11月8日(金)、国家基本問題研究所は来日中のケビン・ドーク・ジョージタウン大学教授を企画委員会に招き、意見交換会を実施した。ドーク教授は第1回国基研日本研究賞を受賞した米国の歴史学者である。
今回は、大統領選挙が行われた米国の文化的変容の実態を、米国人の視点で分析・紹介するとともに、変化した米国に日本はどう対応すべきかについても言及し、その後企画委員らと意見を交換した。
講演の概要は以下のとおり。
【概要】
〇変容するアメリカと大統領選挙
いまアメリカは文化戦争の最中にある。文化戦争は国家が自分自身に対して戦うという意味で内戦と理解できるし、領土戦争と異なり簡単には終わらない戦争である。
グローブシティ大学のポール・ケンゴール教授が指摘するように、オバマ元大統領の遺産は文化の根本的な変革(一種の全体主義)であった。同じ民主党のバイデン氏とハリス氏にも受け継がれたそれは、性的志向、結婚、家族に多様性を強要する。中絶やLGBT運動に代表される多様性の波は、決して宗教的倫理観を許容しないため、様々な場面で争いを引き起こし、これが内戦状態を現出させる。
この文化戦争は、人口動態の変化、すなわち1990年代のキリスト教徒の減少に起因する。1972年にはアメリカ人の約90%が自らをクリスチャンだと考えていた。それが急減し、現在は約60%にまでに落ち込んだ。将来的にキリスト教徒は少数派になるとも言われる。
ワシントンポスト紙のコラムニスト・シャディ・ハミド氏は、高学歴層が支持する民主党はより急進的左派に迎合するようになると指摘する。そして、民主党政権の推進する多数のマイノリティー政策が保守層と対立し、その文化戦争は現在も続いている。
今回のトランプ氏の大統領選勝利は、キリスト教的保守層の復権と見ることもできるが、得票差は僅かであり、問題はそう単純には解決しないと見るべきだ。
〇リベラリズムの退潮と反キリスト教主義の台頭
国論を2分する騒動の一例は、2018年のマスターピース・ケーキショップ対コロラド州公民権委員会の裁判である。2012年、コロラド州のケーキ店に同性愛のカップルが来店し結婚式のケーキを注文したが、店主は信仰上の理由から断った。これに州公民権委員会が同性婚のウェディングケーキを拒否することが同性愛者を差別すると判断し、州控訴裁判所も公民権委員会の判断を支持。店主はキリスト教系団体に支援され、連邦最高裁に上訴し、7対2で控訴審を覆した。ただし、信教の自由と同性愛者の権利保護のどちらが優先されるかの判断は留保され、問題は残った。その結果、以後も活動家による宗教的迫害は継続している。
その他、反キリスト教主義が台頭していることを示す海外の事例が散見される。これらの思想は一様に、異論への寛容を認めない、すなわちリベラリズムに逆行するという特徴を持つことに留意する必要がある。
〇日本の進むべき道
LGBT活動家が他の考えを許容しないことは有名であり、そして反対者には徹底的に攻撃を繰り返す。「自分と異なる意見の尊重」や「他者への寛容」はリベラリズムの良識であったが、今のアメリカでは死滅しつつある。これはオバマ氏の遺産であり、トランプ氏が新大統領となっても継続すると見るべきだ。
さて、リベラリズムが失われた米国に日本はどう対応すべきか。その答えのヒントが、安倍元総理が主張した戦後レジームからの脱却、普通の国への加速ではないかと考える。
普通の国になるとは、日本が自然法(人間の理性に基づいて普遍的に守られる人類不変の法、すなわち天地の公道)に従うことであり、決してアメリカの後を追い分断の方向に向かうことではない。明治時代の「西欧に追いつき、追い越せ」は道徳的な意味ではなく国力のことであった。明治天皇が示された「五箇条の御誓文」を見ても明らかだが、道徳的にアメリカに追いつく必要がないことを明治の先人達はよく理解していた。
リベラリズムが衰退しつつある今こそ、洗練された道徳的規範でアメリカを、そして世界をリードすることが、日本の向かう道ではないかと考える。
【略歴】
1960年生まれの米国の歴史学者。高校時代に長野県上田市で留学を経験し、シカゴ大学から日本研究により博士号取得。イリノイ大学准教授などを経て、京都大学、東京大学、立教大学、甲南大学などで学び、現在はジョージタウン大学教授、麗澤大学で客員教授。
日本で出版された著書に、『日本浪漫派とナショナリズム』(柏書房、1999年)、『日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本』(ワック、2016年)などがある。また『大声で歌え「君が代」を』(PHP、2009年)で第1回国基研日本研究賞を受賞。 (文責 国基研)