朝鮮半島問題研究会分析
一般財団法人 国家基本問題研究所
朝鮮半島問題研究会
北朝鮮急変事態発生の可能性
1.金正日の健康悪化
北朝鮮の独裁者金正日の健康状態が悪い。数年以内に死亡や重病で執務できなくなることが起こりうる。
彼は公称67歳、実際は68歳である。1941年生まれだが、1912年生まれの父親と同時期に10年刻みの生誕記念行事を行うため1942年生まれと偽装している。
以前から糖尿病を患っているが、2008年8月14日頃、脳卒中で倒れた。9月9日の建国60周年軍事パレードに欠席した。その後、明らかに倒れる前のものと思われる写真を近影として公開した。この頃は、姿を公開できないほど重い病状だったと推測される。
2009年1月23日、王家瑞・中国共産党対外連絡部長と会見し、5ヵ月ぶりに姿を現した。3月以降、やせて左手に麻痺があり歩行に若干の困難があるように見える写真と映像が多数公開された。北朝鮮国内でも金正日重病説が噂で広まっている。本研究会メンバーである恵谷治氏は公開された写真の比較分析などにより6月に再度、倒れた可能性を指摘している。
8月5日、クリントン元米大統領と同月16日に現代グループの玄貞恩会長と面会した。クリントン氏は自身の主治医ロジャー・バンド医師を同行させている。1
金正日の健康状態は最高機密であり正確な情報を得がたいが、米国、中国などで以下のような健康情報が伝えられている。
6月18日 中国・環球時報(人民日報系新聞)は、匿名の平壌駐在の外交官の話として、金正日の健康状態が急速に悪化しており、三男の金ジョンウンが後継者になることが確定した、と伝えた。2
7月22日 米太平洋軍ティモシー・キーティング司令官は記者会見で「健康問題があるのは明らかだ。彼は1年前とは別人のようだ」と述べた。
8月17日 東アジア担当の米政府高官はウォール・ストリート・ジャーナル電子版で金正日の健康問題について「いまにも死にそうだという情報は誇張だった」と語った。
2.金ジョンウン後継情報流布と国防委員会強化は金正日の焦りの表明
2009年に入り後継者指名作業開始と国防委員会強化など金正日が健康不安を覚え焦っている表れと見られる兆候がでてきた。
2009年に入り三男金ジョンウンが後継者に内定したという情報が多数流れている。
海外報道が逆流入し、北朝鮮国内で三男後継者説が広がっているが、国家保衛部など公安機関は噂を流した人間への取り締まりを行わず放置している。3 金正日は、2005年後半、後継問題に言及するなという指示を出したと伝えられているから、後継問題に言及することを解禁する新たな指示が出たことになる。4
一方、公式発表はもちろん後継者決定が明記された内部文書も入手されていない。5 70年代後半、金正日に使われたコードネーム「党中央」にあたる呼称も確認されておらず公式決定にはまだ至っていない。しかし、各種情報から金正日が健康不安を覚え、自分の死後の体制を固めるため、後継者指名作業を開始したと見られる。6
やはり今年に入り、国防委員会の委員が倍増されて、軍、軍需産業、工作機関、治安機関の最高幹部と金正日の義弟が結集した。また党と軍に分散されていた武力工作機関が国防委員会の下に統合された。これも、健康不安を覚えた金正日が後継指名作業や危機管理の態勢を整えたと見られる。
2月、金永春人民武力相と呉克烈党作戦部長が国防委員会副委員長に起用された。2月末に、党作戦部、党35号室、軍偵察局が国防委員会の下に偵察総局として統合され、呉克烈同委副委員長が責任者となった。統合された3つの工作機関はすべて武力を持っていることが注目される。対南対日工作などを担当してきた党対外連絡部は格下げされ内閣の下に入れられた。 7 党統一戦線部も格下げされたという情報があるが詳細は不明だ。
4月の最高人民会議で国防委員会の人事増強が行われ、委員を4人から8人に倍増、金正覚軍総政治局第1副局長、朱奎昌党軍需工業部第一副部長禹東則、国家安全保衛部副部長、朱相成人民保安相、張成沢党行政部長(金正日義弟)を新たに委員に起用した。4月10日労働新聞は国防委員会の第1副委員長(1人)、副委員長(3人)に加え委員(8人)の顔写真を異例に掲載した。
