19日で日米同盟が60周年の還暦を迎えた。50周年の2010年1月には、日米修好通商条約批准のために江戸幕府が派遣した訪米使節団が宿泊したワシントンDCのウイラードホテルで、米戦略・国際問題研究所(CSIS)主催の記念セミナーが行われ、筆者も参加した。
当時は、鳩山由紀夫首相の普天間飛行場移設先に関する「最低でも県外」発言や、インド洋で燃料補給活動に従事していた海上自衛隊の撤退などに対する米側の不満から相当厳しい雰囲気が予想されていたが、参加者は流石に日米の長期的戦略ビジョンに沿って建設的な意見交換が行われたことを覚えている。
初日はオープン・セッションとして部外からの参加も認めたが、総計260名が参加し、その人達は最後まで帰ることはなかった。日本関係でワシントンにおいて、これほどの参加者を集めることができるセミナーは稀であり、当地での関心の高さを感じた。
●血と汗を流す関係なのか
同盟は生き物であり、連綿不断の相互努力によって初めて継続が可能である。
1902年に締結された日英同盟により、日本は日露戦争に辛勝した。そして第1次世界大戦でドイツの無制限潜水艦戦に英国が困っている時、日本は第2特務艦隊を地中海に派遣、駆逐艦「榊」乗組員をはじめ78名が戦死している。これらの戦死者は地中海のマルタ島の墓地に埋葬されている。現在の日米同盟は、憲法上の制約から、こうした血と汗を流す関係にはなっていない。
トランプ米大統領は「日米同盟は、日本が攻撃された時には米国は兵力を出して助けるのに、米国が攻撃されても日本は何もしなくていい。彼らは家でソニーのテレビを見ていられる」と言っている。
日本の識者の多くは「日本は基地を提供し、受け入れ国支援金を出しているから日米同盟は不公平ではない」と言う。しかし、筆者はそうした人達にこう問いたい。あなたには子供がいますか?手塩にかけた子供達を戦場に送って、場合によっては戦死させることと、基地(施設)や金は等価ですか?と。
日米地位協定が他の米同盟国の地位協定に比し不平等なこと、受け入れ国支援(ホストネーション・サポート)が他の米同盟国に比し突出して手厚いことは、全て日本が交戦権を持たず、単独では防衛義務が行使できないことに起因している。
●日本として為すべきこと
日米同盟50周年から、この10年の変化の一つとして、米国がシェールオイルを開発し、中東への石油依存が大幅に低下したことが挙げられる。米軍は中東から撤退しても良さそうなものなのに、何故カタールのアル・ウデイドに広大な空軍基地を、またバーレーンに第5艦隊を維持しているのか。トランプ大統領もこうした基地の撤退について一切言及していない。
昨年9月、同盟国サウジの石油施設がミサイルとドローンで攻撃されたとき、米国は反撃をしなかった。ペルシャ湾内の米軍基地は、同盟国イスラエルの防衛というよりも、ペルシャ湾岸に石油の大半を依存している東アジアの同盟国の立場を考えてのことではないだろうか。
野党が言うように、米イラン関係が悪化してペルシャ湾海域が危険になったからといって日本が海上自衛隊の派遣を取りやめたなら、米国は同盟国日本についてどう思っただろうか。