公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.12.19 (木) 印刷する

英EU離脱で加速するNATOの空洞化 佐藤伸行(追手門学院大学教授)

 2020年1月末をもって、英国は遂に欧州連合(EU)から離脱する。英国が持つ「歴史の運動法則」からすれば、それは本来の姿への回帰であり、欧州共同体(EC)時代も含めれば、過去ざっと半世紀に及ぶ英国の欧州大陸への帰属は、むしろ例外的な一時期だったと言える。
 ブレグジット(英国のEU離脱)は、欧州大陸の主導権を握る独仏枢軸の重力圏から脱した英国が、伝統的なバランス・オブ・パワー(勢力均衡)戦略へ立ち返ることを意味する。英国の経済的損失ばかりに目を奪われがちだが、EUによる主権への規制に反旗を翻した英国の国家理性はもっと語られてもいいだろう。

 ●強まる米英の「特別な関係」
 バランス・オブ・パワーは英国の国家理性の中核的要素だが、その戦略は、欧州にとどまらず、グローバルな視角を持つようになるはずである。英国と米国の「特別な関係」は深化し、「アングロサクソン連合」として相互補完関係が強まるからだ。
 言うまでもなく、こうした両者の関係は、トランプ米大統領とジョンソン英首相という異色のコンビによってのみ培われるのではない。指導者が代わっても、米国は基本的に、英国という有力な同調者を必要としており、EUを離脱した英国はそうした役割をさらに強く演じることになる。
 さらに英国は、米国との関係強化に軸足を置きつつ、英連邦という大英帝国の遺産を活用し、グローバルなネットワークを再構築する構想も温めている。ブレグジットには、「帝国の復活」というベクトルも秘められていると見るべきだ。

 ●傷だらけの欧州統合
 戦後の欧州の安定に寄与したとされる欧州統合というモデルは傷だらけになった。
 ギリシャ危機、ユーロ危機は、ドイツを中心とするEU北部と南欧との溝の深まりを決定づけ、EU内部に鎮まることのない怨念を残した。これに続く難民危機は、ハンガリーやポーランドなど周縁国の離反気運を高め、統合の大義名分は急速に失われていった。
 こうした危機が起きていなければ、英国は離脱を決めなかったかもしれない。だが、英国は大きく舵を切った。
 EU内で、米国のために働く「トロイの木馬」に擬せられていた英国は、伝統的な大陸政策に半ば公然と回帰し、独仏という大陸覇権国に対する牽制を強化するだろう。またアングロサクソン陣営は歴史を通じて、ドイツとロシアの接近を警戒しており、両者の離間に腐心してきた。これからも米英は、ポーランドやハンガリーなどEU周縁国との関係を強化し、ドイツやロシアへの圧力を醸成しようとするだろう。

 ●ロシア冒険主義の誘因に?
 ブレグジットは、北大西洋条約機構(NATO)の今後にも影響を与えずにはおかない。EU最大の軍事強国である英国は、米欧を橋渡しする重要な存在だったが、その英国がEUから抜け落ちることで、NATOの凝集力も弱まらざるを得ない。
 「NATOは時代遅れ」と公言して大統領の座に就いたトランプ氏は、米国のNATO脱退というシナリオすら弄んでいると報じられた。マクロン仏大統領はNATOに「脳死」を宣告した。ロシアのプーチン大統領は、ジョージア(グルジア)危機、ウクライナ危機と、NATOの「臨界点」を探る実験に踏み切ったが、NATOは動かなかった。
 ジョージアもウクライナも法的な集団防衛の対象国ではなかったものの、「史上最も成功した軍事同盟」の名をほしいままにしたNATOの存在理由には大きな疑問符が付きまとっている。
 英国が大陸欧州と一線を画したことで、大西洋同盟の空洞化がさらに進行するのは避けられない。NATOの空洞化・弱体化は、ロシアにとってさらなる「冒険主義」の誘因となる。ロシアは、東欧を再び自らの影響圏に引き戻そうとするかもしれない。

 ●強まるポピュリスト政党
 ブレグジットを契機に、EU加盟国の間に離脱のドミノ現象が起きることは、現時点ではまず考えられない。国民投票からの3年余、英国政治の混迷を見れば、離脱への機会費用は大きすぎることが分かったからだ。ただ、反EUの右派ポピュリスト政党の主張は声高になる。
 たとえば、旧東独地域の「準国民政党」の地位にまで勢力を伸ばしている「ドイツのための選択肢」(AfD)は、反エスタブリッシュメント(既得権益層)の主張を求心力拡大の梃子てことしている。AfDにとって、欧州統合推進派は攻撃すべきエスタブリッシュメントにほかならない。
 他方、旧西独地域では「欧州連邦共和国」や「欧州軍」の創設を夢見る「緑の党」が2番手の人気を誇る国民的リベラル政党に成長するまでになった。EUの盟主的存在であるドイツですら、欧州政策をめぐる民意は東西で極端に分裂しており、依然、国家が二重に存在しているように見えるほど、現状は深刻なのである。