公益財団法人 国家基本問題研究所
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提言

2009.01.23 (金)

文民統制と田母神問題

平成21年1月23日
一般財団法人 国家基本問題研究所

文民統制と田母神問題

 
 国基研は田母神前航空幕僚長の解任で問題になった「文民統制」について、近現代史研究者の堀茂氏を企画委員会に招いて勉強会を重ね、以下の見解を平成21年1月23日にまとめました。
 
【要旨】
1.政治もマスコミも文民統制(シビリアン・コントロール)という言葉を乱用している。文民統制は国際社会でも未だ明確な定義や概念は確立されていない。
2.我が国では「文官統制」が文民統制とされ、恣意的に利用されている。文民統制の本質は政治統制であり、その主体は政治家であって、文官(いわゆる「背広組」の官僚)ではない。また、軍事に対する政治優位であり、国家の軍事政策の最終決定権を政治が有しているという意味である。
3.政治主導でROE(交戦規定:武器使用基準)を整備しなければならない。
4.「田母神問題」は、文民統制とは無関係である。政府は「村山談話」を自衛官の思想統制や言論統制のための踏み絵にしている。
5.外交力と軍事力は密接に連動している。政治は憲法改正を急ぎ、自衛隊を国軍として位置づけ、戦略的外交力を構築しなければならない。
 
 
【本文】
1.戦後、文民統制ほど、独り歩きした言葉はない。昭和25年の警察予備隊創設にあたり、米国から初めてシビリアン・コントロール(civilian control)という言葉を聞いて、日本人はなんのことか解らなかったようだ。いまでも、誰が何を統制するのか、何が何について統制されるのかについて、それぞれ恣意的な解釈が横行している。
 そもそも、この概念を体系化したのはハンチントンである。だが、ハンチントン自身、シビリアン・コントロールを中心問題とする政軍関係は「アメリカ・リベラリズムという基本的前提から引き出された仮定や信念の雑念とした、体系化されていない組み合わせである」(1) とも言っている。
 歴史をみてみよう。ヒトラーは合法的に政権を獲得した後、司法権と軍の統帥権を掌握、議会を閉鎖し、秘密警察、強制収容所を設置し、国民を圧迫しつづけた。同様にスターリンも秘密警察と強制収容所の設置で国民を迫害し、トロツキー、キーロフ等の共産党幹部やトハチェフスキー等の軍幹部を大量に粛清した。  
 ヒトラーやスターリンは独裁者ではあったが、両者とも文民なので統制の主体となり、政治優位の中で文民統制は機能していたと言える。毛沢東、金正日もこの範疇に入るともいえる。これらは、文民統制は機能したものの国家を破滅させた例である。
 文民であっても、軍人以上に軍国主義にのめり込んでいる人物が政権を獲得すれば、文民統制は機能しても軍は政治の道具となり、国家全体は軍事最優先となる。我が国においても選ばれた文民のなかから軍国主義に傾斜しているリーダーが出れば、文民統制を利用して軍を出動させる事態も可能性としては考えられる。
 我が国では、文民統制の前提は民主主義国家であることのように考えられているが、独裁国家や共産主義国家でも達成し得る概念であり、その意味や内容は幅広い。また、民主主義国家の文民が軍を統制しても、軍ではなく文民が暴走する可能性もあることは認識しておかなければならない。文民統制は、かかる危険も内包している。
 我が国の文民統制は政治やマスコミの分野で明確な概念規定なしに使用されているので、その意味や内容は人によって千差万別である。ときに文民統制は「水戸黄門の印籠」化し、問題(例えば制服組の発言)がある度にこの言葉が誤用され、制服組を平伏させてきた。
 これは、戦前の「統帥権の独立」という、議論の多かった概念と表裏である。統帥権の法的根拠は、大日本帝国憲法第11条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、及び第12条の「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」であった。
 上記の2条項が意味するところは、むしろ政治の軍への介入を防止することであった。帝国憲法制定前には、まだ強力ではなかった軍隊を議会や政党勢力から防御するという意味と、西南戦争等の政治闘争から軍隊を隔離するために、軍隊の非政治化や中立化を企図したといわれている。
 問題は第12条であった。当時から軍の「編制」「常備兵額」が、政府が関与できる国務事項(軍政)なのか、それとも関与できない統帥事項(軍令)なのかは議論が分かれていた。
 昭和5年、浜口内閣がロンドン海軍軍縮会議で補助艦の日米英の比率を軍令部の反対にも拘わらず決定したことに対して、政治、マスコミ、軍部などが「統帥権の干犯」として世論を煽った。浜口首相は右翼青年に狙撃され、それがもとで死亡した。
 第12条の「編制」「常備兵額」はともに「統帥事項」であり、「統帥権の干犯」であると非難されたのである。当時野党であった政友会の鳩山一郎や犬養毅らは、軍令部と呼応して政府決定を非難し、統帥権は政争の具に供された。
 ちなみに、浜口を狙撃した青年は警察の取り調べで統帥権の意味を理解できていなかったという。このように当時の日本でも統帥権という言葉の意味は曖昧であり、憲法上でも様々な解釈があった。この条項は帝国憲法の欠陥であった。
 米国製「シビリアン・コントロール」の概念とプロシア製「統帥権」の概念はいずれも外国製で、我が国にそのまま導入した際に生起した適応異常だった。
 