1月以降、始まった「第2の千里馬運動」、「150日戦闘」などの大衆動員を基本とする経済建設路線の強調と平壌の都市建設工事、そして4月のミサイル実験および5月の核実験も、中国式改革開放路線に惹かれる勢力に対する牽制ととれる。やはり金正日の健康不安が背景にあると推測される。
3.不安定要素多い金正日死後の後継シナリオ
北朝鮮は金日成生誕百年・金正日70歳の2012年を「強盛大国の大門を開く」と目標にしてきた。金正日はこの年までに後継者を公式に指名するのではないか観測されている。ここにきて金正日の寿命がこの年まで持たないこともあり得る情勢となった。
2012年と後継者への権力委譲のシナリオを整理すると最も不安定なのが、金正日が後継者を公表する前に死亡し国防委員会などが後継者を決めるケースで誰になるかは予断を許さない。後継者と国防委員会の共同政権になる公算が高い。
次に不安定なのが、金正日の健康が悪化するなどの理由で、2012年を待たずに後継者が公表されるケースである。そして、金正日が2012年まで健在で、金正日がある人物を後継者に決め公表するケースが相対的に不安定要素は少ない。
2009年初からはじまった準備作業が順調に進めば、後継者は三男ジョンウンになる可能性が大きい。
しかし、金日成から金正日への継承と比べると、この3つのケースのいずれにおいても不安定要素がかなり多く存在する。後継政権が国内の統制力を失う混乱状況=北朝鮮急変事態が生まれる可能性は排除できない。
4.金日成から金正日への継承との比較
1994年の金日成死亡時にも金正日政権短命説はあったが、金正日政権はいまだに統制力を失っていない。短命説は正しくなかった。しかし、今回は1994年に比べてかなり不安定要素が多い。
そこでまず、金正日が生きているあいだに後継者が公式に決まるケースから検討しよう。
この場合でも、金日成から金正日への権力継承と比較して次の困難点がある。
金正日は、1974年2月に党中央委員会総会で「主体偉業の偉大な継承者」として推戴され、党政治局員に選出された。このとき33歳だ。それから1994年の金日成の死亡まで20年間、父親のカリスマを利用しつつナンバー2として権力行使を行う準備期間があった。その間、金正日はすこしづつ父親から権力を委譲され80年代後半くらいから事実上、金正日主導政権となっていた。
金正日が2012年から20年間生きる可能性はほとんどない。ジョンウンは現在26歳だ。彼は金正日との父子政権時代をほとんど経ずに、人生経験も少ない20歳台で権力を継承することになる。
その上、金正日が後継者に選ばれた1970年代半ば、父の死亡により権力を継承した1990年代半ばの双方と比べて、北朝鮮のおかれた状況は絶望的に悪い。
金正日が後継者に選ばれる直前の1970年代初めまではGNPは北朝鮮が韓国より上だった。冷戦下で中ソが競争的に北朝鮮を支援する構造ができていた。
ところが坂道を転げ落ちるように経済破綻が深化し、ソ連・中国の韓国承認、社会主義圏崩壊で北朝鮮は国際的孤立を深めた。1994年金日成死亡直後から配給がほぼ全面的に止まり人口の15%、300万人が餓死するに至った。その後も配給は復活せず党軍治安機関幹部らを除くとすべての住民が政権の統制の外で「チャンサ(商売)」を通じて生計を維持している。家族の餓死を経験した多くの住民は金正日への支持を弱め、韓国が豊かで自由だという事実は口コミをつうじてかなり広く知られるようになった。住民たちは最近公然と、金日成時代は金正日時代より暮らしがよかったと話している。金正日は権力継承にあたり父金日成のカリスマを最大限活用できたが、金ジョンウンが後継者に選ばれたとしても金正日のカリスマは通用しない。
金正日は大規模餓死が発生した1990年代後半においても、軍と公安機関維持、核ミサイル開発、金正日と側近の贅沢な生活、幹部らへの下賜品、対南政治工作などに使う資金は確保していた。内閣が管理する計画経済とは別に「宮廷経済」と呼ばれる金正日の個人資金を外貨で集めていたのだ。朝鮮総連の不法送金、10年間で約100億ドルにおよぶ金大中・盧武鉉政権からの支援、麻薬・偽たばこ・偽札などの不法利益、ミサイルなど武器輸出等でその外貨が充当されてきた。
