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2021.04.02 (金) 印刷する

グローバル化とナショナリズム 施光恒・九州大学教授

施光恒・九州大学大学院比較社会文化研究院教授が3月26日(金)国家基本問題研究所企画委員会にオンラインで参加、「グローバル化とナショナリズム」について講話し、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと意見交換した。

●自由民主主義の観点からも言えるナショナルなものの大切さ

まず、ここで言う「ナショナルなもの」とは、愛国心、国民の連帯感、相互信頼や帰属意識などを指す。

グローバル化の波を受け、1990年代半ば頃から英語圏の政治理論の分野でもナショナルなものの再評価を試みる動きがでてきた。「リベラル・ナショナリズム論」と称される潮流である。この潮流は、自由、平等、民主主義、少数者の保護などのリベラルな理念を大切にする政治を行うためには、社会の基盤としてナショナルなものがしっかり備わっていなければならないと主張する。

例えば、英国オックスフォード大のD・ミラー教授は、平等という理念の実現に必要な再分配的福祉制度ひとつにしても、国民の相互扶助や連帯意識というナショナルなものがなければ成立しないと説く。つまり、自由で民主的な国家が発展する基礎にはナショナルなものが必要なのである。共通の言語や文化や歴史観の共有の意義を論じる際も、こうしたリベラル・ナショナリズム論の知見は有意義である。公教育で愛国心を教えることの必要性も、自由民主主義の観点から考えることができる。

地理的な面では、上記のようなリベラル・ナショナリズム論と梅棹忠夫らが展開した「海洋国家論」を組み合わせれば、次のようなことが言えるであろう。西欧や日本のように伝統的に人の移動が比較的少なく、文化や慣習、伝統といったものが安定的に継承されやすい環境こそが、自由民主主義の土壌に適している。人々の間に連帯意識や相互信頼の念を育みやすいからである。反面、中国やロシアなどの大陸国家は人の移動が多く、民族、文化、宗教などが多様かつ移ろいやすく、人々の間に連帯や相互信頼の意識が生まれにくい。こうした環境では、自由民主主義の政治は根付きにくい。 

●グローバリズムへの懐疑

さて、グローバリズムとは、国境の垣根を低くしてヒト・モノ・カネ・サービスなどが自由に動き回れるようになる現象、およびそれを促進しようとする考え方のことである。「グローバル化」の名の下、資本の国際移動が自由に、つまり企業活動が国境を越えるようになり、そこで様々な問題が惹起された。国内での経済的格差の拡大、民主主義の機能不全、国民意識の分断などである。

グローバル企業の影響力が政府の力を凌駕するまでになると、各国の経済政策は企業有利になびきやすい。資本移動の自由の拡大のため、グローバルな投資家や企業の政治的影響力が増大してしまうためだ。各国の一般国民の声よりも、グローバルな投資家や企業の声が各国政府に届きやすくなってしまう。そのため、例えば、「法人税は下げるが消費税は上げる」、「『国際競争力』強化のため、労働者の賃金上昇は抑えなくてはならず非正規雇用を増やす」などの国民本位ではない経済政策がどうしても取られる傾向が出てくる。

そのため、フランスの歴史人口学者E・トッドが指摘するように、グローバリズムへの懐疑という現象が、いま各国で起こっていると言える。

●より良き日本への方策

わが国が目指すべきは、「グローバル化」ではなく「国際化」を旗印とした世界秩序の構築である。つまり、国境線を取り払い、国民意識を希薄化させる帰結を招くグローバル化の果ての世界秩序を理想とするのではなく、各々の文化や伝統、言語を大切にする多数の国々が共存共栄する世界秩序を理想として掲げるべきである。「グローバル化」「グローバリズム」に対置されるべきは「孤立主義」や「鎖国主義」ではなく、イスラエルの政治哲学者Y・ハゾニーが述べるように「多数の国々からなる秩序」を良しとする「国際主義」なのである。

各国が、自国の文化・伝統・言語などを大切にするとともに、同じように他国の文化や伝統、言語も尊重する。そして積極的に交流し、違いを尊重しつつ学び合う。そのような国際社会こそが、いま求められている。

そのためにも、わが国は「グローバル化」「グローバリズム」と「国際化」「国際主義」を概念的に区別し、現行のグローバル化路線を修正すべきである。また、「ナショナルなもの」へのアレルギーをなくし、日本の国柄を議論し、日本人の活力を発揮できる日本らしい経済社会システムの構築を目指す試行錯誤を再び始めるべきではないか。

【略歴】
1971年、福岡市生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科を経て英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了(法学博士)。専門は政治理論・人権論・政治哲学。

著書に『リベラリズムの再生--可謬主義による政治理論』(慶応義塾大学出版会、2003年)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(集英社新書、2015年)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書、2018年)などがある。

(文責 国基研)