公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.01.22 (水) 印刷する

米イラン戦争を止めた「悲劇の代償」 湯浅博(国基研主任研究員)

 全面戦争に至る寸前に小康を保つことができたのは、そこに「悲劇の代償」があったからではないのか。イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官が年明けの3日、イラクのバクダッド空港でアメリカ軍の無人機攻撃で殺害され、国際社会はアメリカとイランの報復戦争の行方に固唾をのんだ。
 イランのミサイルによる報復攻撃に、アメリカ軍が反撃を自制して戦争を回避しようとしたのは確かだ。だが、それ以上に抑制機能が働いたのは、ウクライナ航空の旅客機をイラン革命防衛隊がアメリカ軍機と誤って撃墜してしまったことへの悔悟と非難の高まりであろう。

 ●山本長官機の撃墜とは違う
 ソレイマニ司令官が指揮するコッズ部隊は、イラン革命防衛隊の対外的な特殊工作部隊である。ソレイマニ司令官と一緒にいて殺害されたハムディス副司令官は、イラクのシーア派民兵組織の最強硬派「カタイズ・ヒズボラ」の司令官だから、アメリカ軍から狙われるだけの理由がある。
 直接的には昨年12月27日に、このカタイズ・ヒズボラがキルクーク近くのイラク基地を攻撃して、アメリカ人1人を殺害し、アメリカ兵4人を負傷させたことがある。その後はアメリカ軍の報復攻撃と、対するヒズボラのロケット弾攻撃という報復の繰り返しである。
 ソレイマニ司令官を標的にすることは、クリスマス期間中に攻撃計画が立案され、1月3日未明にバグダッド空港に到着するとの情報から、トランプ大統領はソレイマニ殺害への誘惑に勝てなかった。すでに昨年10月、原理主義武装組織のイスラム国(IS)のバクダディ容疑者を殺害している。カネのかかる戦争を好まないトランプ大統領としては、チャンスさえあればソレイマニ殺害にも躊躇はなかったのだろう。
 ソレイマニ司令官はこれまで、レバノンのヒズボラ、シリアのアサド大統領、イエメンのホーシー派を支援し、彼らによる代理戦争を仕掛けてはイランの影響力を拡大した「テロの元締め」である。ソレイマニ司令官がカタイズ・ヒズボラと組んでIS撲滅にあたったが、彼自身がイラン公式機関の司令官でありながらテロリストの親玉に見えて何の不思議もない。
 ただ、アメリカはISとは交戦状態にあるからバグダディ殺害はその延長にあるが、イランとは戦争状態にあるわけではない。従って、ソレイマニ殺害には国連安保理に提起するか、自衛権の行使以外には正当化できないはずだ。そこでアメリカ国務省は、第二次大戦中の山本五十六搭乗機を撃墜したときと同じだとの妙な理屈を引っ張り出してきた。当時の日本とアメリカは戦争中であって、いまの対イランとは異なるではないか。

 ●決断のブレで抑止できず
 ソレイマニ殺害はイラク市街地を回避してバグダッド空港を選択することで民間人を巻き込まないよう配慮している、との釈明も正当化にはつながらない。アメリカの占領軍は2011年に撤退しており、いまはイラクとの地位協定による駐留軍に過ぎないからだ。この辺りの根拠がしっかりしていないと、トランプ大統領もまた、かつてクリントン大統領が1998年の大統領弾劾訴追の時に、イラクに巡航ミサイルを撃ち込んで「弾劾裁判をかわすためか」と疑われたような憶測を呼んでしまうのだ。
 実際に、イラクのクウェート侵攻で始まった湾岸戦争は、1991年1月にアメリカ軍がイラク空爆を開始するまで、ブッシュSr.政権がシャトル外交を展開して国連決議を経たのちに開始している。その後のイラク戦争でも、アメリカは有志連合を組織して軍事行動を起こしている。全面戦争とピンポイント攻撃の違いはあるが、アメリカの影響力を阻止しようする「戦略的競争相手」が台頭しているときこそ、正当性や意義がより重要になる。
 時にそれは、トランプ大統領の気まぐれや決断のブレによって無視されることがある。昨年6月に、アメリカの無人機がイラン軍に撃墜されたとき、直ちに反撃しなかったことがあった。イラン軍基地を攻撃すれば「150人の死者を出す」との報告を受けて、空爆に踏み切らなかった。この一件でトランプ氏が「軍事行動を起こさない大統領」とのイメージを拡散させ、それ以降のイランの軍事行動を抑止できなくなった遠因ともいわれる。

 ●第2のソレイマニ登場も
 今回のソレイマニ殺害から開戦に至らなかったのは、ともに中東の混乱や国力の消耗を忌避したこともあるが、直接的には予期せぬ悲劇がブレーキをかけた。イラン革命防衛隊が在イラクのアメリカ軍基地に弾道ミサイル十数発を撃ち込んでまもなく、ウクライナ航空機がテヘラン近郊に墜落した。イランの地対空ミサイルの誤射が疑われたが、イランは「技術的な問題」を主張して撃墜の可能性を否定した。
 しかし、アメリカはこの地域にレーダーを張りめぐらせているし、ミサイル探知のための電子戦機を飛行させている。イランの通信内容も傍受されているから、国際社会をごまかすことはできない。翌日には、イランがウクライナ機を誤って撃墜したことを認めざるを得なかった。イラン国内の反米デモは潮が引くように消え、代わりにイラン指導部の虚偽を非難する反政府デモが発生したことが、事態の変化を象徴している。戦争の危機が沈静化したのは、ウクライナ機の乗客乗員176人の命と引き換えであったのだ。
 冷戦終結の直後には、確かに「アメリカのやることが正義」という覇権安定の時代があった。あれから30年を経て、いまはアメリカが率いた自由主義世界秩序が、全体主義的な中国とロシアという「戦略的競争相手」からの挑戦をうけている。イランはその中露の後押しを受けており、ソレイマニを除去しても、第2のソレイマニを登場させる素地がある。ソレイマニが築いたイラク国内のカタイブ・ヒズボラはじめ、シリア、レバノン、イエメンのテロ組織ネットワークは無傷で残り、アメリカ関係施設へのロケット砲攻撃は終わりそうにない。