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2013.02.05 (火) 印刷する

ミャンマーを行くー「民主化」と「開放体制」をたずねて

 国家基本問題研究所の髙池勝彦・副理事長ら一行4人は、11月11日から17日までミャンマーを訪問、政府首脳やシンクタンク幹部と会談、意見交換を行った。前半は最大都市ヤンゴンから350キロ北にある首都ネピドーを訪れ、カン・ゾー国家計画経済開発大臣、チョー・ニュン国防副大臣、タント・チョー外務副大臣らと相次いで会談した。また、政府与党の連邦団結発展党(USDP)のテ・ウー副議長からも政治状況や今後の見通しを聞いた。以下は髙池副理事長ら企画委員4人の、ミャンマー報告全文です。

内心強い対中警戒心

国基研副理事長 弁護士 髙池勝彦

 国基研は、海外のシンクタンクとの交流を活動の目的の一つにしてゐる。過去、アメリカ、韓国、台湾のシンクタンクと交流をした。一昨々年と一昨年は、二度のインド訪問を行ひ、インドとの共同研究も行つてゐる。平成二十四年度は、五月、ベトナムを訪問し、同国のシンクタンクと交流した。
 今回、十一月十一日から十七日にかけて、民主化で変化の著しいミャンマーを訪問した。ネピドーに二日、ヤンゴンに三日滞在して、準備中やできたばかりのシンクタンクの幹部、大臣や副大臣といつた政府の要人、民主化運動のリーダーなど多彩な人々と交流をすることができた。
 私は、三年前、個人的な観光旅行でミャンマーを訪れた。ヤンゴン、マンダレー、バガンといつた観光地だけを訪れて、ミャンマーの観光地としての魅力を満喫した。しかし、ヤンゴンについていへば、三年前とは見違へるやうである。走つてゐる車が全然新しくなつてゐる。三年前のバスのほとんどは日本からの中古で、日本語がそのまま書いてあつたのに、それがほとんどミャンマー語になつてゐた。ミャンマーのこの三年間の変化を示すものである。
 テイン・セイン大統領の民主化政策は目ざましいものがあり、それが経済にも表れ、世界中から観光ではなく、ビジネスのために人々が訪れ、そのため、日本大使館の話によると、ヤンゴンのホテルや住宅の値段は、三年前の数倍になつてゐるとのことである。
 政治的自由についても劇的な変化があつた。三年前は、観光ガイドですら、政治的な話はしないでくれ、あそこにゐるのは秘密警察だと我々に注意したくらゐであるのに、現在は、政府批判もその他の政治的意見も自由にいへるやうである。
 我々は、十七日に民主化運動のリーダー二人に会つた。今年の一月、二十年間と十八年間刑務所にゐて釈放されたミン・コ・ナインさんとコ・コ・ジーさんである。彼らもミャンマーに自由化とそれに向かつて努力してゐるテイン・セイン大統領を評価してゐた。
 我々の関心は、ミャンマーの現在の政権が国民の支持を得てゐるのか、国民のアウン・サン・スー・チーさんに対する評価はどうか、中国に対する警戒心はあるのか、対日評価はどのやうなものか、といつたことである。
 政府関係者が一様に言つたことは、軍事政権時代の経済制裁がミャンマーにとつていかに厳しかつたかといふことである。ミャンマーはやむを得ず中国と密接な関係を結ばざるを得なかつたといふ。ただ政府関係者は、中国は敵ではないといふことを強調したが、内心では警戒してゐることをうかがふことができた。スー・チーさんについては、人気があることは誰もが認め、ただし、彼女が、現在の政権といかに現実的に折り合つていくかが今後のミャンマーの発展にとつて重要であると述べた人が多かつた。
 国防副大臣との面会の折、私がミャンマーの軍歌の話を持ち出し、日本の軍艦マーチのメロディーを口ずさんだところ、同席してゐた秘書官風の軍人が自分のパソコンからただちに旧日本軍の当時のビルマ入城行進の動画を見せてくれ、そこで、軍艦マーチが流れてゐた。ミャンマーの軍歌には日本から由来するものも多いといふことで、後で、そのDVDのコピーをくれると約束してくれた。そして、その日のうちにコピーが届いたが、ホテルで見たところ、彼のパソコンに入つてゐた画面ではなく、現代のミャンマー軍の様子と、女性歌手が軍艦マーチをはじめ次々と日本風の軍歌を歌ふDVDであつたのにはややがつかりした。しかし、日本の軍歌が現在でもミャンマー軍の軍歌として歌はれてゐることは確認できた。
 軍事政権において建設された首都ネピドーは、草ばうばうの中に、官庁、ショッピングセンター、ホテルなどが散在してゐる広大な地域である。最大片側十車線、つまり二十車線の道路があり、その上を少数の車が行きかつてゐる。この都市の将来とミャンマーの将来とは同じ道をたどるであらう。つまり、ミャンマーが発展すればこの都市も整備されていくといふことである。ミャンマーは、日本の約一・八倍、人口は約六千万人、宝石類、天然ガスといつた資源も豊富、気候にも恵まれ、農業の将来性もある。政治のかじ取りさへ誤らなければ可能性の高い国である。
 ともあれ、わずか数日で、しかも二都市だけの滞在であつたが、国基研としては、今後ともミャンマーとの交流を続けていきたいと考へてゐる。

