安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に凶弾に倒れるという悲劇が起こった。2015年6月26日、私は「ある思い」があって、首相公邸で安倍氏と面会した。私は労働組合運動一筋にやってきたので、それまで安倍氏との接点はなかった。
聞いてもらった二つの「思い」
私の所属するUAゼンセンは、北朝鮮の拉致被害者の早期帰国を求める運動を行っている。当時、私はその会長を務めていた。政府が認定する北朝鮮による拉致被害者の中には、組合員である松本京子さん(ゼンセン同盟尾崎商事労働組合=当時)がおり、また、拉致の可能性が濃厚とされる特定失踪者には、組合員の家族である大政由美さん(東レ労働組合愛媛支部OB故大政峰男さん長女)が含まれている。北朝鮮は日本に帰国した5人以外に拉致被害者は生存していないと説明していたが、安倍首相は拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を北朝鮮に求め、北朝鮮もこれに応じる約束をした(日朝ストックホルム合意)。その合意から1年がたとうしていたので、不退転の決意で北朝鮮との交渉に臨んでほしいと直接伝えたいというのが「思い」の一つであった。
もう一つは、韓国の旅客船セウォル号沈没事故での朴槿恵大統領(当時)の行動をめぐり、産経新聞の加藤達也ソウル支局長が書いた記事が名誉毀損に当たるとして韓国地検に起訴された件についてであった。韓国政府は、起訴後も加藤氏の日本への出国を認めなかった。逃亡の恐れもないのに出国制限をするのは不当である。産経新聞労組はUAゼンセン加盟組合の一つで、支局長は管理職であるが、起訴後は支局長職を解かれ、東京本社の編集委員になっていた。産経労組では、編集委員は組合員である。この不当な出国制限を外交ルートで解決してほしいとの「思い」があった。
この二つが安倍首相に訴えたいことであった。安倍首相は私の話を丁寧に聞いてくれた。拉致問題については北朝鮮から誠意ある回答がなく、今も進展はないが、加藤氏は後に日本への帰国が実現した。裁判でも無罪になった。帰国には外交ルートでの働きかけがあったと伝えられている。
形式張らずに意見交換
その後、私は連合事務局長、会長代行になり、官邸で安倍首相と会談する機会が何度かあった。それまでの「政労会見」とは違い、自由に意見交換する形式を取りたいということなので、「要請書」ではなく、「意見交換メモ」を作成し会談が持たれた。安倍首相は内政、外交問題について幅広く、われわれの質問や要望に率直に答えてくれた。
安倍氏は常に国を思い、わが国の将来について心を砕いていた。まさに「国士」というにふさわしい方であった。心から哀悼の意を表したい。(了)