新型コロナウイルス禍が猖獗を極める欧州から、統合の理念の尊さを説く声を聞くことはまず、なくなった。14世紀の黒死病(ペスト)が欧州社会を激変させたように、コロナ危機収束後の欧州が以前と同じ姿を保っているとは思えない。「欧州連合(EU)はコロナ危機を生き延びることができるのか」と問う声もかまびすしくなってきた。
5年前、百万人に近い難民を受け入れるという大胆な政策を決断し、保守政党の党首でありながら「リベラル世界の指導者」ともてはやされたドイツのメルケル首相は、フランスやオーストリアなど5カ国との国境を事実上封鎖した。もとよりこの措置を批判するつもりはないが、EUの中核国として統合の旗振り役を演じてきたドイツが、「国境なき欧州」という統合の理念を一時的にせよ停止した事実はなにかと語り草になることだろう。
●次はイタリジットか
「欧州の連帯」という美談もほとんど聞かれない。コロナ感染による死者が比較的少なく、医療資源が他国に比べて余裕があるとされるドイツは、イタリアやフランスなどから重症患者を引きうけ、空きベッドに収容していると、しきりに報道されるものの、その数はせいぜい100人程度であり、「焼け石に水」としかいいようがない。
ユーロ圏財務相会議は先ごろ、5000億ユーロ以上の経済対策で合意したが、これによってEU が求心力を取り戻すことにはならない。コロナ危機が最も深刻なイタリアで行われた世論調査では、この経済対策は遅すぎる上に内容も十分ではないというイタリア人が多かった。イタリアのEU離脱を支持する割合は1年半ほど前に比べて20%も跳ね上がり、約半数が「イタリジット」に賛成したとか。
コロナ危機の最中、金銭の絡むEU内の南北対立も続く。経済対策では、ユーロ圏共通債券であるコロナ債の発行をめぐり、フランス、イタリア、スペインなど「南グループ」が、発行を渋るドイツ、オランダ、オーストリアなどの「北グループ」と対立し、例によって調整が難航した。
コロナ債は、EUの経済対策費用を、ドイツを筆頭とする裕福な国に肩代わりさせようというものだけに、人道主義のメルケル首相といっても、さすがに首を縦に振らない。とすれば、ドイツを打ち出の小槌として使うことのできないEUに、イタリア国民はたいして魅力を覚えない。
●分裂の危機はらむ共同体
ユーロ圏の経済対策は、とりあえずまとまったものの、コロナ危機で死活的なのは医療体制にほかならない。だが、人命を救うという直截的な意味において、EUという機構はほとんど存在感がなかった。
パンデミック(感染症の世界的拡大)という未曽有の危機に際して、人が頼らなければならなかったのは、国家であり、身近な自治体であったはずだ。加盟国の主権の一部の移譲を受けたEUという「超国家」は、人命救済の最前線に立つことは決してなかった。命のかかる今の危機の渦中、人々は改めて、EUという政治的擬制に感づいたことだろう。
行き過ぎたグローバル化への嫌悪も手伝って、いわばグローバル化の申し子でもあったEUはさらにモメンタム(勢い)を失い、人々の「国家再発見」の気運は強まっていく。
1990年代、欧州統合論者だった元西独首相ヘルムート・シュミットは統合懐疑派をこう説得した。
「欧州統合には、神聖ローマ帝国という前例があるではないか」
ひとつの帝冠の下、数多くの領邦国家の寄り合い所帯だった神聖ローマ帝国が欧州統合の雛形なのであり、その歴史的経験があるドイツ民族は欧州統合に馴染むはずだと、シュミット氏は言いたかったようである。
EUの未来を占うとき、シュミット氏の持ち出した比喩は正鵠を射ているかもしれない。
神聖ローマ帝国は、「帝国」とは名ばかりであり、現在のドイツにほぼ重なる領域に多くの「主権国家」がひしめきあっていたのが実態だった。
EUという虚ろな機構と単一市場、共通通貨はしばらく存続するだろうが、不断に分裂の危機をはらむ主権国家の共同体という性格はますます強まっていくだろう。EUはいつしか、「第二神聖ローマ帝国」と呼ばれるのかもしれない。