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2023.08.07 (月) 印刷する

「皇室を支える仕組みの再建を」江崎道朗 評論家・麗澤大学客員教授

評論家で国基研の企画委員でもある江崎道朗氏は、8月4日(金)、国基研企画委員会で皇室の問題について語り、櫻井よしこ理事長を始め参加した企画委員らと意見交換をした。その概要は以下のとおり。

【講話の概要】
明治新政府は近代国家建設に際して、皇室を支え、お守りする仕組みを整備したが、その仕組みは戦後、占領軍によって解体されてしまった。

●皇室を支える仕組みを構築した明治新政府
明治新政府は近代国家を建設するに際して、政治権力を行使する政府と、国家の永続性を表示する君主とを分ける国家体制を志向し、「宮中・府中(行政府)の別」を徹底した。その意図は皇室を政治権力の闘争に巻き込まないようにすることであった。

さらに華族令を定め皇室を支える藩塀として華族を置いた。そして華族を監督する役目を与えられたのが宮内省である。加えて、太政官制度を廃止して内閣制度が創設されると、天皇の常時補佐役として内大臣が新設された。

1889年に大日本帝国憲法と皇室典範が制定されるが、典範と憲法は同等の法体系とされた。これを「典憲体制」という。皇位継承などは憲法に位置づけず皇室典範において定められ、政府や議会の介入を避けた。(皇室自律主義)

●戦後体制下の皇室制度「改悪」
ところが、こうした皇室に関する仕組みは日本敗戦後、占領軍によって解体された。

占領軍の上部組織である極東委員会は1946年7月2日、「日本の新憲法についての基本原則」を決定、皇室民主化の方針が打ち出された。その結果、①国政についての発言権が剝奪され、②新皇室典範は憲法の下位に置かれ、③「宮中・府中の別」は否定され、④皇室自律主義も否定された。

これに伴い、明治時代から整備されてきた皇室関係法令、具体的には皇室令80件、付属法令38件が廃止された。当時の政府は独立回復後、関連法令を再整備するつもりであったが、結局は政府や議会の怠慢で再整備されずに今日に至っている。

また、宮内省は他省庁と同様の一行政機関となり「政府の指示に従う」宮内庁へと変質、格下げされ、その規模も4分の1に縮小された。

皇室を支える藩塀たる華族制度も解体され、十一あった宮家も臣籍降下を余儀なくされた。同様に「皇室と国民の絆」を支える仕組みも解体された。例えば、神道指令により学校及び公的機関から皇室と神道が排除された。紀元節や明治節など皇室祭祀と関連する祝祭日は名称を変更、年中行事で皇室を意識する機会が失われることになった。

●占領政策への抵抗と政府の変質
占領政策により宮中祭祀の法的根拠もあいまいになった。しかし昭和22年、当時の宮内庁は、内部通知(依命通牒)で「従前の例に応じて」事務を処理することとした。つまり、法的根拠がなくても皇室の伝統、慣習を尊重して祭祀を執り行うようにした。

ところが昭和50年の三木武夫内閣で上述の依命通牒が削除される。その背景には政教分離の議論が激しくなったことが影響したようである。続く大平内閣でも昭和54年に「神式のもとにおいて国が大嘗祭という儀式を行うことは許されない」とする内閣法制局長官答弁がなされ、皇位継承の重儀である大嘗祭が行われなくなる恐れがあった。だが平成の御代に際して時の竹下登内閣は皇室の伝統を尊重する立場から大嘗祭を皇室行事として行った。

以上のように、明治の先達が苦労を重ねて築いてきた、皇室を支え、お守りする仕組みが、戦後の占領政策により解体され、再構築されずに現在に至っている。その歴史的経緯を踏まえ、われわれは戦後の宿題、つまり126代にわたって続く皇室を支えお守りする仕組みを再構築する議論を始めたい。

なお、現行の皇室制度の問題点を研究する上で『共同研究 現行皇室法の批判的研究』(皇室法研究会編)などが大いに参考になることを付言しておく。

【略歴】
昭和37年(1962年)東京生まれ。九州大学卒業後、国会議員政策スタッフなどを経て2016年夏から本格的に評論活動を開始。主なテーマは、近現代史、外交・安全保障、インテリジェンスなど。2020年にフジサンケイグループ第20回正論新風賞を受賞。

主な著書に『日本は誰と戦ったのか』(ワニブックス)、『天皇家 百五十年の戦い』(ビジネス社)、『なぜこれを知らないと日本の未来が見抜けないのか』(KADOKAWA)など多数。

(文責 国基研)