 
カン・ゾー国家計画経済開発大臣2
カン・ゾー国家計画経済開発大臣(写真中央)
 

民主化の中で動き始めたミャンマーのシンクタンク

国基研企画委員 ジャーナリスト 石川弘修

 国家基本問題研究所一行四人がミャンマーを初訪問した一つの目的は、同国のシンクタンクとの交流であった。
 ミャンマーでは、一昨年春の民政化移行をきっかけに自由、民主化への動きが活発になり、これに伴い調査、研究、報告など行うシンクタンクも芽生え始めた。首都ネピドーでは外務、国防など政府幹部との会見が中心だったが、商都ヤンゴンではシンクタンク数箇所を訪れた。
 外務省系の戦略国際問題研究所(MISIS)、政治塾を兼ねたイグレス(EGRESS、ラテン語で出口の意味)、民間調査会社としての活動が主業務のミャンマー調査研究(MSR)の三機関である。
 このうち、MISISがシンクタンクらしい体裁を整えつつある。ニュン・マウン・シェイン会長の下、外交官、大学教授ら十七人の専門家とスタッフの総勢三十人の陣容である。会長自身外交官で、一九九二年から九四年まで駐日ミャンマー大使館の公使を務めた。父親は一九五六年から六六年まで初代駐日大使。日本との縁が深く、子女が東大留学中とのこと。昨年独立したが、事務所はネピドーに移転、空室となった外務省の一部に借り住まい。まだ、ホームページはできていない。ミャンマー政府やドイツからの援助、米アジア・ソサエティ、日本の笹川財団などからの支援で運営をしている。
 シェイン会長は、外国のシンクタンクとの交流を目指しているが、日本のシンクタンクの訪問を受けたのは、わが国基研が初めてだという。インドとは世界問題研究所や防衛問題研究所と、交流を始めている。昨年五月、マンモハン・シン首相がインドの指導者としては二十五年ぶりにミャンマーを訪問したことで「水門が開いた」という。中国の強い影響下にあるミャンマーだが、民政移管やアウン・サン・スー・チー女史の下院議員選出などで西側との交流が勢いを得ている。
 ミャンマーの国境線は中国との間が二千四百キロと一番長いだけに中国からの圧迫が強いが、二十年にわたる軍政に対する西側の経済制裁がミャンマーをさらに中国側に追い込んだという。しかし、ミャンマーの発展のためには西側との関係強化が必要で、特に日本に対する期待は大きい。シェイン会長は、日本政府も民間も慎重で、韓国に比べ経済協力でも民間企業進出でも決定に時間がかかりすぎるきらいがある、と指摘する。日本の尖閣諸島問題に強い関心を示しており、国基研では資料を送付した。
