公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

国基研ろんだん

  • HOME
  • 国基研ろんだん
  • 拉致めぐる北の謀略戦に勝ち抜け 西岡力(麗澤大学客員教授・モラロジー研究所歴史研究室長)
2018.06.20 (水) 印刷する

拉致めぐる北の謀略戦に勝ち抜け 西岡力(麗澤大学客員教授・モラロジー研究所歴史研究室長)

 米朝首脳会談は決裂せず、共同声明を出して終了した。会談への評価は様々だが、拉致問題に関する安倍晋三総理の考えをトランプ大統領が独裁者金正恩に直接伝えてくれたことは、大きな成果だった。
 金正恩政権内部からは、「米朝会談は成功した」「次は日朝会談だ」などという話が多数聞こえてくる。北朝鮮はトランプ氏から斬首作戦の停止を取り付け、安倍首相から100億ドル以上のカネを取ろうと考えて、今年の対話攻勢をはじめた。
 2002年、当時の小泉純一郎首相訪朝時に外務省は、秘密協議で国交正常化後に提供できる経済協力の規模を100億ドル(約1兆1000億円)と伝えていた。これは当時、平壌の中枢部にいて、現在韓国に亡命した複数の元高官らが口を揃えて証言している。
 また、米朝首脳会談直後、外務省筋などがやはり同じ数字をマスコミにリークし、産経、日経、朝日がそれを紙面で書いている。ある情報筋によると北朝鮮経済関係者は自国の国内総生産(GNP)規模を正直ベースで200億〜300億ドルとみているというから、100億ドルという金額は彼らにとってたいへん魅力的であることは間違いない。

 ●北は既に日朝対話へ準備
 したがって、米朝の核廃棄をめぐる長官級協議が一定の進展を見せれば、次に北朝鮮はかならず日本に接近してくる。早ければ8月にもそれがあるかもしれない。すでに北朝鮮はそのための準備を始めている。
 彼らは拉致について、ゼロ回答では日本からカネを取れないことは理解している。しかし、工作部門などは工作に関わる秘密を多数知っている横田めぐみさんたち(2002年に一方的に「死亡」と通告した8人)を生きて返したくはないはずだ。そこで、めぐみさんたちは死んでいるという事前情報工作を本格化してくるはずだ。
 また、国内でも日朝が動きそうになると、この間、動きをひそめていた親北勢力や家族会などの動きに反発しているグループが、「死んだ人は生きかえらない」「核廃棄だけでも大きな成果だから拉致にこだわらず核廃棄の見返りを出すべきだ」などというキャンペーンをしてくるはずだ。
 その動きをいかに抑制できるかが、全被害者の即時一括帰国という絶対に譲れない課題を実現する鍵となる。

 ●拉致を矮小化する狙いとは
 そこで、米朝会談直後に出てきた危険な論調や報道について指摘し、警戒を高めたい。
 まず、両人共にたいへん有名な日本の朝鮮問題専門家1人と国際政治学者1人がとんでもない発言をしているということを指摘しておく。すなわち、小此木政夫慶応大学名誉教授と中西寛京都大学教授による6月14日付毎日新聞の識者座談会での発言だ。
 小此木氏は、日本政府の「拉致と核ミサイル問題が解決した後、国交正常化をする」という方針を批判して、北朝鮮が主張するより前に国交正常化を持ちかけるべきだとして、以下のように述べている。そこでは、拉致問題を「家族の要請」の問題と矮小化し、国家犯罪による主権と人権の侵害という本質を無視している点も見逃せない。
 小此木氏 今の日本は、拉致問題、核とミサイル問題を解決してから国交正常化という方針だ。核・ミサイルは北朝鮮が行動に移さないと解決にはならない。拉致問題は被害者家族の要請が非常に強い。間違いなく難しい状況になってゆく。北朝鮮は、日本と優先順位が逆で、国交正常化をまず先に要求する。日本が優先順位を再調整するくらいの覚悟が必要だ。≫

