまで踏み込んで、国民、政治家に訴えて世論をつくっていくべきなのか。大事なポイントはどこにあるかということを少しお話しください。
田久保 まず、前文です。アメリカの独立宣言の影響が非常に強い。それはジェファーソン大統領。彼は天賦人権説を唱えてきました。イギリスのスチュアート王朝に弾圧された人々の、All men are created equal. 人は生まれてきたときからすべて平等であるという天賦人権説です。この天賦人権説をジェファーソンは深く信じていて、独立宣言に盛り込んで、これがそのまま日本の憲法の前文に表れているのではないか。だから、日本的な匂いが何もしないのです。先ほどの奴隷という言葉もそうです。日本とあまりに体質が合いません。
 私は若いころ、シンポジウムなどでよく外国に出ていましたが、そこで日本人がプライドに思うことを言えるのか。何が日本の誇りかと言えば、私は皇室の存在だろうと思います。日本の皇室は他の国に例を見ない、国民のために平和と安寧、福祉、豊穣といったものをお祈りしてくださる祭祀王としての存在なのです。
 それとは別に権力があって、権力は起きたり滅びたりします。そして、滅びたときには、やはり天皇が中心になってきます。明治維新のときも、明治天皇を中心に近代国家にしなければいけないと、国民が集まったのです。この前の戦争も戦争末期、日本の政府はもう機能しません。天皇のご聖断で戦いを収めることができ、昭和天皇を中心に戦後の復興ができたのだと思います。
 やはり、前文には、日本の国柄、性格を明確にして、歴史、伝統、文化などを盛り込み、そこで皇室の存在をはっきり書くべきだと思います。
 こういう国柄ですから、日本は平和を愛します。緑も愛します。家族も愛します。しかし、ゆえなく土足で上がり込んできたら、破邪の剣を抜きますよという道を残しておかないと、真に平和を愛する人ではないと思います。平和を口で言う人はたくさんいます。しかし、平和が暴力で侵されたとき、平和を愛すれば愛するほど、死にもの狂いになってこれを守ろうとするのが、本当の平和主義です。
 
櫻井 中国との平和を保つためにも、アジアの平和を保つためにも、私たちはもっと強力な軍隊を持たなければならないと思います。この強力には二つの大きな意味があります。一つは、軍事力そのもの、もう一つは精神です。これは自衛隊法、憲法を含めたすべての意味での精神において、私たちは強力にならなければならないと思います。たとえば、石原慎太郎さんの憲法破棄論。私は破棄ではなく、九十六条の改正によって第一歩を進めるほうがいいと思いますが、心情的にわからないわけではありません。八十歳になられた方が今まで一生懸命に憲法改正を唱え、国のあり方、戦後のあり方に異議を唱えてきて、彼はもうこの国は絶望的なところに立っていると思っているのだろうと思います。
 それは、現実の日本の状況があまりにも矛盾に満ちているからでしょう。したがって、憲法の改正をするときには、揺るぎない軍隊をつくる。揺るぎない国防体制をつくる。揺るぎない国民の精神をつくるというルール、規範を定めていくことが、何よりも大事だと思います。ここで、憲法論議の権威のお一人、西さんのコメントをいただきたいと思います。
西 十八条の「意に反する苦役」ですが、これは、アメリカ憲法にinvoluntary servitudeとあるのをそのまま持ってきたものです。今の憲法は、白紙から始まったのではなく、最初に総司令部案があって、それを呑むか呑まないかというところにあったのですから、不平等以上の強制力があったということを認識しておく必要があると思います。
 尖閣について中国は確信的利益と言っていますが、確信的利益に対し、日本は確信的正義を持っています。どこへ出てもこの正義は通用します。国際法で通用します。しかし、正義だけではダメです。もっと宣伝力を強く発揮させると同時に、その後ろにはやはり棍棒が必要です。憲法九条は絶対に改正しなければなりません。
 もう一つは、国家緊急権規定です。自民党の今度の案には国家緊急権規定が入っています。東北の大災害、テロとか、いろいろ大騒擾が起きた場合、今は緊急意識がまったく欠けています。これはぜひ憲法に入れるべきだと思います。
