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2025.01.14 (火) 印刷する

『二つの史観から東京裁判を顧みる ―田中隆吉と丸山眞男の「遺産」―』 牛村圭・国際日本文化研究センター教授

新年早々のゲストスピーカーとして牛村圭・国際日本文化研究センター教授が、1月10日(金)、国基研企画委員会にて戦後80年を契機に「二つの史観から東京裁判を顧みる」と題して講演し、その後企画委員らと意見交換をした。

牛村教授の講演概要は以下のとおり。

【概要】
・東京裁判の概要

東京裁判とは、戦前戦中日本の国家指導者や高位の軍人の戦争犯罪を連合国が裁くことを企図した国際軍事法廷のことである。1946年5月3日(開廷)から1948年11月12日(刑の宣告、閉廷)まで行われた。

「戦争犯罪」とは「戦争は犯罪である」の意ではなく、戦争に関わる国際法規違反のことをいう。東京裁判の法的起源である「ポツダム宣言」第10項に「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」とあるように、この裁判は当初「(通例の)戦争犯罪」を訴因とすると予想されていた。

だがマッカーサー名で交付された裁判の事実上の枠組みとなった「極東国際軍事裁判所憲章」では、「通例の戦争犯罪」に加え「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という新しい法概念が訴因の大枠とされた。「人道に対する罪」はユダヤ人(その多くはドイツ国籍を持つ)を虐殺したナチスを裁くためにニュルンベルク裁判に向けて新たに作られたもので、事後法との批判は絶えない。また英米法でも議論のある「共同謀議」理論を持ち出して「平和に対する罪」を立証しようとしたことに対してなど、東京裁判に疑念を抱く者は少なくない。

・裏面で裁判に大きな影響を与えた田中隆吉
陸軍兵務局長を務めた田中隆吉が裁判の裏面で果たした役割は大きかった。国際検察局(IPS)が田中に目をとめたのは、陸軍の内情を暴露した著書『敗因を衝く-軍閥専横の実相』(1946年1月)ゆえである。IPSは情報収集のため戦争犯罪人容疑者はもとより多くの日本人に予備尋問を実施した。そこで田中は大いなる情報提供者となった。たとえば軍務局長だった武藤章は、フィリピンから送還され尋問を受ける前に、田中の尋問調書の内容に基づき被告に加えられたほどである。

田中は尋問の中で「武藤は最も強硬な日中戦争支持者として知られていた」「1941年頃の日本の政治は実質武藤が支配していた」「東條より武藤に責任がある」などと証言した。その結果、武藤は訴追されたに止まらず絞首刑判決を受ける。それはなぜか。判決では、武藤は、スマトラの近衛師団長、フィリピンの第14方面軍参謀長として現地住民の虐殺に責任があるとされた。スマトラやフィリピンでの虐殺事件が既成事実であると法廷で認定された以上、被告の誰かがその罪を負わねばならなかった。武藤以外には被告のなかに当地の関係者がいなかったため、武藤は無理やり責任を擦り付けられたと考えるのが妥当である。

顧みて、田中隆吉が連合国にとって都合の良いインフォーマントになり、本来無関係の武藤という軍人を戦犯として処刑台に送ったと解することができよう。

・丸山眞男が提示した東京裁判論
田中隆吉の「史観」が東京裁判のプロセスを作るのに手を貸したとするならば、閉廷後に東京裁判の見方をもっとも初期に決定づけて国民へ広めた張本人は、丸山眞男であろう。彼の論考「軍国支配者の精神形態」(『潮流』1949年5月号)は、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」を特徴とする日本人戦犯には「矮小性」が見られるとし、その責任回避の様相から「無責任の体系」という今日よく知られている表現を作り出した。また、日本人被告の「矮小性」は、無法者のナチス戦犯の明快さと好個の対象であるとも論じた。

「軍国支配者の精神形態」は、両軍事裁判の速記録を利用したことなどをもって猪木正道などから高い評価を得たのだが、両軍事裁判の速記録を丹念に読み解けば、日独双方に共通点も多く見出せ、丸山の主張は説得力が欠けることが分かる。さらに、南京事件の責任を問われた松井石根大将の「責任を回避するものではない」という法廷での発言を削除して引用するなど、恣意的な史料操作まで行っている点は到底看過できるものではない。

占領下で丸山眞男が評価された背景には、敗戦が生み出した困苦の日々の責任を負うべき者を作って糾弾するという戦後日本の風潮と符合したものを見て取れる。

・「パル判決」の重み
東京裁判で「全被告は起訴状の意味においては無罪」という判定を下したインドのパル判事の個別意見書(「パル判決」)は、歴史を正しく解釈する術をも教えてくれている。東京裁判は「復讐の欲望を満たすために、法律的手続きを踏んでいるようなふりをするもの」「儀式化された復讐」にほかならないと断じている箇所などは、武藤章への「判決」を痛烈に批判するものとも読めよう。

田中隆吉と丸山眞男が提示した「二つの史観」、これを読み解き東京裁判への理解を深化させることは、戦後80年を迎えようとする現代を生きる我々日本人に必要なことではないだろうか。

【略歴】
1959年、石川県金沢市生まれ。1983年、東京大学文学部(仏語仏文学)卒、同大学大学院(比較文学比較文化)、シカゴ大学大学院(歴史学)博士課程修了。博士(学術)。専門は比較文学、比較文化論、文明論。
カナダ・アルバータ大学客員助教授、明星大学助教授などを経て、2007年より国際日本文化研究センター教授。2001年『「文明の裁き」をこえて―対日戦犯裁判読解の試み』で第10回山本七平賞受賞、2008年、第2回重光葵賞受賞。
その他の主な著書に『ストックホルムの旭日-文明としてのオリンピックと明治日本』(中公選書119、2021年)、『「戦争責任」論の真実-戦後日本の知的怠慢を断ず-』(PHP研究所、2006年)、『「勝者の裁き」に向きあって-東京裁判を読みなおす』(ちくま新書、2004年)など。 (文責国基研)