三島由紀夫と言えば、その壮烈な自死と晩年の急速な天皇への思い入れが、とかく注目されがちである。憲法改正による自衛隊の国軍化を主張し、戦後日本に覚醒を求めた。蹶起が1970年であることは象徴的で、この年開かれた大阪万博には、実に6400万人もの人びとが殺到した。この来客数は2010年に北京万博に抜かれるまで1位を記録しつづけた。つまり三島の自決は、日本人の関心が「政治的主張から経済的豊かさへ」と場面転換する象徴となったのである。
「行動」で戦後の虚無超克と認識
ところで、三島の政治的主張は、実は初期の作品から一貫している。例えば三十代に書かれた作品『金閣寺』の主題は、晩年の政治的主張と深いつながりを暗示している。
コンプレックスを抱えた主人公の青年僧と金閣寺との関係を描いた作品で、三島はおよそ3つの主題を展開している。それは虚無であり、美であり、行動が人間にとって持つ意味である。小説が展開される場面は、戦時中であり、悲報が次々と届く暗い時代を養分として、金閣寺はますますその美しさを増してゆく。なぜなら空襲が日常と化していた当時、金剛不壊に見える金閣寺の明日は何ら保証されていないのであり、いつ灰燼に帰すか分からない。その「危うさ」が金閣の魅力を増幅していくのである。
したがって、時代には何一つ確定的なものはない。誰がいつ死ぬのか、どこに爆弾が落ち、一千年を誇る都が焦土と化すか分からない。こうした非日常が日常となった時代、緊張感が常態である時代を生きた三島は、そこからこの世は「虚無」であると喝破した。
この深いニヒリズムと諦念をどう克服するのか。それでもなお、人が生きねばならないとして、どう生きるべきなのか。これが終戦後、三島に課された課題だった。人びとは「戦後民主主義」を寿ぎ、戦時中の虚無を忘れ、経済的豊かさに耽っている。三島はある意味、戦時中に置き去りにされている。そして戦後こそ、戦時中の虚無を超えるニヒリズムの時代であり、克服されねばならないと考えたわけだ。
政治の「遅さ」に耐えられるか
かくて、三島にとって「行動」こそが目標となる。憲法を改正すること、自国の独立を自国の軍隊で守ることが「行動」の基準となる。自衛隊に体験入隊したこと、剣道を練習すること、陽明学や『葉隠』を読むことは、すべては「行動」に直結していた。それは極めて怪しい魅力をもった主張となって、今日の私たちにまでメッセージを発している。
『金閣寺』では、コンプレックスを抱え、女ひとつ口説けない主人公は、「認識」の人として描かれる。この状況を打ち破り、女を抱く「行動」に出ようとする時、必ず目の前に金閣が現れるのだ。つまり金閣寺の「美」は、「行動」を断念させるものとして描かれている。だからこそ、主人公は脅迫的に金閣に火を放ち焼き尽くす必要があった。それは「行動」することを必要とするからである。
だが、以上のようにまとめてきて、筆者は三島の「行動」に魅力とともに、ある危うさを感じる。なぜなら三島が主張する「行動」は、常に自死とテロリズムを想起させる過剰さを含んでいるからだ。
だが誰しも知るように、政治の世界とは、熟慮と交渉を必須とする。つまり調整の時間という「遅さ」を必要とする。三島はこの「遅さ」に耐えられなかったのではないか。つまり、政治の世界にあまりにも過激な「行動」を持ち込みすぎてはいないか。
三島の可能性と危うさ。それを知ることは、政治とは何かという根本的な問いに私たちを誘うのである。