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2020.09.23 (水) 印刷する

菅政権は「プーチン後」見据え布石を 遠藤良介(産経新聞論説委員、前モスクワ支局長)

 国際舞台で日本の存在感を大いに高めた安倍晋三前首相だが、対ロシア外交については完全な空回りに終わってしまった。菅義偉新政権の発足は日露関係を仕切り直す良い機会である。とはいえ、プーチン露政権は北方領土の返還に応じる意思を全く有しておらず、長期的な視野で大胆に対露戦略を描くことが欠かせない。

前のめり過ぎた安倍前政権

安倍前政権による対露外交は、①経済協力をテコに領土交渉を動かそうとした②北方四島のうち色丹、歯舞の「2島」に事実上絞って交渉しようとした--という2点に集約される。プーチン政権は日本の足元を見て、「日本との間に領土問題は存在しない」と主張するまでに態度を硬化させた。官邸がロシアの内情や国際情勢を考慮せず、希望的観測に基づいて交渉に前のめりになった結果である。

プーチン大統領は2014年のクリミア併合によって低下傾向にあった支持率を回復させ、これ以降、保守層に依拠して求心力を保つ構図を強めた。近年の米中対立を受けてロシアは中国との関係を深める一方、日本を「米国の同盟国」として警戒する傾向を強めた。ロシアが真摯に領土交渉を行う状況ではなかった。

この流れを決定的にしたのは、プーチン政権が7月に成立させた憲法改正だ。この改憲はプーチン氏の長期続投を可能にすることが主眼だったが、保守層の歓心を買うべく、「領土割譲」を禁じる条項が盛り込まれた。議会は関連法の整備に着手しており、「領土割譲の行動」に最長で禁錮10年、「領土割譲の呼びかけ」に同4年以下を科す方向で準備されている。

菅新政権は、プーチン大統領在任中の領土返還はほぼ不可能であることを冷徹に見据え、覚悟すべきであろう。同時に、プーチン体制はもはや黄昏に入っているとの認識に立ち、「プーチン後」を見据えて布石を打っておくことが重要だ。

ロシアの地殻変動に備えを

とかく日本人は、北方領土問題という「点」でロシアを見てしまいがちだが、旧ソ連圏という「面」に目をやれば、中長期的な民主化の地殻変動が起きていることに気付くはずだ。
 
2014年にはウクライナの大規模デモで親露派政権が崩壊し、18年には親露国のアルメニアで民主化デモによって政権が交代した。今年8月のベラルーシ大統領選をめぐっては不正に抗議する大規模デモが起き、1994年から大統領の座にある独裁者のルカシェンコ氏が窮地に立たされている。

ソ連崩壊後の長期政権や強権統治には次々と「ノー」が突き付けられており、プーチン氏とて決して安泰でない。プーチン長期政権への不満が何かの契機で一気に噴出する事態は十分にあり得る。そして、ロシアの体制や価値観が変わり、経済的な支援も必要とするような状況こそが日本にとっての好機なのである。

菅首相は、安倍前政権が交渉の基礎にするとした日ソ共同宣言(56年)は「基礎文書の一つ」に過ぎず、日本が求めているのは北方四島の返還であることを改めて明確にすべきだ。その上で「領土問題が解決すれば日本の対露感情は劇的に変わる。その時こそロシアが課題とする極東開発などの難しい問題でも協力できる」と伝え、交渉の論理を組み立て直す必要がある。

ロシアの世論と国際社会に向けて北方領土占拠の不当性を訴える努力も不可欠だ。日本のメディアは、しばしば「ロシアでは世論が領土引き渡しに反対している」とロシア側の言い分を報じるが、実際には、ロシア人の大半が北方領土問題の何たるかを知らない。

北方領土占拠はソ連の独裁者スターリンの「犯罪」であるという事の本質を地道に広報し、反体制派にも説いておくべきだ。ロシアの保守層以外では、スターリンを否定的にとらえる人が多いのだ。