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2016.01.22 (金)

【政策提言】 歴史認識に関する国際広報体制を構築せよ

平成28年1月21日
公益財団法人国家基本問題研究所

政策提言

歴史認識に関する国際広報体制を構築せよ

 
事実無根の反日キャンペーンが国際的に拡大し続けている。その結果、国連が間違いの多い慰安婦調査報告書を出し、米国などの各国議会が事実に反する決議を行ない、各地に慰安婦像などが建ち、ユネスコ歴史遺産や記憶遺産などで事実に反する日本非難が公式化されるに至った。日韓政府が慰安婦問題の「最終的な解決」で合意したが、その際、国連や国際社会で相互批判を自制すると約束し、反日キャンペーンへの事実に基づく反論がよりやりにくくなったのではないかと憂慮される。

問題の根源は事実関係に踏み込んだ反論を外務省が一切してこなかったことにある。本研究所はこれまで〈「河野談話」の検証はまだ終わっていません〉(平成26年7月19日)〈「慰安婦」国際中傷を跳ね返せ〉(同年9月21日)、と題する2本の意見広告を大手新聞に出すなど、この問題に精力的に取り組んできた。

しかし、戦略的な対外発信を行うと公約している安倍政権は、事実上、外務省に任せきりで、一番肝心の事実に踏み込んだ反論の発信を怠っている。国家次元で大規模に展開されてきたキャンペーンの悪影響を払拭するには、やはりわが国も国家次元で事実に基づく反論を体系的かつ持続的に展開するべきである。そのために以下の政策を提言する。

  1. 政府は、「事実関係に踏み込んだ体系的歴史認識の国際広報」を担当する専門部署を外務省とは独立した形で設置し、わが国の立場を正当に打ち出す国際広報を継続して行う。
  2. 国会は、事実無根の反日キャンペーンへの反論を政府の任務とする仮称「わが国の名誉を守るための特別法」を制定する。
  3. この間、国際的反論を行ってきた民間専門家がより一層、活発に活動できるように、国際広報における官民協力体制を築く。

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【政策提言】 歴史認識に関する国際広報体制を構築せよ

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◇ ◇ ◇

解説

歴史認識は他国の干渉を許してはならない国家・民族の独立を支える支柱だ。ところが、1980年代初めから以下のような3つの理由が絡み合って、事実無根の日本を非難する反日歴史認識が外交を阻害し、わが国の名誉と国益を大きく傷つけてきた。すなわち、第1に日本国内の反日マスコミ・学者・運動家が事実に反する日本非難キャンペーンを行ない、第2にそれを中国と韓国両政府が正式な外交問題にして「内政干渉」的要求を押しつけ、第3に外務省はその不当な要求に対して事実に踏み込んだ反論をしてこなかった。この結果、まず謝罪して道義的責任を認め、人道支援の名目で、すでに条約・協定で解決済みである補償を再び中途半端な形で行なったため、問題をさらに悪化させることとなった。

このうち、第1の日本国内の反日キャンペーンについては、激しい論争を経て、一昨年、朝日新聞が慰安婦報道の誤報を認めたことなどもあって、正しい認識が国内ではかなり行き渡るようになった。ただし、その論争はあくまでも民間レベルでなされたもので、外務省をはじめとする政府は傍観しつづけた。1 国内の反日勢力は、90年代はじめから国連や米議会などに議論を持ち込み、日本国内の論争を知らない国際世論を欺いて日本非難を続けた。2

第2の中国と韓国の反日外交は1982年の第1次歴史教科書問題から始まり3、90年代に本格化した。中国人と韓国人の反日感情は戦争や統治の経験のない世代がむしろ強い。これは反日感情が歴史的経験よりも、80年代以降、中国と韓国が以下のような経緯で行ってきた政治宣伝により多く起因すると見られる。4