 イグレスは、英バーミンガム大学のロバート・テイラー教授のバックアップを受けて六年前に設立された非営利団体。現在はティン・マウン・タン会長の下、百二十人のスタッフを抱えている。シンクタンクとはいえ、主要任務は大学卒業生に対する政治教育、訓練などを行い、リーダーを育成している。松下政経塾のミャンマー版ともいえる。われわれが訪問すると、木々に囲まれた平屋の建物の大教室に集まった学生たちに「連邦主義」について講義が行われていた。卒業生はすでに四万人に達し、議員など政治活動に従事するものも多い。
 第二の業務がシンクタンクの仕事である。課題について集中的な研究を行い、政権にアドバイスする。会長自身がテイン・セイン大統領顧問の一人となっている。第三の仕事が二十年にわたる軍事政権下で海外亡命したり、離散した政治活動家、学者、専門家、技術者たちをミャンマーに帰還させるための手助けである。日本のJETRO(日本貿易振興機構)や米ハーバード大、英オックスフォード大などとの共同調査などからの収入のほか国連やドイツの財団からの援助、個人の寄付などで活動をまかなっており、西側との繋がりが強い。
 ヤンゴン中心部の高層ビル「さくらタワー」十四階にあるミャンマー調査研究は、委託を受けて調査、研究を行う民間の会社である。いわゆるシンクタンクとは違うが、政治、経済社会、国際関係分野の問題について専門的な研究を行う部門も抱えている。ウイン・ティン・ウイン会長、チョー・ライン調査担当専務理事で、百六十人のスタッフがリサーチの受託に対応している。専務理事は新潟の国際大学(故中山素平氏ら財界人が中心となり一九八二年に設立された日本で最初の大学院大学)を卒業。同じく国際大一期生の岩崎亨顧問は十八年ヤンゴンで活動している。日本を含め外国人ビジネスマンが殺到、こんなに業務が多忙を極めるのは九五年の設立以来、初めてだという。「やっとヤンゴンに長期滞在した意味を感じます」と岩崎顧問は張り切っている。
 このほか、大統領の信任が厚いといわれるコ・コ・ライン大統領顧問は、自ら主宰する戦略国際問題研究センターを六ヵ月前に設立したという。駐日ミャンマー大使館や駐ミャンマー日本大使館の協力を得て、やっとわかったのが以上のシンクタンクである。検閲の緩和で今春からは民間の日刊新聞も発行される予定で、新聞社の特派員として入国ビザ取得に苦労した二十年前とは様変わり、自由化、民主化が進みだしている。開放化はシンクタンク活動を活発化させ、“中国離れ”にも結び付くことになろう。われわれ国基研訪問団としては交流の意義と必要性を痛感した。

 
チョー・ニュン国防副大臣
チョー・ニュン国防副大臣(軍服姿)
 