 
2.防衛法の権威で元陸将補の宮崎弘毅氏は、文民統制が「文官統制」にすり替えられた経緯について以下のように指摘している。
 Civilian SupremacyをCASA(占領軍総司令部民生局別室:警察予備隊設立を主導したGHQの組織=引用者補)の二世通訳が「文官優位」または「文官統制」と訳したため、日本側の警察予備隊創設担当の人々に「Civilian」の概念について根本的な誤解を与えてしまった。すなわちそれらの人々は、警察機構において内務官僚が警察を統制する「警察官僚統制」と同じような感覚で、非警察官である予備隊本部の職員が警察官で構成されている総隊総監部を統制するという「文官優位」または「文官統制」が「Civilian Supremacy」、「Civilian Control」であるとするように理解してしまったのである。(2)
 これには感情的な背景もある。内務官僚や外務官僚にとっては、戦前、軍が「統帥権の独立」を錦の御旗として独走し、ロンドン海軍軍縮会議での決定も「統帥権干犯」の名のもとに反古にされそうになった苦い経験があったからだ。戦後はその反動として「文官統制」の下で自衛隊の「独走」を押えるとの発想になったと考えられる。戦前の軍隊と自衛隊との構造的相違は無視されている。    
 内局の背広組は実力部隊である制服組に対して優越的な関係を維持しようとし、一方制服組にはこれに対する反発があった。このことは以下の栗栖弘臣元統幕議長の発言でも明らかである。
 防衛庁長官に対して軍事情勢判断を報告するというのは内部部局がやるのです。(中略)(統幕議長は=引用者補)総理に対する軍事情勢の報告も、もちろんありません。(中略)いまの内局の考え方は、「あらゆるものは内局だ」というものです。(3)
 その後、両者の対立には是正の動きがみられるものの、制服組は自分の専門領域を確保することに専念する傾向になった。この、一見背広組が優位に立ちながらも、制服組との「棲み分け」(4) 関係が成立していたことが、文民統制が「文官統制」であるという理解を一般化してしまった一因かもしれない。
 『防衛白書』(平成20年版)では、「終戦までの経緯に対する反省もあり、自衛隊が国民の意思によって整備・運用されることを確保するために、旧憲法下の体制とは全く異なり、(中略)厳格な文民統制の諸制度を採用している」(5) と記され、近年の一連の不祥事により、さらに「現代的文民統制のための組織改革」として「官邸の司令塔機能の強化」と「防衛省における司令塔機能強化」(6) が謳われている。
 防衛白書を要約すれば、我が国の文民統制とは下記の4点となる。

① 国会によるコントロール
② 文民である国務大臣による自衛隊の指揮
③ 安全保障会議への諮問
④ 防衛大臣補佐官(参事官に代わり今年度から制度化)による大臣補佐統合幕僚監部への文官登用(7)

① 国会によるコントロールは予算の審議権や行政への監督権を意味するが、これらと軍(自衛隊)に対する統制とは次元が異なる。国会は国権の最高機関であり、国家の軍事政策に関する最終意思決定機関である。統制の主体は政府である。
② 政府は軍(自衛隊)各幕僚長の罷免権を持っている。だが、航空幕僚長の個人的な歴史認識問題で、更迭や馘首することは文民統制とは無関係である。これは、むしろ人事権の乱用であり軍人(自衛官)への言論統制でしかない。
③ 安全保障会議はほとんど有名無実で、平成19年度の開催はわずか6回にとどまった。かつて、制服組トップの統合幕僚会議議長は参加を許されたが、求められた場合にのみ答える存在であった。防衛白書には安全保障会議の「一層の活用」は明記されているが、具体策は不明である。
④ 従来の参事官に代わる「防衛大臣補佐官」の設置である。「補佐官」は民間からの登用も想定されているが、非常勤では大臣への常時サポートも出来ず、ポストが形骸化する可能性がある。また、従来背広組が担当してきた「作戦運用の実行」が、運用企画局の廃止により統合幕僚監部で行われるようになったのは一歩改善である。だが、統合幕僚監部への文官登用も明記されており、真に機能強化とつながるかどうか不明である。
 
