公益財団法人 国家基本問題研究所
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原発をどうする

2011.10.06 (木) 印刷する

原発容認の価値観と哲学を問う 会員 高橋憲一

 岩崎良二氏の主張は、車も資本主義も便益であるからその利便の対価を支払えと述べている。それは極論すれば命を奪っても致し方ないとの立場を選択し、その犠牲はやむを得ないとすることだが、果たしてご自身がその対象者となっても貫ける自信がおありなのか。
 原発事故と自動車事故や資本主義の弊害は次元の異なる問題ではなかろうか。自動車事故は及ぼす範囲が狭く、資本主義の弊害は修正が可能である。自動車事故は機能や構造を改善することで限りなくゼロに近付けられるし、資本主義の弊害すなわち弱肉強食の原理は、近代日本資本主義の創始者渋沢栄一が唱えた「殖産と仁義道徳の合一」の実現によって修正可能である。
 原発事故は、被害が及ぶ範囲の広さ、農産物・水産物と土壌や海水の汚染、長期間にわたる健康被害、汚染地域への帰還不能などに照らし、再生不可能な程の被害の甚大さであり、いかに効率的で大量の電力を生み出すからといって、原発被災者の身になれば容認できないことであろう。
 岩崎氏の主張はまた、原発の供給電力なしでも他の発電で操業可能な日本の現状を無視している。事故によってその当事者の人生を奪い、父祖伝来の土地を奪う原発に価値を認めよとする哲学の妥当性を、改めて岩崎氏に問いたい。その弁は即ち人生は何のためにあるかという素朴な思いを無残に打ち砕き、仁義道徳に対する冒瀆(ぼうとく)である。10万人以上の家族、隣人、友人などのコミュニティーを離散させている現状を完全に元通りにしてからの論議として頂きたい。