櫻井 百地先生にお話をいただいた後、この国家緊急事態の条項については浜谷さんがご専門ですので、浜谷さんにもご意見をいただきたいと思います。百地先生からどうぞ。
百地 不備だらけの現憲法を全面的に改正することこそ、私たちの悲願だと思っています。しかし、現実にそれが可能かと言えば、ほとんど不可能です。そこで、まず一点突破をするしかありません。その本丸は九条だと思います。
 ただし、九条を正面から攻めることがどこまでできるかという問題も現実の選択として考えなくてはいけません。この点、国民意識を見ますと、憲法改正については圧倒的に賛成が上回っています。最近の読売の調査では、六十四%が賛成しています。ところが、九条改正になると、圧倒的に賛成のほうが少ない。これは明らかに護憲派の巻き返しです。彼らにとっても最後の砦が九条ですから、これは必死です。
 対抗するための方策の一つは、九条の一項まで含めた改正ではないということを訴えていく啓蒙だろうと思います。啓蒙と同時に、九条の正面突破だけでなく、国民の意識、国民の支持が得られるよう別の点から考えることが大事だと思っています。一点突破の選択肢としては、九十六条改正、それから緊急権です。
 われわれは東日本大震災を経験しました。さらに、東大の地震研によれば、震度七程度の地震は四年以内に七十%の確率で起きるという数字さえ出ています。確率の上で危険が目の前に迫っているにもかかわらず、今の憲法ではどうしようもありません。緊急権なら、国民は必ず動くと思います。九十六条だけだと何のための改正かと、いろいろ議論が出てくる可能性ありますので、私はこの緊急権と九十六条の改正を併せてやるが一番の突破口になると思います。
櫻井 浜谷さん、この緊急事態に対して、どのようなことを考えたらよいのかということをお話いただければと思います。
浜谷 その前提となる世界の情勢は今どうあるのか。これは西先生の統計数字の中に出てきますが、一九九〇年以降、現在までに約百ヵ国で憲法改正が行われています。その百ヵ国の憲法改正の中に、緊急事態条項の入っていない憲法はゼロです。そして、約百ヵ国の内の九十八%ほどは、平和主義条項を設けてあります。
 つまり、国家、国民は常に平和を求めつつ、一方でそれが脅かされたときには、緊急事態条項で対応するという、二つの覚悟が今の近代的な憲法構造になっているということです。
 また、専守防衛は日本が軍備を持って外に出ていかないということですから、紛争に巻き込まれるとすれば、日本の領域内になるのです。わが国にはどこでも、必ず国民がいて、経済活動をし、生活をしています。危機のときは、まず国民を安全なところに避難させない限り、戦火を交えるわけにはいきません。
 ところが、その住民の避難をさせるための法制度ができたのは二〇〇四年です。専守防衛と国民の安全確保は同時に進められなければならないはずなのに、国民の避難だけはずっと遅れてできたということを考えても、今の憲法は、国の防衛と国民の安全という二つの大きなバランスを取り得ていません。
 
櫻井 日本の国柄は、ハンチントンが日本文明は一国のみによって構成すると言ったくらい、ユニークなものです。聖徳太子の十七条の憲法には、いかに平和的で一人ひとりの国民を大事にするかということが書いてあります。その同じ時代の世界を輪切りにしてみても、わが国が唱えていたような価値観を国の根幹の制度に組み込まれていた例はありません。
 隣の中国では隋から唐への変わり目でした。この王朝の交代のときに、非常に多くの人が殺されています。易姓革命です。ヨーロッパでは多くの戦いが行われていました。そうした七世紀の時代から、わが国は国是として、平和、人と人との輪、一人ひとりを大事にすること。いわゆる賄賂はいけません。人の上に立つ人はよく働きなさい。こうした倫理観を国柄、国体、国是としてきたわけです。それは千数百年以上も日本の社会の基調となって続いていて、諸外国の列強に取り囲まれた明治維新のとき、日本国がただ一つ生き残ることのできる道は、国民の真価を発揮させることだというので、明治天皇が五箇条の御誓文を発布なさいました。五箇条の御誓文は十七条の憲法の精神とまったく重なります。
