公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.08.29 (木) 印刷する

遺骨の取り違えはなぜ起こったか(上) 渡久地政見(団体職員)

 厚生労働省の派遣団が日本人のものとして収集した遺骨のうち、取り違えた疑いがあるにもかかわらず、公表すらされていなかったケースが相次いで明らかになっている。根本匠厚生労働相は「手続きは適正に行われていたが、結果として鑑定結果に違いが出ている」と事実を認めたものの、開き直りともとれる発言に遺族からは憤りの声が強く上がっている。こうした事態がなぜ起きるのか、遺骨収集に参加した自身の経験から改めて考えてみたい。

 ●遅すぎたDNA鑑定の導入
 先の大戦中に戦地で亡くなった戦没者は沖縄を含め約240万人。そのうち今もなお半分近い約112万柱の遺骨が沖縄や硫黄島といった日本国内を含め、海外の広漠とした大地や太平洋の島々、暗い海底に残されている。
 終戦直後、復員や引揚時に持ち帰られた遺骨は約93万2千柱。昭和27年からは政府事業として旧主要戦域のいわゆる象徴遺骨(遺骨の一部)約1万2千柱が収容されたが、同32年に終了した。
 その後は民間団体が独自に活動を続けたものの限界は否めず、遺骨は雨風にさらされたままだった。その状況を訴え続けた結果、昭和48年からは国がようやく支援に乗り出し、現在に至っている。当初は3分の2を国が補助し、残りは企業や個人の寄付、活動への参加で補う形だったが、平成13年からは全額を国の補助で行うようになった。収集活動は数年計画で実施され、平成31年までの収容遺骨数は約34万柱になっている。
 だが、この中には現地での不十分な鑑定の結果、日本人の遺骨とは明らかに異なるものが紛れていることが明らかになってきた。
 平成15年度からはDNA鑑定が導入され、遺族の特定が行われている。それでも現在までに遺族が特定されて返すことができた遺骨は1149柱にすぎない。内訳は旧ソ連が1135柱、南方等が14柱である。

 ●「国の責務」でなかった収集
 遺骨収集実施までのおおまかな流れは、厚生労働省が、まず資料や現地調査に加え、戦友・遺族の証言などの情報を集めて関係各所の調整を行う。その上で民間団体が現地での実際の働き手となって遺骨収集を実施している。
 しかし、戦後74年が過ぎてなお、遺骨の収容は遅々として進んでいない。収集を終えていない112万柱の内訳には、海没遺骨が約30万柱、北朝鮮など相手国事情により収容困難な遺骨約23万柱が含まれるが、それらを除けば、収用可能な遺骨は59万柱も残されたままだ。地形や記憶の風化等で情報収集はますます困難を極めており、遺骨の保存状態が悪化する中で、遺族の高齢化も進む一方だ。
 遺骨の収集を加速するため、平成28年3月には戦没者遺骨収集推進法が成立した。ここでは遺骨収集が「国の責務」だと初めて明記されている。言い換えれば、70数年もの間、遺骨収集は法的に「国の責務」ではなかったということにもなる。
 国の命令で戦地へ赴き、散っていった英霊を祖国、家族の元に返す、その責任の所在が明示されてこなかったのは不思議としか言いようがない。
 DNA鑑定にしても、当初の対象は旧ソ連で亡くなった抑留者のみだった。寒冷地で埋葬された結果、保存状態が良く、遺留品や埋葬の記録が残っているため、鑑定がし易かったからだという。戦闘が激しかった南方や沖縄では遺骨の保存状態が悪いことを理由に、DNA鑑定は行ってこなかった。
 平成24年、ようやく沖縄でもDNA鑑定が行われるようになったが、対象者を絞っての実施で、受け入れ態勢は今なお鈍重である。鑑定にあてる検体についても、当初はDNA情報の保存状態が比較的良好とされる歯のみだったが、平成29年度からは四肢骨(大腿骨等)も検体として採取するようになった。だが、それ以外の検体については、なお現地で焼骨しているのが実情だ。
 海外での遺骨収集に関して厚労省は、昔からのやり方をただ繰り返すのみで、防疫、輸送上の理由を挙げて現地での焼骨をやめなかった。焼骨は遺骨にあるDNAを破壊する。身元判別は不可能となり、遺族のもとには永久に返せなくなるのだ。
 何事もなく上から下へと引き継ぐことを第一に厚労省は変化を拒み、遺骨収集を待ちわびる遺族の思いをないがしろにしてきた。フィリピンやロシアで相次いだ遺骨の取り違えや隠匿は、その結果だったと言えないか。

 ●誰のための遺骨収集なのか
 とある南方の島での収集では、作業の手伝いとして現地人の手を借りた。ところが、その現地人が隣村の墓を荒らし、日本兵の骨と偽って謝礼の金品を受け取る事態が発生した。それを聞いた他の現地人が、発掘場所すら不明な遺骨をもって殺到し、収拾できなくなったこともある。結果は、その村の土地を荒らし、島民に迷惑を掛けただけだった。
 また別の場所では、日本人が遺骨を買い集めていると勘違いし、先祖らの遺骨に高額な対価を要求するようになり、収集できなくなったこともある。派遣団はすぐそこにあるはずの遺骨を背に、歯ぎしりしながら帰国することもあった。
 いずれもこれは、厚労省が予算確保のため、遺骨の収集数ばかりを先行したがゆえに起こった出来事だ。遺骨収集をボーンビジネスに変えてしまったのは厚労省だともいえる。
 しかし、この問題は厚労省にばかり責任を負わせるわけにはいかない。戦没者への思いが薄れゆくなか、戦争の悲惨さだけを強調する教育にも問題がある。
 日本人が日本人としての誇りを失い、その結果として約112万柱の遺骨が今なお戦地に取り残されているとはいえないか。幸い収集されたとしても、遺骨の大多数は身元不明として扱われ、遺族の元へ帰れないのである。
 一体、誰のための遺骨収集なのか、何のために活動しているのか、私は強く問いたい。

 
遺骨の取り違えはなぜ起こったか(上)
遺骨の取り違えはなぜ起こったか(下)