ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻懸念が高まる中、米国のバイデン大統領はロシアのプーチン大統領との昨年末の電話会談で、軍事侵攻すれば厳しい制裁で応じると警告した。バイデン政権が検討中と伝えられる対ロ制裁の目玉は金融制裁で、ロシアの大手銀行などのドル決済を禁じる案が有力だが、ロシア側はすでに「脱ドル」の布石を打っている。バイデン政権は制裁効力を損なわないために、欧州のみならず日本にも同調を求める可能性がある。対岸の火事では済まされない。
ドルは世界の基軸通貨であり、国際取引されるカネ、モノ・サービスの大半がドルに依存する。ドルへのアクセスが遮断された銀行は国際業務不能となり、ドルを入手できなくなった国は経済危機に陥る恐れがある。そうしたドルの威力に注目した米国は金融制裁を外交上の武器にしてきた。
効果あった対北、対イラン
これまでの金融制裁で代表的な対象国は北朝鮮とイランである。北朝鮮に関しては2005年、マカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮口座凍結で、ドルの貿易代金を入手できなくなった北朝鮮は凍結解除の実行と引き換えに、ひとまずは核施設の活動停止に応じた。
イランに対する米国の金融制裁は核開発疑惑が浮上した2002年、イランの銀行のドル決済を禁止し、原油のドル建て輸出を困難にした。米国は2006年、イラン以外の銀行に対してもドル決済を止めさせた。2009年には国連安保理決議を引き出し、イランを国際金融システムから排除した。
イラン側は2015年、ウラン濃縮の制限などを約束し、米国のオバマ政権は欧州連合(EU)、国連とともに金融制裁を解除した。次のトランプ政権はイランの核開発は続いているとみなして金融制裁を復活させ、バイデン現政権も制裁を堅持している。
北朝鮮、イランの例からすれば、米国側も相手を屈服させるだけの成果は挙げていないが、「ドル禁輸」の経済面での打撃力はすさまじい。
脱ドルの布石打つプーチン
ロシアのプーチン政権にとっては、ドルの威力については旧ソ連時代の苦い教訓がある。ソ連の石油生産はドルの変動、またドルの高金利に翻弄された。1979年、イランのホメイニ革命とともに第2次石油危機が勃発、同年9月にはソ連軍がイランの隣り、アフガニスタンに侵攻。石油高騰に伴うインフレ、ドル安の中、81年発足のレーガン政権は高金利と強いドル政策に転じ、原油価格が暴落した。米国の要請に応じてアラブ産油国は石油増産に踏み切り、石油価格は長期的な下落局面に突入した。
ドル建ての石油収入に依存するソ連経済は疲弊し、レーガン政権が仕掛ける軍拡に対抗できなくなった。1985年に発足したゴルバチョフ政権はペレストロイカ路線に踏み切ったが、自由を求める声は東欧圏にも広がり、89年ベルリンの壁崩壊、91年ソ連解体へと突き進んだ(図1)。
図1
ロシア経済は2000年以来のプーチン氏による強権的な支配体制のもとで低迷から脱したように見えるが、基軸通貨ドルに翻弄される石油・天然ガス偏重の経済構造は旧ソ連時代とさほど変わらない。今でも、ロシアの全輸出に占める石油・天然ガスのシェアは約5割、ロシア連邦・地方政府収入総額のうち石油・ガス収入シェアは約3割に上る。プーチン氏はその弱点を踏まえ、時間をかけて脱ドル依存の布石を打ち、数年前からドル離れに拍車をかけている。
米露通貨戦争は日本も巻き込む
プーチン政権はまず、2000年当時、GDPの50%を超えていた対外債務返済に努め、2007年以降は4%以下に抑えている。対外債務はドルの相場や金利に左右されるので、対外債務の圧縮は米国に対する交渉力を強める効果がある。
さらに、米国債保有も2010年10月の1763億ドルをピークに減らし、21年10月には37億ドルまで落とした。外貨準備資産はドルを人民元に置き換えている意思を明確にしている。ロシアの対外投資ファンドである国民福祉基金の通貨別資産構成は、21年1月でドル建てが512億ドルで、ユーロ建てと並ぶ規模だったが、7月にはゼロになった(図2)。
図2
2月には人民元建て資産を組み込み、6月以降は人民元建て350億ドルの水準を保っている。バイデン政権に対するプーチン氏の「ドルとの決別」の政治的メッセージとも言えよう。
ロシアがウクライナに軍事侵攻し、バイデン政権が金融制裁に踏み切った場合、ロシアは石油・天然ガスの取引通貨を全面的にユーロ建て、円建て、あるいは人民元建てなどドル以外の通貨建てに転換して、ロシアの銀行がドル決済網から排除されても外貨金融での混乱を避ける、つまり米国による金融制裁効果をかなり減殺できる。ドイツ、フランスなどユーロ圏と中国に関してはこれまでもエネルギー貿易決済通貨のユーロ建てや人民元建ての決済システムを整備してきた。
しかし、基軸通貨ドルの威力はやわくはない。米国は対イラン制裁では、イラン原油の輸入に協力する国の銀行にはドル取引を禁じるという強硬手段をとってきた。その結果、欧州や日本も対イラン制裁で米国に従うしかなくなった。バイデン政権の対ロシア金融制裁もイランのケースと同じ展開になりかねず、米露通貨戦争は欧州ばかりでなく日本、さらに世界を巻き込むことになりそうだ。