中国共産党は、80年代、改革開放政策に必要な多額の経済協力資金を得るために反日を外交交渉に使った。その一方で、共産党独裁を覆すような風潮が蔓延することを防ぐため、この時期から「南京大虐殺」や靖国神社のいわゆる「A級戦犯」合祀を突然問題にし始めた。5

90年代に入り、反日の主な目的が日本からの資金獲得よりも共産党独裁維持のための政治宣伝に重心が移った。天安門事件やソ連東欧共産圏の崩壊で独裁体制維持の危機感を深めた中国共産党は、市場経済を導入したため階級敵(地主、富農、右派など)を国内に作り出して糾弾する手法が使えなくなり、日本(軍国主義)を糾弾すべき敵として設定する政治宣伝を本格化した。天安門事件後の90年代江沢民時代に国内で組織的な反日教育を開始するとともに、歴史問題で日本を外交的に責め続けることを国策として決め、世界規模の反日組織ネットワークを構築した。6

韓国は80年代はじめ、全斗煥政権が冷戦下での軍事協力を名目に日本に多額の経済協力を申し込み拒否された中、初めて歴史問題を外交化し、経済協力獲得の圧力として使った。盧泰愚政権も中国共産党と足並みをそろえつつ、反日を外交カードとして使って日本から資金や技術援助を受け取った。7 同じ頃、北朝鮮は経済開発で韓国に負けたことが明白化したので対南工作の政治宣伝を共産主義の優位から反日民族主義に移した。すなわち、韓国は親日派を処断せず、親日派だった朴正熙が権力を握り、過去清算をうやむやにしたまま日本と国交を結んだ一方、北朝鮮は抗日運動の英雄・金日成が建国し、親日派を処断し、反日民族主義をつらぬいたから、正当性は北にあるという「反韓史観」を韓国に拡散させた。8

90年代に入り、金泳三政権が竹島問題での一方的な日本非難を開始し、「反韓史観」に汚染された世論に迎合して支持率を上げる手段として反日を使い始めた。この頃から日本からの支援を得る手段ではなく国内の世論に迎合して支持率を挙げる手段に反日が利用されるようになった。9

以上のような経緯で、事実無根の反日キャンペーンが国際的に拡大し続けている中、わが国では戦略的国際広報を掲げる安倍政権が成立した。しかし、外務省は国際広報を強化するという名目で平成27年度に500億円もの巨額の予算を確保しながら、過去30年以上の歴史問題の国際広報がなぜ失敗したのかという根本的な反省を行わず、いまだに事実関係に踏み込んだ反論をしていない。その結果、安倍首相の靖国神社参拝に対して米国政府までもが「失望した」との見当外れの見解を公式に表明したばかりか10、米国など各地に慰安婦像などが建ち、ユネスコ歴史遺産や記憶遺産などで、立て続けに事実に反する日本非難が公式化されるに至った。

問題の根源は事実関係に踏み込んだ反論を外務省が一切してこなかったことにある。11 安倍政権になってもその状況は変わっていない。一昨年10月、外務省はウェブページの「慰安婦」(英文版「Issue known as “Wartime Comfort Women”」という項目に新たな文書「慰安婦問題に対する日本政府の施策(平成26年10月)」を日英両語でアップした。これが日本政府の慰安婦問題に関する最新の見解だ。そこでは、日本政府が、河野談話以降繰り返し「心からのお詫びと反省の気持ちを表明してきた」ことと、アジア女性基金を通じて「元慰安婦の方々に対する償いの事業」を行ってきたという従来からの2つの主張だけしか記されていない。

外務省は朝日の誤報謝罪を受けて、いわゆる「クマラスワミ報告」の訂正を求め、また、米国民間会社発行の高校用歴史教科書の事実に反する慰安婦記述の訂正を求めたが、具体的にどの様な訂正を求めたのかを公開していない。それどころか、吉田清治証言が虚偽だと判明したことさえ、公式に広報していない。これでは国際社会の誤解は解けるはずがない。ところが、外務省やそれに近い専門家らは、自分たちが調べもせずに先に謝罪したというオウンゴールを犯しておきながら、その責任を回避して、「相手がゴールポストを動かしているため問題が解決しない」などという言い訳を繰り返している。12 また、複数の外務省OBは南京事件や慰安婦問題に対する反論を「歴史を否定する開き直り」などとして公然と非難している。13

