公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2015.10.05 (月) 印刷する

私は富坂氏ほど党機関紙を信用しない 湯浅博(国基研企画委員)

 何年か前に、ニューヨーク大学主催のシンポジウムがハワイで開かれ、中国共産党の機関紙「人民日報」の論説委員が「人民に読まれなくて困っている」と嘆いていた。そこで私が「そんなに嘆くことはない。産経新聞の記者はラインバイラインで克明に読んでいますよ」というと、どっと笑いが起きた。
 中国の人々があまり読まないのは、それが商業新聞ではなくて共産党の機関紙だからであろう。一党独裁の政党機関紙に対しては、上位下達の妙な宣伝臭を本能的に感じるからだ。逆に、産経記者がそれを克明に読んでいるのは、それらの宣伝記事の中から数少ない事実を探り出すためである。あるいは共産党が何を伝えたいのかを探るためである。
 その点で、富坂聰氏が10月2日付の国基研論壇に「『冨山直言』に蛇足ながら」で書いた日本と中国の新聞比較は、なるほど、こんな考え方もあるのかと前頭葉を刺激された。しかし、富坂氏が日本の商業新聞を批判して人民日報を持ち上げるほど、私は共産党機関紙を信用してはいない。
 富坂氏は日本のメディア関係者に「保守論壇の記事をどう思うか」と聞いたところ、「どうせ結論ありき」だからと見切られているのだという。ここでいうメディア関係者がいったいどんな傾向の人物で、保守論壇なるものが何を指しているのかも分からない。分からないが、続いて米中首脳会談の日本の報道ぶりについて、「中身を読まなくても分かる」と書いているから、それが保守系の新聞であるかのような印象は残る。
 さらに同氏は、米中間でどんな合意ができても、日本の新聞は「アメリカは中国に冷淡だった」という結論に落とし込む目的が最初からあるのだと断定的にいう。私自身が富坂論評に「へー、そんなことがあるのか」と思うのは、新聞は保守かリベラルかではなく事実に基づく現実主義であってほしいと考えているからだろう。第一、私は事実を追求したいとは思っても、「正しさの追及」などという大それたことまでは考えない。
 商業新聞のワシントン特派員時代は、米中首脳会談が予定されている場合に、ホワイトハウス、国務省、国防総省などの事前ブリーフを受け、有力研究所の専門家に見通しを聞いて、首脳会談の日を迎える。当日は、双方の当事国の首脳や同行スポークスマンの記者会見をこなし、必要なら再び親しい当局者や研究員の見解も聞く。もちろん、外国語を扱う以上は、言葉との格闘もあるから失敗の連続であった。
 だから、最初から「落とし込む」ような目的があるのならどんなに楽ができたことかと、言葉の壁を容易に越えられる富坂氏がうらやましい。しかも新聞は、頻繁にやってくる締め切り時間との競争であり、ワシントンとの時差もあって睡魔との闘いでもある。
 したがって、富坂氏のいう「売れる記事」を意識したり、読者が「読みたい記事」まで考える余裕すらない。それならば、無意識にやっているのではないか、原稿のキャッチャーが誘導しているのではないか、との声が聞こえそうだ。富坂論文がその「落とし込む目的」を持って書いているのなら、抽象論としてはそんな議論も可能だろう。
 富坂氏はまた、この首脳会談について「アメリカが中国との対立を選択するとの考え方は現実的ではない。警戒しつつも、長い時間をかけて利害をすり合わせたというのがこの会談の背景だ」という。確かにそうであろう。
 ただ、ここは「対立の選択」ではなく、「抑止の選択」であろうし、表向き米中で合意があったとしても、価値観の違う大国間にあっては合意の実行への疑いもある。あるいは、合意で口裏を合わせても、密かに自国に都合よく既成事実を積み上げていくこともありうる。大国間外交は国益が絡んだ力と知恵のぶつかり合いだから、とてもきれいごとでは済むものではない。
 それにしても、習近平主席はオバマ大統領の批判をかわしながら、巧みに逃げ切ったという印象である。「アメリカは中国に冷淡だった」などと落とし込むどころではない。習氏は中国国内向けに、その権威誇示を十分に達成することができたのではないか。
 日本の商業新聞が書かずに、「人民日報」が報じたという米中がAIIBで「国際金融の枠組みの重要な貢献者となる見方で一致した」との件も、額面通りには受け取れない。この課題につき、商業新聞の代表格である朝日新聞は、米国のファクトシートからAIIBの「中国の試みを『歓迎する』と言及したのみ」であると書き、「米側による具体的な協力策は出されなかった」と報じている。ほかの数紙も、両国の合意ではなく、中国側の言葉として報じている。
 少なくとも私は、富坂氏が評価する政党機関紙よりも、右左で喧嘩しながら競争する日本の商業新聞をわずかながら信用している。