公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2017.12.18 (月) 印刷する

「伊方」が浮き彫りにした日本司法の宿痾 髙池勝彦(弁護士)

 四国電力伊方原発3号機をめぐって、住民が求めた運転差し止め仮処分の抗告審で、広島高裁は13日、運転を禁じる決定をした。
 新聞報道によると、住民は、平成28年3月11日、広島地裁に、伊方原発の運転差し止めの本訴を提訴し、同時に仮処分を申し立てた。本訴については現在も審理中だが、仮処分については今年の3月30日、申し立て却下の決定が出た。住民は、この決定に対して広島高裁に即時抗告を申し立て、12月13日に、運転禁止の決定が出たというわけである。
 今回の決定は、約9万年前の阿蘇山の噴火で、火砕流が約130キロ離れた原発敷地内まで到達した可能性を指摘した。四国電はこの噴火について、火砕流の堆積物は山口県南部にまで広がっているものの、四国には達していないとしていた。原子力規制委員会も厳しい審査の結果、これを妥当と確認していた。
 専門的知見から数年かけて安全だと判断されたものを、裁判所が短期間の審理で安全だとはいえないとしたもので、無茶苦茶な判決である。この決定を出した裁判長は、12月下旬には退官予定だという。裁判官をやめる直前にこのような決定を出したのである。

 ●裁判官テロへの対処どうする
 この決定に対して、四国電は、保全異議の申し立てをすることができる。保全異議は、同じ裁判所、つまり広島高裁に申し立て、別の裁判官(3人の合議)が審理する。これも数カ月かかると考えられるところから、平成30年1月に予定されていた再稼働は延期が必至となっている。予定の大幅なずれ込みにより、1カ月当たり約30億円の損害が予想されるという。ある学者は、これは裁判官によるテロだと述べた。このようなテロに対しては、迅速な審理を促して損害を出さないようにすることはできないのかという質問も受けた。
 そこで、今回は、判決の内容批判ではなく、このような裁判官によるテロともいえる重大な決定がなされた場合の対応について考えてみる。
 まず保全手続について。通常の民事紛争は、訴訟(本訴)によって決着をつけるのであるが、本訴は時間がかかり、その決着を待っていたのでは、取り返しのつかない損害が生じることもあるので、本訴よりもある程度簡単な立証や手続きで迅速な判断を求める手段として、仮差押と仮処分がある。
 現に、本件の場合、本訴は、平成28年3月11日に提起され、現在も広島地裁で審理中だ。地裁で判決が出たとしても、控訴や上告がなされると、場合によっては決着まで10年くらいかかることがある。仮処分については、同じ日に申し立てられ、1年かかって、平成29年3月30日、申し立ては却下された。住民側から直ちに即時抗告が申し立てられ、約8か月半後の今月13日、仮処分を認める今回の決定が出たのである。

 ●遅すぎる日本の司法判断
 ここでアメリカの司法制度と比較してみよう。よく知られているように、今年の1月25日、トランプ大統領は移民入国規制の行政命令を出した。これに対してアメリカ国内では賛否両論の大議論が起き、行政命令に反対する者が命令の執行停止を申し立て、2月3日には、ワシントン州シアトルの連邦地方裁判所が停止命令を出した。連邦控訴裁判所もそれを認め、トランプ大統領は最高裁に上告し、最高裁は6月26日、行政命令を一部認めた決定を出し、さらに12月4日、全部を認める判決を出した。
 私は、ここでトランプ大統領の行政命令について意見を述べるつもりはない。アメリカの訴訟手続きの速さを述べているだけである。
 では、日本でこれと同じ迅速な処理が可能かといえば、不可能である。それでも、通常の仮差押は、1週間ほどで決定が出るし、仮処分も、相手を呼び出して反論させる審尋が必要な場合でも、1カ月か2カ月で採否についての決定が出る。しかし、その抗告や異議については、早いものでも決定まで数カ月は要する。本件は原発関連という膨大な資料があるので、どうしても数カ月はかかるであろう。
 ではアメリカはどうして早いのか。アメリカの場合は、資料も重要であるが、法廷での口頭のやり取りが重要となる。裁判官と当事者の代理人である弁護士との間の口頭でのやり取りで裁判の方向性が決まってしまうことが多い。それだけにアメリカの裁判でのやり取りはかなり白熱したものである。
 我が国でも審理の方法は「口頭弁論」と呼ばれているが、実際は全く口頭ではない。書面を出して、そのやり取りだけである。
 私は先日、最高裁の大法廷で「弁論」をした。この「弁論」はあらかじめ読み上げる文章を提出させられて、それを読み上げるだけである。裁判官たちからも、もちろん一言も質問はない。

 ●政治任命がもたらす利点
 一方、アメリカの裁判においては、弁護士も裁判官も、ある事件をやっている時にはその事件だけをやる。日本では、弁護士も裁判官も、同時に何件も扱う。東京地裁の裁判官は同時に百件以上を抱えている。これを1件だけということにしたら、大変なことになる。もちろん、アメリカの裁判所に事件が1件しか係属しないということはなく、多数係属するが、1件ずつ片付けていくのである。民事訴訟では、準備期間から判決までの期間はアメリカも日本もそれほど差がないともいわれているが、米国の司法では万事、処理が迅速に行われる。
 日本の司法システムをこのようなアメリカ型に変更することが可能なのか、また変更した方が良いのか、考えてみる必要はあるだろう。
 日米の違いは裁判官の任命システムでも指摘される。たとえば、日本の裁判官は、いわゆるキャリアシステムで、裁判官に任用されて地裁判事、高裁判事と昇進していく。アメリカでは、連邦裁判所の裁判官人事は地裁といえども大統領の政治任命による。地裁の場合、通常は弁護士から任命され、場合によっては裁判官をやめて弁護士になったり、政府の高官になったりもするが、一度任命されたら、何か事情がない限り、一生同じポストにいる。その分、身分の保証があるから、どんどん自由に判断する。我が国の裁判官も身分保障はあるが、出世を考えるから、どうしても思惑が判断に影響する。その思惑とは出世の場合が多いが、今回の広島高裁のように、退官直前にマスコミなどに迎合的な判断をすることが少なくない。

 ●形骸化する裁判所人事
 では、我が国で、すべての裁判官を政治任命にすることができるか、これは難しいのではなかろうか。アメリカでは裁判官だけでなく、上級公務員はすべて政治任命である。それとの関連であるから、我が国と単純に比較することはできない。
 我が国でも、最高裁の裁判官は政治任命になっている。ところがこの政治任命はほとんど形骸化している。実際には、裁判官、弁護士、外交官、検察官ごとに慣習的に出身枠が決められている。せめてこれだけでも政治任命を機能させるべきであろう。
 しかし、そうすると、例えば菅直人民主党内閣が、原発事故後に恣意的な原子力規制委員会の改悪人事を行ったように、時の政権の意見に合う者だけを任命するようになるかもしれない。その時は国会で厳密な審査をして阻止できるのか、という問題がある。私は、阻止できると思うので、これだけでも実現すべきであると思う。
 結局、今回の広島高裁のような決定が出た場合、これに対する国民的批判を喚起して圧力を加えるしかない。そしてその圧力は若干効力をあげているのではないだろうか。