「残された親世代は横田早紀江さん1人になった」
この言葉は昨年、北朝鮮による拉致被害者有本恵子さんの父、有本明弘さんが亡くなってからよく聞かれるようになった。
恐らくこう言う人は、家族であれ議員であれ、あるいは支援者、また報道関係者であれ、事態が切迫していることを訴えたいのだろう。しかし、あえて言いたいのだが、この言葉は二つの意味で危険である。
政府認定拉致被害者以外の切り捨て
私は拉致被害者の家族会が結成された平成9(1997)年以来、拉致被害者救出のための民間団体「救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)」の活動を通して、拉致被害者横田めぐみさんの母、横田早紀江さんと一緒に活動してきた。だから、一刻も早くめぐみさんを早紀江さんの元に返したいという思いは誰にも負けないつもりだ。しかし、拉致被害者の親世代は1人ではない。たまたま政府が認定した拉致被害者の親世代が横田早紀江さんだけということである。政府認定に準ずる(国籍上、現在の法律では政府認定にならないが、警察は拉致であるとしている)いわゆる「警察断定」の高敬美・剛姉弟の母、渡辺秀子さんは生死不明だ。
松本京子さんが拉致被害者と認定された平成18(2006)年以来19年間、政府の不作為でただの1人も認定されていない特定失踪者(それは私たち特定失踪者問題調査会のリスト470人だけでなく、それを含んだ警察の900人のリスト、そしてそのほかも含む)の中には、まだ多数の親世代がいる。失踪原因が拉致でなくて国内で見つかるケースもあるが、少なくとも拉致被害者の親世代が1人でないことは間違いない。
「親世代は1人だけ」という言葉を聞くたびに、特定失踪者家族は見捨てられた思いを強くする。それは親世代のみならず、兄弟姉妹でも子供でも同様だ。報道には多くの場合「政府認定拉致被害者の中で」とか「家族会メンバーの中で」と言う但し書きが付くが、それは慰めにも言い訳にもならない。この言葉を使う人はそのような心の痛みを感じる人がいることを忘れないでいただきたい。
運動が終息する危険性
「残りが早紀江さんだけ」という言葉にはもう一つの危険性がある。高齢の横田早紀江さんの身に何かあれば拉致被害者救出の運動自体が終わったことにされてしまう可能性があるということだ。
実際、北朝鮮側にはそれを期待する向きもあるようだし、永田町や霞ヶ関にも同様の思いを持っている人間はいるだろう。しかし、この問題は国家の問題である。たとえ兄弟姉妹や子供の世代までいなくなっても、国家として拉致被害者を救出する責任がなくなるわけではない。
今、参院選の最中だが、拉致問題についての議論はほとんどなされていない。消費税もコメも関税も大事だろう。中国の脅威も問題であることは分かる。しかし、拉致問題は被害が出てから何十年も、人によっては半世紀以上も放置されているのだ。もちろんその責任の一端が30年近く救出運動に関わりながら結果を出すことのできていない自分にもあることは言を俟たないが。
「親世代は1人だけ」という言葉は使うべきでない。その意味を1人でも多くの方に知っていただきたいと思うのである。(了)