 今後、制度は変わると予想されるが、依然、政治による内局への「統制不足」と、内局による制服組への「統制過剰」は続くであろう。過大な権限を制服組に行使している背広組への統制こそ、いま必要である。
 福田康夫前首相は、自衛隊の栄誉礼を受けず、辞任直前には自衛隊高級幹部会同自体を欠席した。インド洋に派遣された海自艦艇の帰国行事にも出席しなかった。自衛隊最高指揮官として、また文民統制の主体としては重大な責任放棄である。
 
 
3.我が国への武力攻撃が発生しても、内閣による防衛出動が発令されなければ、自衛隊は武力行使が出来ない。防衛出動下令前に可能なのは、武力行使(自衛権行使)に至らない「武器使用」しかない。
諸外国同様に、政治主導で有事だけでなく平時からのROEを予め作成することが、喫緊の課題である。これは、国を守る政治の義務である。勿論、その最高責任は、内閣総理大臣にある。
 ところが、歴代政権は軍(自衛隊)が暴走しないよう過度に抑制し続けてきた。つまり、歴代政権は実際には使えるシステムを持たない自衛隊を、さらに動けないようにしてきたのである。それを「厳格な文民統制」(防衛白書)と考えるのは倒錯した認識である。
 
 
4.今次の田母神俊雄前空幕長の更迭は、本来の文民統制とは全く無関係の問題である。この論文は、氏個人の歴史認識に基づいたもので、学術論文というよりは評論に近い。学問的に精査して正鵠を射ているか否かを論ずるのは的外れである。   
 これはひとえに田母神氏個人の歴史解釈にかかわることである。田母神氏更迭を是とするならば、政治は「村山談話」を否定しているすべての自衛官を更迭か罷免しなければならないことになりかねない。この影響は自衛隊の教育に対する有形無形の規制という形で、既に進行しつつある。
 主権国家の軍事行動が「自衛」であったか「侵略」であったかという二分法で割り切るのは、無知としか表現のしようがない。因果の関係こそ重要であり、その点を軽視する戦後日本の歴史解釈こそ問題である。歴史の解釈権があたかも閣議にあるとするかのような考えは、傲慢の謗りを免れない。政治主導で先ずすべきことは、「村山談話」の見直しである。
 
 
5.外交力と軍事力は密接に連動している。政治は憲法改正を急ぎ、自衛隊を国軍として位置づけ、戦略的外交力を構築しなければならない。我が国の政治と軍事の関係、つまり「政軍関係」は、正常ではない。自衛隊は国内で正式な軍隊と認められていないが、海外では軍隊として見なされるねじれた存在である。国内法では自衛官は行政官であり、文民統制は行政による行政官への統制となる。敢えていえば、文民による文民への統制ということである。
 本来、行政組織としての防衛省と実力組織である軍(自衛隊)は別物である。軍は官僚的組織ではあっても、行政組織ではない。しかし、両者が一体化しているところに我が国の問題がある。「文官統制」と誤解されている我が国の文民統制は、防衛省・自衛隊という同一組織内での内部統制に過ぎない。
 主権国家にとって、国防のための軍事組織とその戦略が必要なのは言うまでもないが、我が国では憲法で「戦力」保有が否定されながら、「必要最小限度」の防衛力を整備してきた経緯があり、国益のために軍事力を利用するという外交戦略がなかった。
 外交力と軍事力は、国益のための両輪である。軍事力の前提のない外交が意味をなさないことは歴史が証明済みだ。強力な軍事力は他国の侵略を防ぐ抑止力になるだけでなく、外交における武器となる。
政治は、軍(自衛隊)を統制することも重要だが、さらに喫緊の課題は軍事的脅威に備え、外交・軍事戦略を樹立することである。その大前提としての憲法改正を急ぐべきである。肝心の国家として果すべき役割を忘れて、お門違いの些事にかまけている愚を知らなければならない。
 


(1) S.P.ハンチントン『軍人と国家(上)』(原書房、2008年)1頁。
  Cf. .防衛庁人事教育局教育課『シビリアン・コントロール(資料集)』(1981年)14頁。この中では、ハンチントンを引用して「シビリアン・コントロールという概念はかつて満足に定義されたことはない」と記している
(2) 宮崎弘毅「防衛二法と文民統制について -防衛法シリーズ(3)-」『国防』(朝雲新聞社、1977年)99~100頁
(3) 栗栖弘臣『私の防衛論』(高木書房、1978年)165~166頁 
(4) 廣瀬克哉『官僚と軍人』(岩波書店、1989年)263頁
(5) 防衛省『平成20年版 日本の防衛-防衛白書-』(ぎょうせい、2008年)93~94頁
(6) 同上 296~297頁 
(7) 同上 297頁