公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.12.20 (金) 印刷する

対中政策としてのWTO再生の意義 大岩雄次郎(国基研企画委員兼研究員)

 世界貿易機関(WTO)の中枢機能の一つである紛争処理機能が暗礁に乗り上げている。12月10日、「最高裁判所」に相当する上級委員会の2人の任期満了により、委員が1人となり、新規案件の審理を開始できない事態に陥った。
 新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)は開始以来ほぼ20年を経過したが、先進国と途上国間の対立から合意の見通しは全く立っていない。自由化やルール作りの機能不全に加えて、紛争処理の司法機能が麻痺すれば、WTO自体が漂流するリスクは一層高まる。
 中国という国家資本主義国が台頭し、企業が生産工程の最適化を図るために、複数国にまたがって財やサービスの供給・調達を行うグローバル・バリュー・チェーンを形成している時代に、現在のWTOの機能不全ばかりを問題とするのではなく、「WTOなき世界」の問題点を想像し、164か国が参加するWTOの意義を再認識すべきである。

 ●EPA、FTAの拡大リスク
 ドーハ・ラウンドの停滞を背景に、WTOが実質的に機能しない現状で、国際社会では、二国間・複数国間で貿易自由化や投資、知的財産等の幅広い分野のルールを整備するEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)の締結が加速し、貿易の自由化とルール作りの主流となりつつある。
 これは同時に、ルール作りにおけるWTOの中心的役割を脅かすリスクを孕む。貿易障壁の軽減及び無差別原則という基本ルールに立つWTOルールを規範とする自由貿易体制のガバナンス(統治機能)を有名無実化することに繋がる。またEPAやFTAは、原産地規則など異なる基準や規則が複雑にからみ合って、経済効率性に基づく最適な生産ネットワークの構築を困難にする、いわゆる「スパゲティボウル現象」に陥るリスクが高い。
 危惧されるのは、EPAやFTAが、WTOのような基本ルールを裏付けに持たないため、参加国の力関係が大きく結果に反映されることである。インドがRCEP(東アジア地域包括的経済連携)への不参加を表明した理由として、中国の国有企業の補助金や保護政策の不公正な貿易問題や、知的財産権侵害への対処などで進展がないことが指摘されている。
 EPAやFTAの拡大は、共通の「法の支配」の下での多国間貿易秩序を確立し、自由貿易体制を発展させるというWTOの目的と整合するとは限らない。
 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)もEPAの一種であるが、WTOの基本ルールに最も近いルールを実現している点でRCEPとは根本的に違う。参加国がWTOを規範にするという共通認識があるからこそTPPへの信頼が醸成されることを認識すべきである。

 ●「途上国居座り」を許すな
 そもそもGATT(関税及び貿易に関する一般協定)がWTOへと発展的解消をした背景には、ニクソン・ショック当時の欧米の保護主義政策をGATTでは十分抑制できなかったことがある。WTOは司法的な力をもつ強力な紛争解決機関を設けることで、大国の一方的措置を制御できるようになったといえる。
 しかし最近は、WTO加盟後も十分な自由化の進展が見られない中国が、まるでWTOの守護者であるかのような言動を見せている。世界第2位の経済・貿易大国になりながら途上国の例外的立場に居座り続け、国営企業が多いにもかかわらず政府調達協定(GPA)にもいまだ加入していない。このような国がWTOで影響力を拡大することは、 WTO 体制の自滅を引き起こしかねない。
 現在のWTOの機能不全は、必ずしもWTO設立の精神を否定するものではない。WTOが実質的に機能しないことは、中国のような国家資本主義国を利するだけである。
 GATT・WTO体制以前のパワー・ポリティックスの時代への回帰は避けなければならない。そのためにはWTOを21世紀の新たな環境に対応できる体制に転換させるべく米国、EU諸国だけでなく、アジア、アフリカ諸国と連携をして、再生に全力を挙げるべきである。