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2024.04.08 (月) 印刷する

「ウクライナ情勢と国際の安全保障」 倉井高志・前駐ウクライナ特命全権大使

倉井高志・前駐ウクライナ特命全権大使は、4月5日国基研にゲストスピーカーとして来所し、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと意見交換をした。

ロシアに都合4回勤務し、ウクライナには2021年10月まで勤めたのち退官された倉井大使は、翌年単著『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』を出版された。今回は外交官としての経験に基づき、ウクライナとロシアの歴史的関係から現状分析まで、示唆に富むお話を伺った。すべてを網羅することはできないが、概要を以下に記す。

【概要】
●ウクライナとロシアの歴史認識の分岐点:国家としての一貫性と正教の血脈
ウクライナの歴史は9世紀のキーウ公国成立に始まる。988年に正教を受容し、ここからウクライナ正教の血脈が開始される。10世紀から11世紀にかけて最盛期を迎え、最大版図となるが、1240年にモンゴルに侵攻され大公国が終焉、その後は1991年にソ連邦崩壊に伴い独立を果たすまで、一時的な独立を除き基本的に他国の支配下に服することとなる。

大公国終焉後の1261年に、キーウ大公国の一部から独立したモスクワ公国が成立、これが今日のロシアにつながる。この経緯をもってロシアは、キーウ大公国の終焉によってその政治も宗教の血脈もすべてモスクワに移ったと考えている。他方ウクライナは、大公国が終焉してもキーウ公国は別の形で存続し続けたのであって、正教の血脈もロシアに移ってはいないとの理解に立っている。国家としての一貫性と正教の血脈がどちらに流れているのかという問題が、両国の歴史認識における根本的な相違となっている。

●ウクライナの頑強な抵抗力の源泉:ウクライナ人としてのアイデンティティ
ロシアの全面侵攻に対し、端的に言ってウクライナの人々は逃げ場がなく、戦うよりほかに選択肢がなかった。

ただそれだけではなく、ウクライナ人がかくも頑強に抵抗し続ける背景には、ロシアとの歴史的関係の中で形成されてきたウクライナ人としての強固なアイデンティティがある。ウクライナはロシア帝国の時代から、またソ連時代、さらに独立後においても、常に「ロシア化」の圧力や物理的な迫害を受けてきた。ロシア帝国時代のウクライナ語使用制限やロシア語の強制、スターリン時代のホロドモール(穀物の強制収奪による人為的大規模飢饉)、シベリア等への強制移住、近年では2014年のクリミア併合、ドンバスへの軍事介入という歴史の上に、今回の侵略がある。この歴史の中で、ロシアの思惑とは真逆に、ウクライナ人としてのアイデンティティが強化されていったのである。

●ロシアの強引な侵攻の背景:プーチン大統領個人の支配欲と驕り
戦争を始めたのはプーチン大統領個人の判断だ。そこには彼に特有の安全保障観、歴史認識がある。ただいずれも侵略の正当化という意味では荒唐無稽だ。NATO拡大というが東欧や旧ソ連の国々はロシアの圧迫から開放され西側世界の一員になりたくてNATO加盟を求めたのであって、NATOが強引に引き入れたのではない。ロシアはウクライナのNATO加盟を懸念したというがウクライナを近い将来加盟させる用意はNATOにはなかったし、第一ドンバスで紛争が続いている限りウクライナのNATO加盟はあり得ない。

にも拘わらずプーチン氏は侵攻前にドンバスの2「共和国」の独立を承認する挙に出た。独立を認めることはミンスク合意の一方的破棄に等しく、また逆にウクライナのNATO加盟の障害(領土紛争)の緩和に寄与することを意味する。

さらに軍事的にも、ソ連邦崩壊後に改革を繰り返し小規模紛争に対応するコンパクトな部隊編成を構築してきたロシア軍の流れに全く逆行する形で、日本の1.6倍もあるウクライナ全土を一気に制圧するかの動きにでた。