 昭和二十一年一月一日、昭和天皇は詔勅を出されました。その詔勅の最初に明治天皇の五箇条の御誓文が全文書かれています。そのお心は、民主主義だとか、人間を大事にするとか、よいことはみんな外国に教えてもらったような感じになっているけれど、わが国の国体こそがそういうものですよ、ということをおっしゃりたかったのだと思います。
 ですから、憲法の中でも伝統を大事にする、歴史を大事にするという条項の中に、教育も含んでいかなければならないと私は思っております。
会場からの質問 自民党の憲法草案についてお聞きします。日本を守れるかという今回のテーマに関わるのは、第一に国防に関する九条。もう一つ、精神の防衛という観点で、二十条三項の政教分離だと思います。わが国の国体というのは宗教的なある意味の集合体だと思っていますが、その日本の伝統と政教分離原則はまったく合致していないので、これを変えなければいけないと稲田先生がおっしゃっていましたが、自民党の草案を見たとき、具体的な改正案として判例の目的効果基準をそのまま条文化したような文言が見受けられました。どういう経緯でそうなったのでしょうか。
稲田 まったく同じ認識です。九条を変えるのなら、国防、国のために命を捧げた人をどこで合祀するのかということは避けては通れない問題です。神道は宗教というより、日本の伝統、文化、国柄という問題なので、今の二十条三項、完全分離規定をやめて、たとえば「除く神道」とかいった規定を入れるべきだということを私自身、平成十七年の改正のときも、今回も主張してきましたが、多数意見にはならず、私の個人的意見の域を出ないというのが現状です。
 そして、現在の自民党の草案には、目的効果基準という今の最高裁の判決に則った基準が書かれていますが、目的効果基準では靖国神社参拝が合憲だというところまで確信できません。目的効果基準に則っても、愛媛玉串訴訟などでは靖国参拝は違憲だということになりますし、今の総理の靖国参拝を巡る判決でも、そうした間違った判決が出ています。この部分は自民党の憲法草案では不十分であると思いますので、私は自民党の中でもさらに発信、発言をしていきたいと思っています。
百地 政教分離というのは国家と宗教団体の分離が本来のものです。国家から宗教を排除するものではありません。したがって、条文としては、「特定宗教のための布教宣伝になるような宗教活動を禁止する」でいいと思います。宗教的な伝統とか心情とか、そういったものを大切にするというのは、当たり前のことです。
 さらに、国家と宗教の分離という場合、正確には、Separation of Church and Stateであって、教会と国家の分離、つまり国家と教会、宗教団体の分離です。さらに進めるとこの国家というのはStateです。Nationではありません。つまり、Nation、共同体としての国家から宗教を排除するというものではないのです。あくまでも、その時々の権力が宗教団体と結びついてはいけない、というのが本来の政教分離です。
櫻井 歴史学の伊藤隆先生が会場にいらっしゃいます。よろしくお願いいたします。
伊藤 日本が独立を回復した後、憲法改正あるいは自主憲法の制定という運動はずっとありました。芦田均もそうですし、石橋湛山も全国を回って憲法改正を訴えた。それが自民党の一番重要な政策として取り上げられ、自民党ができたと言ってもいいと思います。その後も、憲法調査会その他でこの憲法の問題点や改正について、随分検討されたはずです。
 なぜ、それが実現できなかったのか。国会で三分の二以上を確保できなかったことによって、諦めていったわけです。一方で、共産主義世界は滅びたのに、マルクス・レーニン主義、共産主義と言っていた人たちの中で反省した人は誰もいません。そういう人たちが憲法改正反対の運動をしています。どういう団体がどういう運動をしているのか、明確にしたほうがいいと私は思います。自分たちが国民世論に訴えるというだけではダメで、敵を明確にして攻撃することが必要だと思います。
櫻井 戦後の政治家は立派な方々がたくさんいたと思いますが、岸信介さん以降は自分の命を懸けても自分が正しいと思うことをやってやり抜く、もしくは言い抜くということが薄れてきたのではないかという気がします。