平成27年末、慰安婦問題について日韓両政府が「最終的かつ不可逆的な解決」で合意した。慰安婦問題が外交問題化した契機は、日本マスコミの誤報と日本政府の安易な謝罪だった。問題の真の解決には、両国が「慰安婦は戦時下の貧困による悲劇だという不都合な真実」に向き合うことが不可欠だったが、今回の合意はそれがない。関係改善のための外交的譲歩であって、後世に禍根を残す恐れがある。日本にとっての慰安婦問題解決は、虚偽によって傷つけられた日本国の名誉回復なしには実現しない。ところが、今回、国連などでの相互批判自制を約束してしまった結果、国際社会での事実に基づく反論までもができなくなるなら合意は真の問題解決をむしろ妨げることになる。

本来なら、クマラスワミ報告20周年を迎えて開かれる今年(平成28年)の国連人権理事会に働きかけて、新たな調査官による慰安婦問題に関する再調査の実施を実現させることを外交の緊急課題とすべきだ。しかし、現在の外務省にそのような問題意識は見られない。戦略的な対外発信を行うと公約している安倍政権は、事実上、外務省に任せきりで、一番肝心の事実に踏み込んだ反論の発信を怠りつづけている。

内外の反日勢力は30年以上の年月をかけて虚偽まみれの反日キャンペーンを展開してきた。悪意を持って国家次元で大規模に展開されてきたキャンペーンの悪影響を払拭するには、わが国も国家次元で事実に基づく反論を体系的かつ持続的に展開するべきである。国際誤解を正す国民運動をおこし、国会や地方議会にも議員連盟をつくって、反日勢力の虚偽宣伝と戦うべきだ。少なくとも今後10年以上、対外広報の柱に歴史認識における反論をすえるべきだ。そのために上記の政策を提言する。
 
 


1 1982年の第1次教科書問題、1992年の慰安婦問題が日本国内の虚偽キャンペーンの典型だ。前者については西岡力『日韓誤解の深淵』(1992年)、後者については『朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会報告』(2015年)http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokuritsukensyouiinkai20150219-C20150227.pdf などを参照

2 たとえば、「性奴隷(セックススレーブ)」という用語は反日活動家である日本人弁護士が1992年国連人権委員会に慰安婦問題を提起する際に最初に使った。西岡力『増補版よくわかる慰安婦問題』(2012年)などを参照。

3 中国政府、韓国政府が国交正常化後、外交交渉に歴史問題を持ち出したのはこの時が初めてであった。中華人民共和国政府は1972年から10年間、韓国政府は1965年から17年間、歴史問題を外交に持ち込むことはなかった。また、中華民国政府は日本と国交があった期間に一度もそのようなことはしなかった。通常の国家間関係においては過去の歴史は条約や協定により清算され、その後は外交問題にはならない。歴史教科書記述や戦没者追悼方式などは純然たる内政問題だ。

4 韓国の「反日感情」が作られたものであるという点については現代コリア編集部「韓国における「反日感情」の実態は何か」(『現代コリア』2001年9月号、10月号、12月号、2002年1・2月号)に詳しい。

5 南京大虐殺記念館(正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)は1985年に開館した。中国政府は、1985年8月中曽根康弘首相の靖国神社参拝に対してA級戦犯合祀を理由に抗議した。しかし、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしたときには、全く抗議を行わなかった。