今回の侵攻にはいくつも非合理な点があるが、結局のところプーチン氏自身の支配欲、20年以上続いた最高権力者の驕りに起因すると考えなければ、説明がつかない。

●停戦はロシアを利するだけ
大統領に就任して以降、ゼレンスキー大統領がロシアとのやり取りの中で学んだことは第一に、ロシアとの関係では譲歩は譲歩で返ってこない、逆に一層強い態度に出てくるということ。もう一つは、ロシアに対する表現や形容の仕方でロシアの方針が変わることはなく、ロシアは彼らの戦略観から国益に資するか否かで判断するということ。

今日、ウクライナは「停戦はロシアを利するのみ」として関心を示していない。これは2014年以降10年間続いたロシアとの戦争の実体験からくるものであって、決して想像で言っている訳ではない。

ポロシェンコ前大統領は2014年9月のミンスクⅠを守ってドンバスの一部地域に「特別の地位」を認める法律を直ちに成立させた。ところがウクライナ側の期待に反し、ロシアは軍を撤退させなかったのみならず、逆に大攻勢をかけてきて、ウクライナにとってさらに不利な形で結ばざるを得なくなったのが翌年のミンスクⅡである。

また2020年7月、「29回目の停戦」が合意された。それまで停戦は28回破られてきたのだが、29回目の停戦は珍しく良く守られ、停戦破りは少なかった。ところがその間ロシアが行っていたのはウクライナ国境周辺への部隊配備であったのである。それが今回の侵攻につながっていく。

ロシアとの関係で停戦が何を意味するか、ウクライナは実体験で知っている。決して停戦自体を否定している訳ではない。意味のある停戦あるいは終戦が行える状況を作りだそうとしている。

●今後の戦況は
直近の戦況は、ロシアが攻勢でウクライナが防勢。いまウクライナに絶対的に必要なのは砲弾と防空システム。最近欧州がかなり砲弾供与を増やし防空システムの供与に動いているが、すべては米国による予算成立如何にかかっていると言って良い。上院を通過した600億ドル支援(うち武器調達に340億ドル)の予算審議が近く開始されるとの情報もあるが、何としても通してもらいたい。米国の支援さえ維持されれば、2025年の後半頃までにはロシアの方が疲れてくるのではないかと見ている。

一方ウクライナも欧州も、トランプ政権誕生をも想定した準備を開始しているようである。ウクライナは砲弾やドローン等の自国生産を加速し、ロシア領内の石油精製施設等への攻撃を続けている。またこれまでウクライナとの戦闘上の関係を直接的には認めてこなかった反プーチン・ロシア人勢力からなる部隊を「積極的に支援」すると言い出した。

欧州でもトランプ政権誕生の可能性を想定し、簡単に進むとは思わないが、対ウクライナ支援の構造的な強化が求められる状況を奇貨として、より自律的な防衛態勢の構築を目指す動きが出始めている。マクロン・フランス大統領が最近、「ウクライナへの部隊派遣の可能性を排除しない」云々と発言し、また対ウクライナ支援の強化に向けたイニシアチブをとっているのはこのような背景があると考える。

●グローバル・ガバナンスを壊してはならない
最後に、今回のロシアの行動はグローバル・ガバナンスを棄損する行為であり、すでに国連安保理の機能不全は現実のものとなっているが、今後さらに核拡散の問題につながっていくことが懸念される。独立直後のウクライナは世界第三位の核保有国であったが、消極的安全保障(NSA)の表明と、国境の尊重等を規定する1994年のブダペスト覚書を受けて核兵器をすべてロシアに移転させた。今回ロシアはブダペスト覚書を完全に無視したのみならず、ウクライナに対し繰り返し核による威嚇をしかけている。ウクライナの中には核放棄は間違っていたとする論者が増えている。国際的にも、核不拡散体制のほころびがますます目立つようになるだろう。

【略歴】
京都大学法学部卒業後、1981年外務省入省。欧州局中東欧課長、国際情報統括官組織参事官、在大韓民国公使、在ロシア特命全権公使、在パキスタン大使を経て、2019年1月~2021年10月まで駐ウクライナ特命全権大使を務め、同月帰国。著書に『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(2022年、PHP研究所)、共著に『戦後の誕生』(2022年、中央公論社)ほかがある。

(文責 国基研)