 それは、戦後の日本国がやっぱり国家ではなかった。なかでも、国家の究極の安全を他国によって守られるという価値観と体制の中にはまり込んでしまったということ。それと同時に最も重要なことに対する優先づけを間違えてきたのだろうと思うのです。
 たとえば、政治家は選挙に通らなきゃどうしようもない。そのためには世論を見る。それが高じて、遠藤さんがおっしゃった、ばら撒き、あなた任せの中にどんどんはまり込んでいくことになっているのだと思うのです。遠藤さん、お願いします。
遠藤 敵は何かということからちょっとずれるかもしれませんが、私は、やはり自由民主党の変質という問題を看過することができません。自主憲法制定を党是として発足した自由民主党が、明らかに一九六〇年、昭和三十五年を境に自由民主党でなくなってしまったというか、それに近い変化があった。
 一つだけエピソードを紹介します。病気で退陣する石橋湛山の後を受けて、岸信介さんが総理になろうというとき、秘書官を務めていた安倍晋三さんのお父さんの安倍晋太郎さんが、「お父さん、あなたは経済官僚の出身なのだから、得意の経済政策で勝負してはいかがですか」と進言しています。それに対して岸さんは一言のもとに、「経済は官僚でもできる。一国の総理になったからには、内閣総理大臣たるもの、外交と治安にこそ力を入れなければならない」。これが岸さんの宰相観でした。
 昭和三十五年に岸さんが安保騒擾に疲れ果てて、不本意であったと思いますが、退陣して、その後を池田さんが継ぎました。いよいよ池田さんが総理になろうというとき、伊藤>昌哉という有名な秘書官が「池田さん、あなたは総理になったら何をなさりたいですか」と聞きました。池田さんはこう答えました。「そんなのは経済に決まっとるだろ。経済一本だ」。
 池田さんの名誉のために言うと、たとえば、池田さんは核武装について真剣に考えた節があります。ですから、岸さんが良くて池田さんが悪かったと単純には言えません。しかし、岸さんから池田さんに代わったときに、宰相観というものの変化があったことは事実です。敵の問題と同時に保守政党内部の変質という問題を直視しなければいけないと、私は考えています。
西 私は、東京裁判史観の呪縛からまったく解放されてないというのが、戦後の一番大きな問題だと思います。江藤淳がもう少し広く、War Guilt Information Programと言った戦争贖罪意識。これから解放されなければなりません。何かあると、東京裁判だ、贖罪だと言い、また、そこに訴えることによって、憲法改正や憲法九条の話になると、すぐに昔の戦争を連想させるということになっているのです。ですから、私は東京裁判史観の呪縛から完全に解放されることのための理論的な武装が必要だと思います。
櫻井 百地先生、どうぞ。
百地 憲法改正ができなかった理由は二点あると思います。一つは憲法九十六条、つまり三分の一の壁です。これを突破できなかった。昭和三十年、自民党が保守合同したとき、その前後に衆議院選、参議院選ありました。結果は、わずか数議席の差で三分の二越えられず、挫折してしまいました。まずは、三分の一の壁を突破することです。
 もう一つは、国民運動の欠如。護憲派は、戦後体制を守る最後の砦が九条だと思っていますから、必死です。たとえば、共産党系の「九条の会」。全国を回ると、いろいろなところに「九条の会」のビラが貼ってあります。彼らは国会で三分の一の壁を突破される可能性が出てきたと思っているので、国民運動にシフトしています。改正は最終的には国民投票ですから、国会で突破されても、国民投票で改憲を阻止しようと必死にやっています。こちら側も、憲法改正のための国民運動を展開しなければならないと思っています。
櫻井  この九十六条の改正についても国民運動についても、私たち国基研はその最前線に立ち、それを奨励する立場です。皆さん、いっしょに憲法改正に向けての動きを加速してほしいと思います。中條高徳さんが発言なさりたいということです。
中條 職業軍人の経験をしてきた私から見ると、一番の敵は日本人の戦後の心です。自主的な憲法をつくって、自分の手で国を守ると言っていますが、軍人ほど哀しい性はありません。誰だって長く生きたい。しかし、事の急が迫ったときには、生きたい自分を犠牲にして国家国民のために戦う者を軍人と呼んだのです。占領軍は六十七年前、日本を占領したとき、軍人イコール悪という方程式を徹底して日本人に叩き込みました。その方程式をまず解くことが第一です。