その外貨源がいま枯渇し始めている。日本の朝鮮総連への厳しい規制、米国の主導する金融制裁、韓国李明博政権成立などが効いているのだ。これこそが後継者の直面する最大の困難だ。
金正日は完全な個人独裁体制を築いた。金正日以外の幹部は決定権を持たず、ただ金正日の決済したことを実行するだけの役割しかない。幹部から末端の人民まで、金正日に対する反抗心をもっていないか複数のラインで監視され続け、疑わしいと判断されればすぐ左遷、地方追放、政治犯収容所収監、処刑などになる。多くの場合、家族連座制で処罰される。ジョンウンがこのような独裁権力者にすぐになることができるかは未知数である。
5.国防委員会を通じた集団指導体制も不安
そこで、強化された国防委員会が集団指導体制を築き後継者をサポートすることが考えられよう。あるいは、金正日が急死し後継者の決定も国防委員会が行うこともありうる。その場合も不安定要素は多い。
建国以来60年以上、北朝鮮では独裁権力が続いた。一党独裁からはじまり、党内の反対派がほぼ粛正されたあとは、金日成個人独裁、金日成・金正日親子独裁、金正日個人独裁と続いてきた。集団指導体制、すなわち合議で決定を下すという経験を現在の幹部らは持っていない。
国防委員会には党、内閣の金正日側近らが入っていない。例えば、組織指導部で党幹部人事を担当してきた李済強・同部第1副部長、軍幹部人事を担当してきた李勇哲・同部第一副部長、内閣外務省の姜錫柱第1次官ら、国防委員会から排除されている金正日側近たちが、金正日の死後、国防委員会の権威を簡単に認めるとは考えにくい。
後継政権は発足後すぐに大きな選択を迫られる。集団動員方式で経済建設を行い、核ミサイル開発をしつづける金正日路線を踏襲するか。あるいは、中国式改革開放政策を採用し、核開発を中止し国際社会から支援を得るか。
金正日死後に後継者が金正日路線を捨てる可能性はゼロとは言えないがたいへん小さい。したがって、中国と通じる勢力が暗殺かクーデターなどの政変により後継者を排除することが改革開放への路線転換の鍵となるだろう。政変が成功せず、内乱、統制力喪失、無秩序、大規模難民などの事態にむすびつくこともあり得る。
以上の分析から金正日が数年のあいだに急死する場合、金正日が決めた後継者政権、国防委員会による集団指導政権、後継者と国防委員会共同政権のどれも、金日成死後の金正日政権に比べて不安定要素が多いことが分かった。
近い将来、北朝鮮急変事態が起きる可能性は高い。
1 産経新聞2009年8月19日で有元隆志ワシントン特派員が「クリントン氏には主治医のロジャー・バンド氏が同行した。救急医であるロジャー氏の訪朝は、心臓に不安を抱えるクリントン氏の健康管理だけでなく、医師の視点から金総書記の健康状態を間近で観察するねらいもあったといわれている。オバマ政権はすでにロジャー氏から報告を受けたとみられる。ただ、政府高官は外見や写真による観察だけで、金総書記の容体を結論づけることはできないとも語った」と伝えた。
2 金正日の三男の名前の漢字は一般には「正雲」と表記されてきたが、現時点では確認されていない。また、最近「雲」は発音上間違いだという情報が複数出てきている。そのため、本研究会はカタカナ表記とする。
3 脱北者が運営する対北ラジオ「自由北朝鮮放送」が2009年7月作成した内部分析資料。河テギョン「最近、金ジョンウン革命史跡地完工、2007年から後継準備」月刊朝鮮209年7月号。
4 韓国・連合通信2005年12月11日、産経新聞2006年5月1日。また、金正日が2009年8月に入り、後継者問題言及を再び禁止する指示を出したという情報があるが確認されていない。
5 毎日新聞2009年9月8日夕刊が北京発でジョンウン後継を明記した公式文書入手と報道したが、本研究会としてはその真偽を確認できていない。
6 ジョンウンの呼び名としては「セッピョルチャングン(新星将軍)」、「青年将軍」、「金大将」、「親愛なる金将軍」などが伝えられているが、確定的ではない。
7 韓国・連合通信2009年5月10日報道。本研究会は複数のルートでこの情報を確認した。これらの組織改編は2009年2月25日に出された金正日の指示「225マルスム」によるとされる。なお、対外連絡部はこの日付を取り「225」と呼ばれるようになったという。