公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2018.06.19 (火) 印刷する

トランプの対北合意は最悪の選択 久保田るり子(産経新聞編集委員)

 トランプ米大統領は北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長に騙された。2人だけの首脳会談で何が語られたかは不明だが、いとも簡単に金正恩氏を「信頼に足る人物」と見込んだ理由は、ついに明かされなかった。
 一方、金正恩氏はトランプ氏の横で殊勝にうなずくだけで、以下10項目を手に入れた。
① 米韓合同軍事演習の中止
② 将来の在韓米軍撤退への米大統領の言及
③ 対北制裁網の足並みの乱れ
④ CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄)の不記載
⑤ 非核化期限の不記載
⑥ 自らの世界デビュー
⑦ (在韓米軍問題での)日韓への不意打ち
⑧ 中国の安全保障への貢献
⑨ 米国内の評価の分裂
⑩ 核ミサイル開発の時間稼ぎ、その間の自らの安全の保証

 ●自画自賛の驚くべき楽観主義
 では、米国側は何を手に入れたのか。共同宣言の「金正恩氏は朝鮮半島の完全な非核化に向けた堅固で揺るぎない決意を再確認した」という一文のみである。検証の方法も期限の担保も取っていない。これのどこが、「過去の米政権が成し遂げた偉業」といえるのか。トランプ氏はツイッターへの投稿で「北の核の脅威はもはや存在しない。今夜は安心して眠ってくれ」と呼びかけたが、まことに驚くべき楽観主義である。
 北朝鮮にとって米朝首脳会談は宿願であった。米国との直接対話こそが自国の安全保障であるからだ。すでに6回の核実験を経た現在、この首脳会談は、北にとって「核で米国に恫喝された朝鮮戦争以来、65年目にしてようやく達成した対等な会談」なのだ。金正恩氏が「ここまで来るのは、それほど簡単な道のりではなかった」と語ったのは実感だろう。
 北朝鮮にとって米大統領との「非核化協議」は、米国に北朝鮮の核保有を認めさせたことにほかならない。だからこそ、金正恩氏は、祖父、父の代から受け継いできた「朝鮮半島の完全な非核化」にサインしたのだ。

 ●自ら「段階的」言い出す愚
 米朝首脳会談には意味があったとする専門家の中に、「北朝鮮が約束を履行しなければ、再度、軍事オプションを含む強硬路線に戻せばよい」という意見がある。しかし、北朝鮮はあらゆる手段で段階的な非核化を偽造するだろう。対話に応じ、金正恩は何度でも笑うだろう。国際社会の懸念を払拭するため、何個かの核弾頭を提出するかもしれない。
 北朝鮮は、交渉テーブルから降ろされた軍事オプションを2度と元に戻させないため、最大限の偽装工作をするはずである。「安全の保証」を手にいれた彼らが、わざわざ自ら好んで緊張を高めるような手段に出るわけがないのである。
 トランプ氏が言及した米韓合同軍事演習の中止は最大の失策だった。つまり、北朝鮮の主張してきた「段階的、同時並行的な非核化」を、米国の方から言い出してしまったからである。米国が受け入れた以上、北朝鮮は何等かの見世物を用意するだろう。金正恩氏がトランプ氏に単独会談のときに囁いたという「エンジン実験施設の破壊」かもしれない。
 非核化の核心は、核弾頭搬出やウラン濃縮のための遠心分離機などの生産施設の解体に加え、疑惑の施設への無制限で自由な査察である。ほかの施設の破壊など何の意味もない。
 米国の失地回復は容易ではない。金正恩氏に恐怖心を抱かせる以外、北朝鮮に非核化を実行させる方途はない-というシンプルにして唯一の鉄則を、トランプ氏はすべてが始まる前に破ってしまった。トランプ外交は歴代米政権でも過去最悪の選択をしたと言うほかない。