会場からの質問 私は中学二年生で、母が会員です。私は小四のときに、公立の小学校で南京大虐殺を教えられました。しかし、私の両親は「決してそんなことはないけれど、学校でそう教えられることは私たちだけではどうすることもできない。ごめんね」と言います。私は学校では一番大切なことが隠されているように思っています。
 そこで質問が、三つあります。一番は、中学生の私の立場で憲法を改正するためにどういうことができるのか教えてください。二番目に、公立の学校で本当のこと、本当の歴史を教えてもらうにはどうすればいいのか教えてください。そして最後に、日本のために日本を守るために私の立場でできること、またしなければならないことを教えてください。
櫻井 「中学生として憲法改正のために何ができるか教えて」と、涙が出る思いで聞きました。まず、お友だちといっしょに日本国憲法を読んで、おかしいねえと思うことを私たちのホームページを見たり、私たちここにいる人たちの本を参考にしたりして、勉強してほしいと思います。自分の本を宣伝するわけではありませんが、私も憲法に関する本を二冊書いています。西先生も、百地先生も書いています。比較的わかりやすい文言で書かれていると思いますので、とにかく今の憲法を読んでみて、たとえば憲法の中に家族を大事にしましょうなんていう条項がないのはおかしいよね、家族って一番大事なのに、というようなところからも、お友だちとこの憲法のおかしさを勉強していただくのがいいかなと思います。
 学校で本当の歴史を学ぶにはどうしたらいいか。これはたいへんに深い問題です。歴史教育から正していかないと、この国はほんとにダメになると考えて、私たち保守派の人間が歴史教科書をつくりました。でも小さな間違いがあったりして、この保守派の歴史教育の教科書をつくる会も分裂してしまいました。ですから、おとなの私たちが今、小異を捨てて大同につき、日本の国益のために、あなた方中学生の未来のために、やっぱり書いていき、勉強して、新しい学校教育をすることだろうと思います。これは私たちの反省点です。
 日本のために何ができるか。郷土の歴史をまず勉強してほしいと思います。日本はすばらしい国で、地域、地域にすばらしい歴史があります。英雄もいます。その人たち一人ひとりがどんなふうに生きて、どんなふうに死んでいったか、何を伝えようとしたかということを学ぶことによって、日本のすばらしさがよくわかってきます。誇りを持てる日本人に育っていただくことが、日本のために一番役に立つことだろうと思います。この国が大好きという思いを大事にして勉強を続けていただければいいなと思います。田久保先生、しめくくりをお願いします。
田久保 皆さま方の熱気、あるいはパネリストの皆さん方、会場の皆さん方の意見を集約すると、日本は曲がり角に来ていて、これからどういう方向に持っていくのか、そのスターティングポイントはやはり憲法にある。憲法改正、あるいは新しい憲法をつくるというプロセスの中で、日本が正しい姿を取り戻していくのではないかという希望が改めて湧いてまいりました。
櫻井 日本国を取り囲む情勢は、ある意味で内外ともに、有史以来の厳しさではないかと思っています。この場面での舵取りを間違えることのないようにしなければなりません。基本となるのは、国家が自分の運命を自分で守る、自分で切り開いていく。その意志と、その意志を担保する力を持つことです。それにはなんとしても日本国憲法の改正が必要です。この一年、二年のうちにぜひ日本国憲法改正を実現させたいと思います。国基研はこの日本国憲法改正の最先端に立って、良い憲法をつくり、誇りある日本、どこに対してもモデルとなれるような国家づくりを目指していきたいと思います。
(紙幅の関係で、今回のテーマと直接的に結びつかないご質問、ご意見などをいくつも割愛させていただきました。お許しください)

西 修氏 国基研理事・駒澤大学名誉教授
百地章氏 国基研客員研究員・日本大学教授
伊藤隆氏 国基研理事・東京大学名誉教授
浜谷英博氏 国基研客員研究員・三重中京大学教授