6 中国共産党は1994年8月、「愛国主義教育実施綱要」を発表した。これは学校教育分野だけでなく、映画やTV、記念建造物や博物館など社会全体で反日政治宣伝を行うことを定めたものだ。
同年12月、日本の戦争責任を追及する米国、カナダ、香港を中心とする30余の中国系、韓国系、日系の反日団体が結集して「世界抗日史実維護連合会」(Global Alliance for Preserving the History of WWII in Asia)略称「抗日連合会(Global Alliance)」が結成された。江崎道朗『コミンテルンとルーズベルトの時限爆弾』(2012年)は、この組織が「愛国主義教育実施綱要」と軌を一にするものと主張している。
1998年8月には、外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で江沢民主席が「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなくてはならない」と指示を出した(『江沢民文選』2006年)。

7 全斗煥政権の経済協力を得るための手段としての反日外交については、西岡力「韓国版極左史観が生む反日と嫌韓の連鎖」(『月刊正論』2015年7月号)に詳しい。盧泰愚政権のそれについては当時、日本経済新聞ソウル特派員だった鈴置高史が「韓国の経済閣僚にインタビューした際に『技術移転や、貿易赤字問題に日本が協力しないと、韓国人の反日意識が高まろう』と経済閣僚が述べた。私が『そろそろ反日は経済面では逆効果になる』と意見を述べると、その部分の発言を撤回した」というエピソードを伝えている(『現代コリア』1993年1月号)

8 「反韓史観」については1996年に北朝鮮研究の泰斗であった李命英成均館大学教授(当時)が指摘している(李命英「韓国の「反韓」史観」『現代コリア』1996年12月号)。2004年、前年まで国定だった中学、高校の国史(韓国史)教科書が検定に変わると、「反韓史観」に基づく歴史教科書が多数でまわるようになった。それに対して2005年1月、教科書の健全化を目指す「教科書フォーラム」が良識派学者らによって組織された。同フォーラムの中心メンバーの一人である李栄薫ソウル大学教授はその歴史観を次のように要約した。
《宝石にも似た美しい文化を持つ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派たちが大手を振った時代だった。日本からの解放はもう一つの占領軍であるアメリカが入ってきた事件だった。すると親日派はわれ先に親米事大主義にその姿を変えた。民族の分断も、悲劇の朝鮮戦争も、これら反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も、また1960〜70年代の朴正熙政権も、彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても、肝心の心を喪ってしまった。歴史においてこのように正義は敗れ去った》(『大韓民国物語』2009年)

9 金泳三大統領の反日については西岡力『コリア・タブーを解く』(1997年)参照

10 米国政府は「アメリカ政府は日本が隣国と関係を悪化させる行動を取ったことに失望している」(駐日アメリカ大使館「Press Release」より2013/12/26)という表現を使った。すなわち、参拝自体に失望したのではなく、その結果として隣国との関係が悪化することに失望を表明したのだ。

11 註3で指摘した中国、韓国が初めて歴史問題を外交化した1982年の第1次教科書問題の際、外務省は内政干渉に屈してはならないと抵抗した文部省などを抑えて、検定基準の改定を実現させた。中国、韓国の抗議は、日本マスコミの誤報を根拠にしていたにもかかわらず、外務省はその点を指摘する反論を行わなかった。
ほぼ唯一、外務省が事実関係に踏み込んだ反論を試みようとしたのが、1996年の慰安婦問題に関するクマラスワミ報告に対する長文の反論文書を配布した事例だ。しかし、関係国国連代表部に文書が配布された後、その文書を取り下げられ、事実関係の反論を除いて日本はすでに謝罪し償いをしているという内容の文書に差し替えられた。幻の反論文書の主要部分は西岡力『朝日新聞「日本人への大罪」』(2014年)に収録されている。

12 日中・日韓関係の現状の比喩としての「ムーブ・ザ・ゴールポスト」論は、宮家邦彦氏が『産経新聞』2013年7月25日のコラム「【宮家邦彦のWorld Watch】参院選後の安倍外交」で初めて提唱したものと見られる。その後、この議論は拡散し『21世紀構想懇談会報告』の日韓関係を論ずる部分にも採用された。

