沖縄県石垣市に本社を置く「八重山日報」という新聞を購読している。首都圏に届くのは郵送のため2日遅れだが、ブランケット版8ページの日刊紙だ。
この新聞が面白いのは、尖閣諸島周辺の領海や接続水域に中国の公船が入った場合に必ず1面で特筆されること、「みなとだより」と題して、那覇港や石垣港などの船の発着が知らされること、などにある。同様に「空の便」も、那覇、宮古、石垣、与那国など沖縄の各空港の運行情報が詳しく取り上げられている。
国際、外交、政治、経済といった全国共通のニュースは、産経新聞からの転載や共同電で埋められるから、正直に言って新鮮味はない。ただ時折、小さな記事にハッと胸を突かれることがある。
●八重山日報の小さなコラム
12月1日付のコラム「金波銀波」は、「19歳で宮古島から沖縄本島に出てきた古波蔵和夫さん(80)を待っていたのは、厳しい離島差別だった」と書き起こし、アパートを借りようとすると「宮古島の人ですか。遠慮してもらいます」と言われたエピソードをつづっている。
コラム氏は「最近では、メディア関係者の間で『離島の政治家は知事選の候補者になれるか』が話題になり、本島出身者が『本島の政治家が認めないでしょう』と、こともなげに語った姿を思い出す」と沖縄における離島差別を論じる。
有吉佐和子は、1980年に与那国島に行き、島津藩、そして琉球王朝から琉球処分に至る間の過酷な人頭税についての知識を得、漁師から本土復帰についての感想を聞くが、「それにしても、沖縄が本土復帰してよかったと、こうして西の果てで聞くと、胸にじんと響いてしまう」と書いた(『日本の島々、昔と今。』)。
●本島から離島を見る意識は
象徴天皇とは何かを問い続けた上皇陛下ご夫妻は、国内、国外、被災地などへの旅を続け、国内で訪れた離島は54にものぼる。退位まで1年余となった2018年3月には、与那国島を訪れた。沖縄本島からの日帰りの旅だったが、日の丸の大歓迎を受けた。
日経新聞の皇室記者、井上亮氏は、こうした歓迎ぶりに「日の丸、提灯、バンザイの洪水に、わたしはアンダーソンの遠隔地ナショナリズムを思った」(『象徴天皇の旅』)と書く。
ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』は難解な本だが、強引に要約すれば、「ナショナリズムは中心から遠ざかれば遠ざかるほど強烈になる」ということだ。
さて、「金波銀波」子は、「沖縄の言論人は、米軍基地問題に絡め『本土による沖縄への構造的差別』を繰り返し糾弾している。しかし本島による離島差別の歴史に関しては、真摯な反省をほとんど聞かない。都合のいい時だけ持ち出される『差別』が、全国に対して説得力をもつわけがない」と言って500字強のコラムの筆を擱く。見事な論点というほかない。