発展のカギを握る民主化の進展

国基研企画委員 東京国際大学教授 大岩雄次郎

 二〇一二年十一月十一日十九時頃にミャンマー国際空港に到着し、空港の外に出た途端、迎えの自動車やタクシーでごった返す光景を目のあたりにした。同年五月に訪問したベトナムの光景を思い起こしたが、昨年まで二十年間にも及ぶ経済制裁下にあったアジアの最貧国というイメージとは大きくかけ離れているというのが第一印象であった。空港に引っ切り無しに出入りする自動車はどれもここ数年の新しい車ばかりで、今まさに民主化に向けて動き出したばかりであるが、今後の急速な発展の可能性を十分予見させるものである。
 ただ、この情景は例外であることはすぐに理解できた。ミャンマーの一人当たり名目GDP(国内総生産)は約九百ドルと言われているのに対して、ミャンマー最大の都市のヤンゴンのそれは約千七百ドルに達しているという事実を反映したものである。しかし、ヤンゴン地域の急速な成長はミャンマー国民の抱く将来への明るい希望を感じさせる源であることは確かなようである。
 政府機関首脳と会見するために、二〇〇三年にブラジリアを模して建設されたという新行政首都ネピドーを訪れたが、新首都であることは政府機関が広大な地域に点在していることで辛うじて確認できる以外は、依然として首都とは言い難い状況であった。行政機関以外、民間企業などはほとんど進出しておらず、経済制裁によってストップした建物の工事が再開されていたが、人手不足からその進捗状況はかなり遅れている印象を受けた。二〇一三年十二月には東南アジア競技大会(SEA Games)の開催が予定され、また、二〇一四年にはASEANの議長国に就任することも決まっており、こうした一連の国際日程をステップに堅実な経済成長を目指しているが、その成功は、外国からの資金をどれほど導入できるかにかかっており、そのためには一層の民主化の進展が不可欠である。
 ASEANは、二〇一五年を目途に経済統合を目指しているが、その後の自由経済圏の枠組みとして、中国が提案するASEAN+日中韓、もしくはわが国が提案するASEAN+日中韓印豪新西蘭、その他のいずれが中心となるかは太平洋東アジア地域にとって重要な問題であるが、政府与党USDPのテ・ウー副議長はその点の言及は全く避けていた。二〇一四年の議長国であるミャンマーに対してこの問題に関する働きかけが今後重要となることは予想に難くない。
 二十年間という長期に渡る経済制裁下にあってもなお、穏やかな国民性を直感的に感じたのは、元来、食料が豊かで、飢えるという経験のない地域であり、歴史的にも飢えから来る社会不安を引き起こしたことがないという話を聞いて納得がいった。翻って考えると、経済制裁にはどのような意味があったのか、疑問の残るところであるばかりか、今となれば、中国に依存せざるをえない状況を生み出してしまったことになる。この二十年間を取り戻すためにも、早急に自由な経済社会の一員に復帰させることは、東南アジア地域の健全な発展にとって重要であり、わが国の責務は決して小さくはないし、それを果たすことはわが国の国益に適うものである。
 ミャンマー側も日本の経済進出に大きな期待を寄せているのは、今回の訪問を通して強く感じ取れた。中国や韓国のビジネスのやり方に対する不満については直接言及することは慎重に避けていたが、日本への期待の強さがそれを裏付けていると推測できることは、現地の日本企業の商工会議所の方々との面談の内容からも十分確信を得られた。
 商工会議所の方々は、ミャンマーの人たちは性格も温厚で、協調性もあり、アジアの中で日本人と最も相性の良い人たちであるという印象を一様に述べていた。今後、「中国+一」政策を拡充する当り、重要な国であることは間違いなさそうである。
 ミャンマーは、インフラが不足しているために工業の発展が遅れ、依然、貧困問題も深刻で、経済情勢は極めて厳しい状況にあるが、将来有望な最後の巨大経済市場であることは確かである。民間企業が単独で進出するのは容易ではないが、特に、中国や韓国は既にインフラの分野に進出し始めており、これまでの歴史的経緯から中国の進出は一歩も二歩も先行していることを勘案すれば、日本からの早急な経済協力の実現が求められる。

 
タント・チョ―外務副大臣
タント・チョー外務副大臣(右から3人目)
 

