公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.12.18 (水) 印刷する

同盟国に責任分担迫る米国の基本姿勢 島田洋一(福井県立大学教授)

 時に条約の破棄や米軍撤退を仄めかしつつ、同盟国に踏み込んだ「責任分担」を迫るトランプ大統領の姿勢は、アメリカの同盟政策の本筋からの逸脱であろうか。
 確かに、その露骨な物言いはしばしば「大統領らしさ」を欠く。しかし過去半世紀の流れを振り返ると、その基本姿勢には、逸脱どころかむしろ本筋への回帰と言える面がある。

 ●在外米軍削減は歴代政権に共通
 ちょうど50年前の1969年7月25日、ニクソン大統領(共和党)はグアム島で記者会見を開き、今後は南ベトナムの防衛に同国自身が当たることを期待すると述べた上、「同盟国や、米国の安全保障上死活的に重要な国の自由を核保有国が脅かした場合、米国は楯を供給する。しかし、それ以外の場合は、脅威に直面する国々自らが、自国防衛のための兵力を提供する責任を負う」とするグアム・ドクトリン(後にニクソン・ドクトリンと改称)を打ち出した。
 その後、民主党のカーター大統領は、このドクトリンを朝鮮半島においてより極端かつ性急な形で実行しようとした(当初は在韓米軍全体の撤退、後に地上軍に限って撤退と発言を修正)。カーター就任の1977年1月時点で、在韓米地上軍は3万9000名規模だった。同年5月5日、カーターは「大統領決定第12号」の執行を命じる。
 すなわち、1978年中に、まず韓国駐留の陸軍第2師団のうち1旅団(少なくとも6000名)が撤退し、1980年半ばまでに2つめの旅団と支援部隊(合わせて少なくとも9000名)が韓国を離れる。1981年から82年にかけて全地上部隊の撤退を完了するという内容だった。
 しかし、政府部内や議会からの強い懸念の声に押され、カーターは撤退ペースのスローダウンに渋々同意し、1978年中の撤退は1大隊800名プラス非戦闘部隊員2600名のみに下方修正された。

 ●トランプ発言は歴史的視野で見よ
 1979年に入ると、イラン革命と第2次石油ショック、ソ連のアフガニスタン侵攻といった嵐に見舞われたこともあり、結局カーター在任中の在韓米軍撤退は1978年分のみに留まった。
 カーターが4年間で全地上軍撤退という性急な方針を騒々しく打ち上げることがなければ、すなわちより静かに事を進めていれば、より多数の撤退に至ったかも知れない。現にニクソン政権は、韓国から第7歩兵師団2万名(カーターが実行した数の約8倍)を静かに撤退させている。
 その後、ソ連崩壊によりソ連という主敵が消えたため、西側同盟のあり方について同盟国間で詰めたやり取りが行われない「凪の状態」が数十年続くことになった。
 しかし今また、中国共産党政権が主敵として立ち現れてきた。同盟政策を真剣に考え直すとき、米側としては、当然ニクソン・ドクトリンの復活という方向になるだろう。
 日本としては、トランプ氏の個々の言動に目を奪われるのではなく、底流にある動きを歴史的視野で捉え、主導的に対応していかねばならない。