公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2018.12.07 (金) 印刷する

WSJのゴーン取調べ批判は正しくない 髙池勝彦(弁護士)

 ゴーン前日産会長逮捕について、新聞や週刊誌で様々なことが報道されてゐる。海外でも高い関心を呼んだらしく、いくつかの論評がある。その中で、ゴーン容疑者の逮捕拘留などに対して批判的な論評があるので、それについて述べたい。
 代表的なものは、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の11月27日付の社説であるが、これは日本の刑事司法に対する公平な論評とは思へない。
 社説は次のように述べる。
 「かつて事業の救世主であると称賛された最高経営責任者(CEO)が空港で逮捕され、起訴されることなしに何日間も勾留され、弁護士の同席なしに検察官に尋問され、金融不正行為で有罪であるとマスコミがリークする中で、その地位から解任された。共産主義中国の話か、いや、資本主義日本の話だ」「彼は家族と接触できず、自分の名誉を守ることもできずに不定期間警察の勾留下にある」「日本の法律では容疑者は、起訴されずに48時間と10日間の勾留、さらに10日間の延長、また別の犯罪で再逮捕できる。このやうなことは国際的なCEOではなくヤクザにふさわしい」
 そのうえで社説は、「日本は常に島国の企業文化を持つてゐる。ゴーン氏はこの竹のカーテンを壊した珍しい外国の経営者である。安倍晋三首相は、(東芝やオリンパスなどの)会計スキャンダル以来、企業統治の改革を進めてきたが、他方、日本のナショナリズムも推進してきた。より高い透明性、主張の開かれた説明、およびゴーン氏とケリー氏の弁護の機会がなければ、日産による奇襲は、日本企業の汚点となるであらう」と結んでゐる。

 ●場合による長期勾留
 私は刑事専門ではないが、日本の実務弁護士として、刑事事件も数十件、扱つた経験がある。我が国の刑事手続きの制度が完全であるとは思はないし、不満もある。しかし、上記のWSJの主張は正当とはいへない。
 勾留期間については、否認してゐるかどうかと罪状による。我が国では否認事件は勾留が長い。軽微な事件、たとへば痴漢で逮捕され、否認した場合、起訴後も含めて保釈されるまで2、3ヶ月は勾留される。私もこれはをかしいと思ふ。否認すると2、3ヶ月勾留されるといふのでは、会社勤めの者であれば解雇されてしまふ。罪状とのバランスを考へるべきであると常日頃思つてゐる。
 しかし、ゴーン容疑者の場合は、数十億円といふ巨額の会計不正事件であり、容疑を否認してゐるのである。証拠隠滅のおそれもあり、私は長期(もちろん法律上許された期間)の勾留はやむを得ないと思ふ。
 長期の勾留をヤクザにはやつてよいが、世界的な経営者にはやつていけないといふのでは、むしろ法の下の平等に反する。我が国では、元総理大臣といへども犯罪を犯せば逮捕されるのである(私は、田中角栄事件の捜査手続きのすべてが正当であつたといふのではない)。
 次にWSJが強調するのは、弁護人の同席なしの取調べである。取調べにすべて弁護人を同席させるべきかどうか、議論が分かれるところである。弁護人を同席させない取調べは、共産主義の中国か、といつた言ひ方はいかにも公平ではない。
 我が国の取調べの自白尊重主義、弁護人の不在、検察官が怒鳴りまくるといつた暗黒の取調べは、強い批判を浴びた。現在では取調べの可視化(録音、録画)が実行され、特にゴーン容疑者の場合には全面的な可視化が実行されてゐるやうである。
 我が国の刑事事件の根本原則は真実尊重主義である。つまり、冤罪防止と犯罪者に対するそれ相応の処罰である。どこの国でも建前は、この2つが刑事事件の原則であるかもしれないが、アメリカを例にとれば、司法取引の比重が日本より高い。
 この点を明らかにしたのは、古い本であるが、佐藤欣子著『取引の社会‐アメリカの刑事司法』(昭和59年中公新書)である。ゴーン容疑者の逮捕でも司法取引が行われたやうであるが、それでも我が国はゴーン容疑者の行為が本当に犯罪に当たるかどうか、真実発見の方が重視されてゐる。

 ●日本への偏見はないか
 WSJはまた、起訴なしに勾留してゐることが不当であるかのやうに強調してゐる。これは制度の違ひとしかいひやうがない。アメリカでは、私の印象では比較的簡単に起訴する。したがつて、アメリカの刑事事件は日本より無罪率がはるかに高い。我が国の有罪率は99%だといはれてゐるが、私の印象ではもつと高い。アメリカは70%である。
 我が国の検事は、捜査を厳重にして、有罪確実なもののうち、さらに有罪確実でも情状により起訴猶予にして残りを起訴するので、有罪率は99.9%となり、弁護士の活躍する場面は減る。裁判官もそのやうに起訴されたのであるから、これは有罪であらうと予断を持つて審理する。
 根拠が曖昧でもどんどん起訴して弁護士が勝つやうにして30%ほどが無罪となる仕組みがいいか、弁護士が活躍しなくてもよほどのことがなければ起訴されない方がいいか、どちらの仕組みを選ぶのかといふ問題である。
 私は、なるべく裁判官の予断の排除を強調する何らかの仕組みが考へられれば、我が国の制度の方が良いと考へる。
 「国境なき記者団」(本部・パリ)が毎年発表する世界各国の報道の自由のランキングがある。2018年の評価によると日本の自由度は世界の中で68位だといふ。1位ノルウェー、2位スエーデンなど北欧が上位にあるのは妥当としても、韓国の43位など、到底我が国より上位と思へない国も多数ある。
 この評価には、我が国に対する偏見を感ずる。我が国のマスコミは、このランキングを取り上げては、安倍政権下の日本には報道の自由がないと嬉しさうに報道する。
 「日産による奇襲」などと書くWSJの社説は真珠湾奇襲を連想させ、国境なき記者団と同様の偏見を感ずるのである。同様に、朝日新聞が「長期勾留 海外から批判」の見出しで書いた11月29日付の記事についても、素直には受け取れない。
(仮名遣いは原文のまま)