 ●利敵行為ともいえる発言
 一方、中西氏は、政府が被害者の生存を前提としていることに疑問を呈し、死亡の証拠が何もない現段階で死亡を受け入れよと言っている。その上、拉致解決なしに経済支援しないという政府方針に反対し、非核化のための経済支援を拉致解決前に実施せよと迫っている。
 中西氏 北朝鮮を信用できないから拉致被害者の生存を前提にする交渉手法も分からなくはない。だが不幸にも死亡していた場合はどう決着するか、日本の外交関係者は明確にする必要がある。結局、日朝平壌宣言の基本趣旨である、懸案を解決して国交を正常化するとの方針に立ち返ることになるだろう。国交正常化交渉と並行して、非核化で日本が一定の役割を果たすというのが、今考えられる最善ではないか。拉致の解決なしに経済支援をすれば世論の反発も強いが、非核化は正当性があり、朝鮮半島に関わる重要なチャンネルになる。≫
 このような声が大きくなれば、来るべき日朝協議で、「拉致解決なしに支援はなし」「解決とは全被害者の即時一括帰国」と迫る安倍総理の立場が弱くならざるを得ない。重大な利敵行為ともいえる発言だ。

 ●被害者死亡で幕引きさせるな
 また、6月18日には、米国の対北ラジオ局である自由アジア放送がソウル発で、現在、日本人拉致被害者のうち死んでいる者の遺骨を国家安全保衛省が特別管理しており、その中には2012年に精神病院で病死した横田めぐみさんの遺骨も含まれている、という平壌の消息筋の情報を伝えた。
 同放送は政治的に偏ってはおらず、意図を持ってこの報道をしたとは思えない。この報道はソウル発とされているから、ソウル駐在の記者が独自の取材で本当に、北朝鮮内部からこの情報を入手したのだろう。つまり、意図的に北朝鮮当局が横田めぐみさんら被害者の遺骨が存在するという情報を流してきたと解釈すべきだ。
 めぐみさんが死んだとされた2012年とは、ストックホルム合意で再調査が始まる2年前だ。当時、私のところに、生存しているめぐみさんらを殺して火葬し、本物の遺骨を作って死亡の証拠として出そうとしているという情報が複数入ってきた。
 日本の技術ではDNAを抽出して誰の骨かを識別できるばかりでなく、炭素から死亡時期を推定できる。北朝鮮工作機関はある温度で火葬するとDNAは抽出できるが、炭素による死亡時期の推定は困難になると知って、ヨーロッパの病院に人骨を持ち込んで実験をしていたという。

 ●生存信じ強い態度で交渉を
 本物の遺骨を出す場合、当初の説明の通り1994年に死亡したとするには遺骨が新しすぎるので、2014年の段階で2年前に死亡したという説明を付けて再調査報告書と共に、本物の遺骨を出そうとする陰謀が準備されていたのではないか。しかし、2014年から15年にかけて、彼らの陰謀を私たちが必死で暴き、安倍政権も拙速に再調査委員会の報告書を受け取ることを拒否したので、めぐみさんら虐殺の危機はいったん去っていた。ところが今、日朝協議をはじめようとするこのタイミングで再度試みようとする悪巧みが再度頭を持ち上げ始めた疑いがある。
 2002年の段階で夫が持っていたとされる遺骨が偽物だったのだから、めぐみさんらは生存していたのだ。仮に今回、本物の遺骨が出てきたとしたら、最近虐殺された疑いが濃厚になる。そうなれば日本は経済支援どころか、永遠に北朝鮮を敵対国と見なし、国連安保理に軍事制裁決議を出すことも検討するだろうと、繰り返し相手に伝えなければならない。
 これからも謀略情報が多数出てくるだろう。しかし、救う会の手元にも生存情報は多数ある。全被害者の即時一括帰国を求め、それなしには絶対に国交正常化も経済支援もしないという現在の安倍政権の姿勢を堅持するべく、謀略戦を勝ち抜かなければならない。