モンゴル国をはじめ、世界中のモンゴル人の間で今、大きな「ハーン」ブームが沸き起こっている。これは、天皇皇后両陛下がこのほど、7月6日から13日までモンゴル国を国賓として正式にご訪問なさったことによるものである。
天皇皇后両陛下のご訪問
今上天皇はモンゴルにおいて「ジブホラント・エジン・ハーン」と呼ばれている。ジブホラントは「令和」のモンゴル語訳であり、エジンは「主君」を意味する。かつてモンゴル人は、自身の大ハーンに対してこのような尊称を用いていた。しかし、ロシアに端を発する共産主義革命により、モンゴル高原北部および中央アジア東部では1920年代初期から、南モンゴルでは1949年以降にハーンは物理的に消滅させられ、ハーンへの尊崇の念も否定された。ユーラシアにおいては、基本的にチンギス・ハーンの直系の子孫のみが「ハーン」と称されることができたが、チンギス・ハーン本人がソ連によって「侵略者」とされたことに伴い、その子孫に対しても批判と否定が強制された。中国はチンギス・ハーンをモンゴル人から奪い、「中華民族の英雄」として歴史を捏造しているが、これも一種の文化抹消政策である。
このような歴史的背景から、「ハーン」という言葉にはソ連および中国による過酷な支配に対する抵抗の意味が込められている。実際、「我々モンゴルでもハーンの再生を望む」という意見が若い世代から出てきている。
両陛下は、首都ウランバートル近郊にある日本人抑留者の墓地跡をご訪問になり、祈りを捧げられた。この地にはかつて、満洲国や蒙疆政権など南モンゴルに滞在していた日本人一万人以上がソ連によって連行され、強制労働に従事させられた。大統領官邸の一部や国立オペラハウスなどの優れた近代建築は、抑留者たちが過酷な環境の中で血と涙を流しながら築き上げた結晶であり、今では首都を代表する景観となっている。
日蒙共通の悲劇
南モンゴルにいた日本人が北モンゴルへ連行されたという悲劇自体が、日本とモンゴル、そしてソ連や中国との複雑な近代史を物語っている。つまり、1945年以前は南モンゴルの三分の二が日本の影響下にあり、日本と特別な関係で結ばれていた。日本が撤退した後、モンゴル人は民族の統一を希求したものの、大国間で交わされた「ヤルタの密約」によってその願いは葬られた。敗戦国・日本の捕虜と民間人の抑留、そしてモンゴル民族の分断という悲劇は、80年を過ぎた今もなお癒されていない。両陛下のご訪問をモンゴルの人々が温かく迎えた背景には、こうした共通の悲劇が存在していたのである。
共通の悲劇を乗り越えていくうえで、「日の丸の国」のジブホラント・エジン・ハーン(令和天皇)によるモンゴル国ご訪問は、世界史的にも意義を持つ出来事である。(了)