13 「河野談話」「村山談話」作成過程に深く関わった外務省高官である谷野作太郎氏は「日本の名誉を取り戻す」動きについて次のように批判している。
《歴史をどう解釈するか。そこには色々な見方があってよい。しかし、近年、国内の一部の風潮として「日本の名誉を取り戻す」として否定しがたい「歴史」を否定したり、これに正面から向き合わず「慰安婦など、皆、カネ目当てだった」「南京事件などでっち上げ!」などと開き直ったりする。近現代史について史料を渉猟しようとすると、「自虐史観だ。怪しからぬ。止めておけ」とも。
このような発言が、国際社会から見れば、実は「日本人の名誉」を最も深いところで傷つける結果となっているということを、分かってほしいと思います。》
(ダイヤモンド・オンライン2015年8月13日)
2012年まで駐韓大使だった武藤正敏氏は2015年に出版した『日韓対立の深層』で慰安婦問題に関して事実に基づく反論をしてはならないという主張を以下のごとく明言した。
《日本が注意すべきポイントは、「狭義の強制性はなかった」という主張は決してしないことです。なぜならその主張は、かえって国際社会に「過去の非人道行為を反省していない」との不信感を植え付け、ますます韓国側に同情を集めてしまいかねないからです。この問題の対応は、世界がどう見ているかという視点で考える必要があるのです。》(23-24頁)その上で、資料はないが軍による強制連行があったかもしれないとさえ主張している。
《そもそも、軍による「強制性」がなかったと言い切れるかどうか。資料がないというのは理由になるのか。軍人による強制連行を資料として残すとも考えられません。また、「絶対になかった」と明確に否定できる証拠にしても見つかることはないと思います。》(54頁)
元外務省の宮家邦彦氏も慰安婦問題や南京事件で事実に基づく反論を政府が行うことを以下のように否定して、外務省を擁護している。
《過去の「事実」を過去の「価値基準」に照らして議論し、再評価すること自体は「歴史修正主義」ではない。しかし、そのような知的活動について国際政治の場で「大義名分」を獲得したいなら、「普遍的価値」に基づく議論が不可欠だ。いわゆる「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」について、歴史の細かな部分を切り取った外国の挑発的議論に安易に乗ることは賢明ではない。
過去の事実を過去の価値基準に照らして再評価したいなら、大学に戻って歴史の講座をとればよい。逆に、過去の事実を外交の手段として活用したければ、過去を「普遍的価値」に基づいて再評価する必要がある。歴史の評価は学者に任せればよい。現代の外交では普遍的価値に基づかない歴史議論に勝ち目はないのだ。》
(宮家邦彦「中韓の広報戦略は限界に日本は世界の共感を得る広報文化外交を」WEBマガジン『WEDGE Infinity』2015年5月25日)
外務省OBの岡本行夫氏は2007年米下院での慰安婦決議当時、民間人が事実に基づく反論の意見広告を出したことに対して、次のように否定的に述べている(『産経新聞』2007年7月23日)。
《慰安婦問題について米下院で審議されている対日謝罪要求決議案。昨年4月末に安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた。しかし日本人有志が事実関係について反論する全面広告をワシントン・ポスト紙に出した途端、決議案採択の機運が燃えあがり、39対2という大差で外交委員会で可決され、下院本会議での成立も確実な状況になった。
正しい意見の広告だったはずなのに何故なのか。それは、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっているからである。過去の事象をどのような主観をもって日本人が提示しようとしているかに焦点があたっているからである。日本人からの反論は当然あるが、歴史をどのような主観をもって語っていると他人にとられるか、これが問題の核心であることに留意しなければならない。》

 

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政策提言 「歴史認識に関する国際広報体制を構築せよ」 発表

平成28年1月21日