中国によるウイグル人弾圧に関する400ページに及ぶ内部文書が11月17日付け米紙ニューヨークタイムズによって暴露された。これを受けて、12月2日付と同12日付の「直言」で国基研企画委員兼研究員・福井県立大学教授の島田洋一氏と参院議員の山谷えり子氏が、相次いで「保護する責任」と「人道的介入」の必要性について取り上げている。
島田氏は「近年、国際法の分野では、国家が領域内の住民の『保護する責任』を果たさず、『人類の良心に衝撃を与える』危機的状況が発生した場合、国際社会による『人道的介入』が正当化されるとの議論が盛んである」と指摘。山谷氏も「人間の良心に衝撃を与える危機的レベルの人権侵害に対しては、人道的に介入すべしというのが国際社会の動きである」と訴えている。ならば、これら人道上の理由に基づく他国への介入について、各国はどのような行動を起こし、いかなる議論をしたのだろうか。
国際社会の流れとは逆に、わが国では、この種の問題は何故かあまり大きな関心を呼ばない。そこで今回、この「人道的介入」と「保護する責任」について、いくつかの実行事例と国際法上の議論を紹介することで、少しでも読者の理解に役立つことを期待したい。
●「人道的介入」は合法か
「人道的介入(Humanitarian Intervention)」という用語は人道的干渉と訳されることもあった。これは一般に、他国の住民を非人道的行為から保護するために、国家が強制的に介入することを指す。他国への介入は、内政不干渉の原則(国連憲章2条7項)に反するが、人道のためなら国際法上の違法性が阻却されるという考え方に基づく。
もっとも、人道目的であれば自衛権以外で軍事力の行使が可能となるのか、武力不行使原則(国連憲章2条4項)に違背するのではないか、とする見解もあり、双方が対立してきた。
たとえば、インドの東パキスタン独立運動への介入(1971年)、タンザニアのウガンダへの干渉(79年)、グレナダ侵攻(83年)、クルド難民救援作戦(91年)、北大西洋条約機構(NATO)のコソボ空爆(99年)などが具体的な介入例として思いあたる。冷戦終結以降は、人種・民族的対立、宗教的対立等が先鋭化し、それらが複合的に影響しあって、市民抑圧の原因となることが多くなっている。
背景にあるのは、どのような条件のもとでなら人道的介入が正当化されるのか、国家という厚い壁に対する人道上の必要性の挑戦の歴史だと言っても過言ではなかろう。
●議論の余地残したまま
近年の例としてクルド難民救援作戦を取り上げる。湾岸戦争終結後の91年4月、イラクは国内のクルド人及びシーア派住民に対し軍事力をもって弾圧した。このため国連は安保理決議をもってイラクを非難し、抑圧を終わらせるよう要求。これを受ける形で、米英仏軍機がイラクの対空ミサイル基地を攻撃した。この時の米政府は、当該攻撃は人道を目的としたものであり、安保理決議が国際法上の根拠になると主張した。
しかし、当該決議をもって兵力使用許可を与えたとは解釈できないこと、国連決議のない軍事介入はいまだ慣習法化しているとは言えないこと、だから当該攻撃は違法である―という反論が起こった。
ただし、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの人道支援機関が軍の介入を要請したこと、極めて深刻な人道危機に直面していたこと、作戦が短期間で終結したこと―などの理由から、安保理はこの攻撃に異議を唱えず、国際社会は黙認した。
1999年のNATOによるコソボ空爆は、旧ユーゴのコソボ地区で、セルビア軍部隊がアルバニア系住民に虐殺等の非人道的行為を行ったことに対し、NATO諸国が軍事目標を空爆した事案だ。安保理決議が中露の反対で採択されない中、攻撃が強行されたことや、結果的に民間人を含む多数の犠牲者を出したことで、本来の人道目的が達成されたといえるのかという議論を生んだ。
このように人道的介入は、国際法上未成熟の分野とされ、議論の余地を残したままだというのが実態だ。
●「保護する責任」でも不十分
「人道的介入」という用語は近年、国連では議論になり易く、違法な干渉を連想させるようになってきた。このため「人道的介入」に代わって「保護する責任(Responsibility to Protect)」(RtoPまたはR2P)という用語が定着しつつある。国連に設置された「干渉と国家主権に関する国際委員会(ICISS)」の報告書『保護する責任』が2001年に発表され、その後、様々な形で引用されるようになってきたからだ。
国内で発生した非人道的行為に当該国政府が対処する意思や能力がない場合、国際社会に「保護する責任」が生じ、国連が支持する形で非軍事的活動を中心に様々な活動が認められるというものだ。国際社会の責任といえば、「人道的介入」よりソフトな印象を与えるが、強制力を排除することなく他国に介入するという点で大きな違いは見られない。
例えば2011年、リビアの民主化運動を当時のカダフィ政権が弾圧した時、安保理決議は加盟国に対し「必要なあらゆる措置を講じる権原を付与」し、それに応じた米英仏伊などがリビアを空爆した。これがR2Pの代表事例とされる。
他方、何らかの緊急措置を要する事態でありながら、常任理事国の拒否権行使などにより安保理が機能不全となる場合が想定される。このことは、R2Pの前提が崩れ、いずれの国も国連決議に基づく行動が取れなくなることを意味する。
例えば、シリアではリビアより1カ月遅れで民主化運動が起こり、アサド政権がそれを武力で制圧しようとした。翌年、アラブ連盟が安保理に対し、人権侵害と武力行使の即時停止を求める決議案を提出したものの中露の拒否権にあい、なんら効果的な措置をとれなかった。
今回のウイグル問題でも、安保理は米中の非難合戦の場と化しており、国連人権理事会も同様に機能不全のままだ。つまり、R2Pという用語に変わっても、国連に多くを期待できないことは、島田氏の指摘のとおりである。
●国際圧力高める重要性
「人道的介入」も「保護する責任」も、一般市民を非人道的な行為から守るための緊急措置であることに変わりはない。保護すべき国家が、保護する能力も意思もないばかりか、むしろ抑圧の主体となり、住民に対して非人道的行為に及んだとしても、安保理が空転してしまうのであれば、国際社会はそれを看過するしかないのだろうか。
今後、同様の事案に際しては、とりわけ中露が絡む場合、拒否権により安保理が機能しないことを事前に想定し、人権を尊重する国々が連帯して国際圧力を高めることが重要だ。加えて、住民保護のための緊急措置を具体化するネットワーク作りも必要ではないか。
たとえば、関係情報の収集、共有などは、その第1歩だ。民間の研究所や非政府組織(NGO)などと積極的に協力することもありうる。いかなる危機的状況下にあろうとも、事実を正確に把握することが、問題解決への必要条件である。
いまでも世界には虐待を受け、助けを求める住民が多数いる。救える命が手遅れにならないよう、実行可能な具体策を早急にとることが、国際社会の喫緊の課題だ。北朝鮮による拉致被害者を未だに救出できないでいるわが国は、とりわけ他人事ではないと肝に銘じたい。