ミャンマー横断パイプラインの戦略的重要性

国基研企画委員 福井県立大学教授 島田洋一

 われわれ国家基本問題研究所ミャンマー訪問団が帰国した翌日に、オバマ米大統領がミャンマーを初めて公式訪問した(十一月十九日)。インドと中国に挟まれ、ベンガル湾に面した同国は戦略的要衝である。さらに中東の「民主革命」がイスラム・ファシズム勢力の台頭などで混乱する中、ミャンマー民主化はオバマ外交最大の「遺産」と位置づけられ、今後ますます積極的な関与策を展開していこう。
 二〇一一年四月一日のテイン・セイン政権発足以来、ミャンマーは急速に自由民主化を進めてきた。抑圧的な軍部独裁体制を支えてきた中国との密接な関係がどこまで修正されていくか、注目される。
 同年九月三十日にテイン・セイン大統領が発表したミッソン・ダム(イラワジ川源流にあり、発電量の九十%が中国に送られる計画)の建設凍結は、中国から見ればミャンマー側の契約違反であり、大きな衝撃だったはずだ。
 「中国から嫌がらせはありませんか」。面談したカン・ゾー国家計画経済開発大臣に率直に聞いてみた。「賠償を求めてくる可能性があるが、中国にとってはパイプライン建設の方がはるかに重要。だから我慢している」との答が返ってきた。この認識は、他の政府高官にも共通するものだった。
 中国がミャンマーに関して最重視するのは、ベンガル湾に面したラカイン州チャウピューの深海港化(大型船舶の出入りが可能になる)と、そこから雲南省昆明までを結ぶ石油・天然ガスパイプラインである(総延長九〇〇キロ。来年完成予定)。さらに並行道路・鉄道の建設も計画されている。
 完成の暁には、中国は、ミャンマー沖の豊富な天然ガスはもちろん、中東からの石油・天然ガスも、マラッカ海峡、南シナ海を経ずに運び込み可能となる。仮に南シナ海や東シナ海で大規模な紛争が発生し海上交通が途絶しても、周辺諸国中中国だけは、エネルギー確保が可能になり、その分、戦略的に優位に立てる。中国にとっては垂涎の「陸上の橋」(ランド・ブリッジ)である。
 しかし強引な土地収用を巡り住民とのトラブルも多数発生している。われわれが面談した民主化運動のリーダー、コ・コ・ジー、ミン・コ・ナイン両氏(それぞれ獄中十八年と二十年)は、「ミャンマー国民のためになるのかどうかが重要」と事業の不透明性を衝き、情報開示とそれを受けた見直しに言及した。
 議会で土地収用に伴う紛争を扱う「法の支配委員会」の委員長にはアウン・サン・スー・チー氏が就いており、今後さらなる政治問題化も予想される。間違ってもあってはならない事態は、日本の政府開発援助が、中国と軍事政権が組んだ土地収奪の尻ぬぐいに、住民補償などの形で使われることだ。日本からの援助は、日本企業が進出を考えている地域のインフラ整備などに集中的に使われるよう、厳しく監視していかねばならない。

 いわゆる「ロヒンジャ」問題

 米国内では、人権団体を中心に、オバマ大統領のミャンマー訪問を時期尚早と異を唱える声もあった。一つは、まだ獄中に残る政治犯の問題。これはミャンマー政府が追加の釈放に踏み切ることでほぼ解消された。もう一つが死者や大規模な放火を伴う衝突も起きている「ロヒンジャ問題」である。
 欧米の人権団体やその影響が濃いメディアにおいては、ロヒンジャ問題を多数仏教徒による少数イスラム教徒の迫害、旧ユーゴのような民族浄化事件と割り切る傾向が見られる。
 しかし、ミャンマー国民の多くは「ロヒンジャ」をバングラデシュからの不法移民と見ている(バングラ政府はこれを否定。したがって「ロヒンジャ」の人々には国籍がない)。「以前からミャンマー内に住んでいるイスラム教徒は何の差別も受けていない。問題は最近流入してきた不法移民」というのが、われわれが会ったミャンマー人ほとんどの意見だった。大統領政治顧問コ・コ・ライン氏は、「不法移民を認めないのは当然。国の存続に関わる問題であり、妥協できない」とそれまでの穏やかな話しぶりを一変させた。
 アウン・サン・スー・チー氏も、「不法移民は認められない」と発言、前述の長く獄中にあった民主化運動リーダー二人も「人権の保護は必要。しかし不法移民を防ぐ措置も必要」と述べた。国連で人権や教育補助に長く携わってきたある女性研究者は、「ロヒンジャという言葉自体おかしい。これはラカイン州(バングラデシュと接するミャンマーの地域)に住む人々を意味するインドの言葉。ベンガルからの不法移民と正確に表現すべき」と、われわれの問いに、入り口から注文を付けた。
 オバマ大統領もヤンゴン大学での演説で、「ロヒンジャの人々もあなた方と同様の尊厳を有する」と言及はしたが、国籍問題などまでは踏み込まなかった。今回、ロヒンジャ側の当事者には会う機会はなかった。
 この問題は一筋縄ではいかない、というのが今回の訪問を経ての印象である。日本としては、安易に白黒割り切らず、慎重に見極めていく必要があるだろう。