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2020.06.03 (水) 印刷する

米中経済戦争で注目される対印投資 近藤正規(国際基督教大学上級准教授)

 世界的な新型コロナウイルスの感染拡大と米中経済戦争の激化とともに、世界中の企業の間で中国から他国へ拠点を移そうとする動きが広まりつつある。最近の日経新聞の調査でも、日本企業の7割が海外のサプライ・チェーンの再構築を検討しているという。中国一辺倒になりすぎた多くの企業の有力な移転先として注目を集めつつあるのが、インドである。

 ●中国からの移転を呼びかけ
 インドでは新型コロナウイルスの感染者が20万人、死者が5千人に及んでおり、先行きはまだ予断を許さない状況であるが、いち早く厳しい措置をとったモディ政権に対する国内の支持率は非常に高い。最近ではロックダウン(都市封鎖)の解除も段階的に進みつつあり、大型の経済支援パッケージも打ち出されている。
 この未曾有の危機を外資誘致のチャンスとしてとらえるべきだという声も高まっており、インド政府は中国に投資している外資企業を対象に積極的な投資誘致活動を行っている。すでに米国の企業1000社に投資の呼びかけを行ったほか、一部の報道によるとインド政府がルクセンブルグの面積の倍の工業用地を中国からの移転を考える企業に提供する計画を進めているという。
 インド政府はさらに「メイク・イン・インディア(インドでモノづくりを)」政策の一環として、防衛産業への外資出資比率上限を74パーセントに引上げたほか、6つの空港の民営化、鉱山開発の規制緩和、連邦直轄地の送電会社の民営化、電子機器の生産に関する規制緩和といった施策も打ち出している。
 中央政府だけでなく州政府レベルでも、グジャラート州、マディヤ・プラデシュ州、ウッタル・プラデシュ州の3州が外資企業に労働法を柔軟に適用すると発表したほか、ラジャスタン州、カルナタカ州、タミル・ナドゥ州なども投資誘致に積極的な動きを見せている。これらの州の打ち出した優遇策が将来的にどこまで遵守されるかを懸念する声もあるが、大きな変化であることは間違いない。

 ●米IT大手に積極的動き
 こうしたインド政府の動きと歩調を合わせるように、いち早く大型投資を行っているのが米国の企業である。アップルは委託製造元である台湾の鴻海精密工業がアイフォーンの9割を中国で製造しているが、その2割をインドへ移転する計画を進めている。この計画が実現すれば5年間で4兆円を超す大型投資となり、20万人の現地雇用を創出し、インドがアイフォーンの世界最大の輸出拠点になる。インドはすでに世界で2番目に大きい携帯電話製造拠点となっており、工場の数は200に及ぶ。その流れが加速することとなる。
 4月22日にはフェイスブックがインド最大の財閥リライアンス・グループの携帯部門に57億ドルの巨額投資を行って株式の1割を取得した。両社はインドで最大の人気を誇るSNSアプリWhatsAppを利用して農村のキラナ・ストアとの提携を進める。このことによりフェイスブックはすでに進出しているアマゾンとインドの小売市場で激突することになるが、一方のアマゾンも失業者が急増するインドで5万人の新規雇用を発表している。
 インド農村部のキラナ・ストアにデジタル決済を提供するビジネスにはマスターカードも関心を寄せている。またマイクロソフトはリライアンスと組んで、クラウドデータセンターの建設をインドで進めている。IT産業以外でも、米国の医療機器メーカー大手MedtronicとAbbottが中国からインドへ生産拠点を移管するのでは、と期待されている。
 世界中の多くの企業が四苦八苦するのを尻目に、豊富なキャッシュを抱える一部の米国企業はインドに着実に種を蒔いている。コロナ後にはインドにおける米国企業のプレゼンスに世界中が目を瞠ることになりそうだ。

 ●日本にも投資拡大の好機
 米国企業だけではない。最近ではドイツのCasa Everz Gmbh傘下の大手靴メーカーVon Wellxが全ての靴の生産拠点を中国からインドのアグラに移すことを決定し、これにより直接間接を含めて1万人の雇用創出がインドで見込まれると大きく報道された。
 他方でインド政府は、中国を念頭に置いて<「インドと国境を接する国」がインドに投資すること>に対する規制措置を打ち出した。中国政府はこれに異議を唱えたが、その後もインド政府が中国からの全ての対印証券投資の見直しをすることになったと報道されている。ファーウェイの5G投資についてもセキュリティの観点から検討が続いており、急拡大していた中国企業の対印投資には急ブレーキがかかっている。加えてここに来て中国とインドの国境をはさんだ小規模な衝突も起きており、中印関係は悪化する一方である。
 翻って日本を見ると、日本企業の対印投資は自動車産業関連が主体であることもあって、拡大しようという表立った動きはまだ見られない。生産拠点の中国からの移転先として現在考えられているのは、むしろインドよりもベトナム、タイ、あるいは日本国内であるようだ。その背景には、スズキなど少数の例外を除いて多くの日系企業がインドで苦戦していることや、インドがRCEP(東アジア地域包括的経済連携)の加盟に後ろ向きであることなどがある。
 しかし、これまで保守的な経営方針を貫いてきた日本の上場企業の手元には、合わせて500兆円に上る膨大なキャッシュがあり、絶好の投資チャンスという見方もできる。日系企業がインドの投資優遇措置を利用して中国の生産拠点をインドに移管するとか、株価が一時的に下がったインドの優良企業の株式を取得するといったことは、今後大いに考えられる。中国を念頭に置いた日印関係はこれまでどちらかというと外交と防衛主導の形で進んできたが、この未曾有の危機に際して、経済面でもインドと日本が今まで以上に関係を深める大きなチャンスが巡ってきたことは間違いない。