平成20年12月12日、本研究所企画委員会は元北朝鮮統一戦線事業部幹部・張哲賢氏から金正日独裁政権の権力構造と後継体制の展望などについて話を聞いた。今韓国には約1万6千人亡命者がいるが、労働党中央で勤務した者は黄長燁元書記と張哲賢氏だけであり、黄氏は97年に亡命しているので、最近の権力中枢の動向については2004年に亡命した張氏が最もよく知っているといえる。以下は張氏の話の抜粋である。
北朝鮮の権力構造を考える時には、金日成権力体系と金正日権力体系を分けて考えなければならない。金日成体系は正確には1980年代までだと言える。金日成体系は党と内閣の二つの大きな権力機関で構成されていた。金日成も、東側の他の社会主義圏と同じように、党を中心とした権力構造を作ったが、社会主義発展というスローガンを掲げながら、内閣にも力を与えていた。金日成の側近は党より内閣に多かった。
ところが、金正日が60年代末に党に入り、首領神格化事業を始め、権力を内閣から奪って、党中心主義、党の組織部、また宣伝扇動部中心に再編していった。党の組織部は北朝鮮住民の組織活動の統制、宣伝扇動部は住民の思想を統制して権力の二大山脈となった。
80年代初め以降二つの権力体系が並立するようになった。一つは、象徴的な金日成中心の権力体系で、もう一つは、実質的な金正日中心の組織部唯一指導体系だ。
金日成時代は1980年の第6回労働党大会までのように、形式的ではあるが一応合意を作るプロセスが行われていた。しかし、80年代末、金正日の唯一独裁体制が完成した後は、そのような形式的な合意形成過程もなくなり、ただ一方的な命令で権力が運営されていくようになった。
金日成死後の先軍政治は、300万人が餓死するという状況が起き、人民が非常に動揺を抑えるための厳戒体制だった。
ただ、軍優先は形式だけで、実質的な権力体制、つまり組織部を中心とする金正日の唯一独裁体制に何も変化はなかった。軍が独自に存在しているわけではなく、あくまで党の軍隊として存在している。北朝鮮の軍の最高トップは、労働党組織指導部の第1副部長李英哲だ。組織指導部には、組織担当の第1副部長李済強、行政担当の第1副部長張成沢がおり、3人目に軍事担当の第1副部長李英哲がいる。
金正日独裁は彼が病床でも統治力がある間は続く。金正日が死亡したか、完全に統治力を失った場合にのみ変化が起きる。北朝鮮の権力構造はこれまでずっと一人独裁体制であり、北の住民たちの心理もそれに慣らされてきたので、集団指導体制は成り立ちえない。象徴的な中心点、すなわち後継者を浮上させなければ、秩序を安定させることはできない。
その場合は、必ず3人の息子の誰かになる。私が見るところ、金正男が一番適している。既得権を持っている層が続けて権力を維持するためには、親米でも親韓でもなく、親中しかない。金正男が3人の中で一番親中であり、改革志向的な人物だからだ。中国も金正男をバックアップするはずだ。今、金正男が中国の中を自由に往来できるのも中国のそのような姿勢があるからだ。
300万人の餓死という危機的状況下、98年に金正日から経済分野の権限を与えられた金正男は「中国式の改革開放をやるべきだ」と提言した。金正日はそれを受け入れず「経済の前にまず政治を勉強せよ」と国家保衛部の副部長に任命した。金正男はその頃から海外にたくさん出るようになった。
金正男政権は安定するというのが私の仮説だ。北朝鮮の人民たちはあまりにもひどい生活をさせられているので、今よりも少しでもいい経済生活が保障されるならばそれでいいと当分の間金正男を支持するだろう。
今、金正日は核や拉致問題を解決せず、また改革もしていない。金正男政権が改革をするには、障害になっている核や拉致問題を取り除かざるを得ないので、よい方向に進むと思う。
日本政府は拉致問題を、北朝鮮政府と国家対国家で考えるだけでなく、北の住民たちに、拉致被害者情報を提供すれば金になるということを広く知らせなければならない。
お金に対する欲望は権力中枢部の人間にもある。金正日の病気のため将来への不安心理も権力中枢部に広まっている。そのような中で、「日本人拉致被害者の情報は金になる」という話しが広がれば、情報が出てくる可能性がある。