キャノングローバル戦略研究所の山下一仁・研究主幹は1月5日、国家基本問題研究所で、「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の論点 TPPお化けの正体と農業再生」のテーマで語り、同研究所企画委員と意見交換した。
TPP参加以外に選択肢はない
この中で、山下研究主幹は、TPPに対する基本認識として 1)日本が今のペースで経済成長すると、2020年には一人当たりGDP(国内総生産)が韓国、台湾に追い抜かれる。それを防ぐためには海外と結びついて、もう一段高いレベルの成長をする必要がある 2)貿易の利益は基本的に消費の利益にあるが、被害を受ける農業や輸出産業が儲かるという生産者サイドの話が中心になっている、と述べ、日本にはTPP参加以外に選択肢はないと強調した。
また、世に流布するTPP反対論に対し、以下のような反論を展開した。同主幹の主な反論は次の通り。
TPPはアメリカの陰謀説
米国が日本市場を奪おうとしているというが、アメリカの全輸出に占める日本の割合は5%に過ぎない。これをどんなに増やしてもアメリカの全輸出が倍増するものではない。TPP参加8カ国に対するアメリカの輸出の方が、対日輸出よりも大きい。むしろアメリカにとって日本からの工業製品の輸入増につながる可能性がある。事実関係は、TPP反対論の主張とは逆である。菅政権がTPPに参加したいと言い出しただけで、アメリカが日本に参加を求めてきたわけではない。アメリカの議会や労組・産業界は日本のような工業製品の輸出国からの輸入が増えることを警戒している。予想したとおり、日本の参加表明に早速自動車業界は反対の意思を表明した。
アメリカの農産品については、トウモロコシや大豆はすでに関税なしで日本に輸出しているので、状況は何も変わらない。アメリカの牛肉や豚肉業界は、関税の撤廃やBSE問題の解決を期待するだろうが、障害が除去され、牛、豚肉の対日輸出が増えると、家畜のエサとなるトウモロコシの輸出が減ることになり、差し引きすると、食肉業界の付加価値分しか増えない。
公的医療保険が破壊される
公的医療保険などの政府によるサービスは、そもそもWTO(世界貿易機関)・サービス協定の定義・対象外である。これまでの自由貿易協定でも対象としていない。先進国で国民皆保険が実施されていないのはアメリカだけで、日本はオーストラリアなど他の加盟国と共通の立場にいる。アメリカのオバマ政権もこれはひどいとして見直そうとしたのであり、外国にアメリカの制度を押し付けるとは考えられない。混合診療については、米国は2006年に関心を示したのみで、主要要望項目ではない。混合診療は、国内で未承認の医薬品を使うと、それ以外の治療費もすべて自費負担になるというがん患者等の訴えから起きている議論であり、単なる「米国の理不尽な要求」ではない。医療についての外資規制はない。すでに台湾や韓国の医院が活動。将来的には外国人医者の参入の可能性は否定できないが、アメリカの医者が過重労働の日本に参入するかどうか。い。
地方自治体の政府調達が開放され、地方の中小土木・建設会社が打撃を受ける
すでに我が国はWTOの政府調達協定(GPA)でTPP参加国以上の開放を実施。TPPのような複数国間の協定では、参加国が共通の義務を負うことが基本。日本だけがGPA以上の義務を負い、アメリカがバイアメリカンで義務を免れることなどあり得ない。アメリカは50州のうち37州でしかWTOで約束していない。日本に開放要求がきたら、「ジョージア州の政府調達をすべて開放せよ」と言えば、アメリカは立ち往生する。連邦政府の権限は州内の通商活動には及ばない。
遺伝子組み換え食品について規制が撤廃されるという主張
どの国も安全性が確認された遺伝子組み換え食品しか流通を認めていない。各国で規制が異なるのは、安全だとして流通を認めた遺伝子組み換え食品についても表示の義務付けを要求するかどうかである。日本、EU、米国とみな立場が違う。国際的な基準作成について合意ができていない。豪州、ニュージーランドもアメリカのような表示制度には反対の立場である。日本の規制が見直されるとは考えられない。
ISDS(国対投資家の紛争解決)条項で外国企業に訴えられ、規制を変更させられる
問題視されている案件は、国有化に匹敵するような「相当な略奪行為」があり、且つ外国の企業を差別したもの(例えば、環境規制と称し、化学物質の国内生産は禁止せず、海外からの輸入だけを禁止)。仲裁裁判所は金銭賠償のみで規制変更を命じない。すでに日本が中国やタイ等と結んだ24の協定に存在する。これまでは問題視しなかったのに、なぜTPPの時だけ反対するのか。例えば、いまでもアメリカのタイの子会社が日本に投資した際、タイと日本の自由貿易協定の投資章を活用して、日本政府を訴えることが可能だが、行ったことはない。
ガソリンの有毒添加物に対するカナダの規制(エチル事件)が、米国企業の訴えで撤廃させられた、との例が引き合いに出されるが、実際は違う。カナダ連邦政府が規制を作る際に州政府の意見を十分に聞かなかったとして、国内の裁判で州政府に敗訴したために規制を撤廃した。カナダの規制自体、ガソリン添加物の使用や国内生産を禁止せず、海外からの輸入と州を越えた取引のみを禁止する、内外差別の疑いが濃いものだった。国内敗訴を受け、カナダ政府は國際仲裁で争うのをやめて和解に応じた。米国企業がカナダやメキシコを訴えたケースで米国企業が勝ったのはわずかである。
農業問題ではない、農協問題だ
関税を下げても、アメリカやEUがやっているような直接支払い方式で農家を保護すれば、農家は困らない。しかし、農協は農産物の価格が下がると、販売手数料が減収となり、農協が困ることになる。本当はTPPと農協問題であり、だから農協は医療業界や土木業界を巻き込んで反対運動を展開している。政治家も、農業票を失う恐怖心から農協には反対しにくい。特に小選挙区制下での接戦の場合、農業票はたとえ少なくなったとはいえ、選挙結果を左右しかねかねない懸念がある。
(文責・国基研)