文科省は2026年春から外国人留学生の増加を目的に、大学の定員規制を緩和する方針だと主要メディアが報じた。国際化や高等教育の活性化を掲げるこの政策は、一見すると時代に即した柔軟な対応のように映る。しかし、大学の現状と制度的背景を踏まえると、その拡大路線には、実効性や副作用に多くの疑義が残る。
大学教育の質の低下リスク
まず、大学教育の質の問題がある。定員は本来、教員数、施設、カリキュラムなどの教育資源の配分を前提として設定されるべきであり、いたずらに人数だけを増やせば、教育の質の低下は避けられない。特に日本語力や基礎学力に課題を抱える留学生を多く受け入れる場合、授業内容や特別支援のために進度が調整され、結果的に授業全体の水準を下げざるを得ない事態が起こり得る。これは日本人学生にとっても教育内容の希薄化というマイナスの影響をもたらす。
過剰な大学数と質の低い大学の延命
大学制度そのものの構造的な問題もある。日本には現在、私立大学を中心に定員割れを起こしている大学が多数存在する。2025年時点では、私立大学における「定員割れ」(入学定員充足率100%未満)の大学の割合は 59.2%(354校)に上っており、過去最多である。こうした大学が留学生に頼って定員を満たし、生き残りを図っている状況は、教育機関としての本質を問い直さなければならない。一部では、大学が「教育の場」というよりも「在留資格の取得装置」と化しているとの批判もある。
1990年代以降、規制緩和と少子化対策の名目で大学数が増加したが、18歳人口は減少を続けており、多くの私立大学が定員割れに苦しんでいる。こうした大学は、質の担保よりも定員確保を最優先し、結果として教育の本質が軽視される傾向にある。
一部大学では、留学生数を増やすことで短期的にランキングを上げようとする動きが見られるが、それは根本的な教育改革や制度改善につながらない。真の国際化とは、内実の伴った構造改革に他ならない。
特定国依存のリスクと国際化の形骸化
留学生の出身国が特定の国に偏っていることも看過できない。2024年度外国人留学生在籍状況調査結果(日本学生支援機構)によれば、中国(36.7%)、ネパール(19.3%)、ベトナム(12.0%)など特定国に大きく偏っており、「国際化」の名の下で実現されているのは、むしろ多様性の欠如である。一部の国からの受け入れに依存する体制は、地政学的なリスクに脆弱であると同時に、キャンパスにおける多様な国際交流の機会を限定する結果にもつながる。
さらに、特定国への依存は、ビザ(査証)制度変更や外交関係の悪化といった外的要因に左右されやすく、制度としての安定性を欠く。こうした不安定な依存体制は、高等教育の将来的な持続可能性を損なうものである。
国際競争力の本質的誤認
留学生の「数」を増やすことが、国際競争力の向上に直結するとは限らない。世界の有力大学は、学生数よりも研究力、教育内容、教員の質、多文化共生環境といった指標によって評価されている。にもかかわらず、留学生の「数」をランキングや財政安定の指標として用いる現在の政策は、短期的な見かけの「国際化」を追い求めるものであり、長期的には制度の信頼性を損なう。
今後の政策のあるべき方向
今後の政策のあるべき方向としては、まず、供給過剰の大学制度を見直し、教育・研究資源が脆弱な大学には統廃合や他分野への転換を促す必要がある。大学定員緩和を通じた留学生の大量受け入れは、見かけ上の国際化や大学経営の安定化にはつながるかもしれない。しかし、それを制度疲労の穴埋めや経営手段に用いることは、本末転倒である。
そのうえで、留学生については、学力・語学力の水準を明確にし、一定以上の能力を有する留学生を選抜的に受け入れることで、教育の質とキャンパスの多様性を両立させるべきであり、受け入れ大学には、教育体制や生活支援体制の整備を義務づけ、単なる定員補完の手段としての留学生政策を改めるべきである。
留学生の増加を目的とする大学定員規制の緩和は、教育の質の低下、大学制度の形骸化、外交リスクの高まりといった副作用を伴い、日本の高等教育の真の国際競争力を損なう結果となりかねない。今こそ、数の拡大ではなく質の向上を基軸とした制度設計が求められている。(了)