昨年、『核武装と知識人—内閣調査室でつくられた非核政策—』(岸俊光著)が勁草書房から出版された。現在の日本の核政策は、1964年の中国初の核実験を受け内閣調査室が識者を結集して纏め上げたとする内容である。
中でも、核政策の骨幹となったのは、内閣調査室の機関紙『調査月報』が1970年5月に巻頭論文として掲載した「日本の核政策に関する一考察」(以下内調論文とする)で、作成の中心は「カナマロ会」、即ち東京工業大学教授の垣花秀武、同永井陽之助、ジャーナリスト出身で軍縮問題に詳しい前田寿、国際文化会館調査室長の蠟山道雄(肩書は当時)の各氏の頭文字をとった研究会である。
この論文が公表されてから今年で50年が経つ。当時と比して変わった事、変わらない事を挙げて、今後の日本の核政策について考えて見たい。
●トランプ政権は「自分でやれ」
当時、中国は核実験にこそ成功したものの、米国まで届く大陸間弾道弾(ICBM)は保有していなかった。しかし現在はICBMを大量に保有しているばかりではなく、北朝鮮までが核実験に成功し、ICBMを保有する段階にまでさしかかっている。当時のソ連は崩壊したが、ロシアはソ連の核戦力をそのまま受け継ぎ、現在では弾道ミサイル防衛システムでは迎撃困難な超音速滑空ミサイルまで戦力化している。
内調論文が、非核政策が妥当とした理由の一つに、同盟国米国の反発による国際的な孤立であった。しかし、現在のトランプ政権は「自国の安全保障は自分で行え」とするスタンスであり、日本が核兵器保有に踏み切ったとしても、明確な反対姿勢は示さないものと思われる。
その他、技術的に困難、あるいは相当な時間がかかるとされていた核分裂性物質製造やミサイル誘導装置の開発、それに財政的負担などの問題は、現在、相当程度解消されている。
●この50年の変化チェックを
内調論文で日本の核武装が技術的に不可能とした最大の理由は、日本国内で核実験ができないことであり、この事実は今日でも変わらない。また、核武装についての国民的合意の確立は著しく困難としている点や、日本は人口密集地帯が多く1発の核兵器に対しても脆弱であることも変わりはない。
こうした中でも永井氏や前田氏との対談で、旧海軍出身の軍事評論家である関野英夫氏は、「もし米国に孤立化傾向が出てきたとき、少なくとも日本の自衛に関して、日本がもっと大きな責任を負うべきだという考え方が米国では強くなってくると思う」とし、「潜水艦による最小限度10発、しかも十分に相手の攻撃から残存できる非脆弱性を持ったものであれば数百キロトン級の核弾頭が十発あれば相当抑止効果がある」と述べている(237〜238頁)。
内調論文から50年後の今日、不変と変化の事象をチェックし、日本の核政策を再検討する必要があるのではないか。