國學院大學の藤本頼生准教授が3月5日(金)国家基本問題研究所企画委員会に来所した。日本という国家を見る上で基本となる視点の一つである天皇と神社の問題について、特に明治維新期以降を概説し、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと意見交換した。
明治維新は近代以降のわが国の歩みの起点となった。維新期の数年間になされた行政政策は、現代へとつながる政治や行政の基礎となっている。特に天皇・神社にかかる諸体制の基盤はこの時期に作られている。
わが国は慶応4年(明治元年)の大政奉還から新体制を構築する。それも1年という短期で沢山のことを成し遂げる。その中で顕著な動きとしては、大久保利通による大坂遷都の建白、天皇の大坂行幸、神祇官の設置、五箇条の御誓文へと続く。その後、江藤新平らによる東京奠都の議がなされ、明治へ改元、明治天皇が御東幸される。
わが国が天皇中心の近代中央集権国家として発展するためには、多くのしがらみのある京都から天皇には外に出ていただく必要があった。当初は大坂という選択もあったが大坂は狭く京都にも近いことから江戸ということになる。その大坂行幸でも、神社寺院への特段の配慮がうかがえる。これは孝徳天皇御代の治政方針「先ず以て神祇を祭鎮めて、然して後に政事を議るべし」とあるように、大坂行幸の際にも住吉大社、坐摩神社などに行幸されている。
東京奠都に際しては、東京の鎮護と民衆の平安を祈る社が必要とされ、一宮の氷川神社へ行幸して勅祭の社と定めたほか、畿内の22社に准じ、旧武蔵国管内の古社12社を准勅祭社に指定した。また伊勢神宮の東京出張所ができ、これは後の日比谷大神宮、現在の東京大神宮となる。太政官制の中で復興された神祇官は当初行政機関の筆頭でもあり、天皇親政の様子がうかがえる。
さて、明治45年の天皇崩御に際し、明治神宮が創建される。これは大正期以降の神社の在り方を決定づけたとして特筆すべき意味がある。
代々木を鎮座地とした神宮には内苑と外苑があり、内苑は官費で外苑は献費(浄財)と奉仕で造営されたように、国民の敬仰追慕の思いが形となった。結果的に、国家の宗祀としての神社観を決定づけ、近代神社制度の基礎が固まった。
また、都市計画の観点からも当時の最先端の造園技術を反映させ、森林の維持システムや都市の中の広大な公共空間としての価値は、決して色褪せない。
明治神宮以外でも、地元の神社が行う祭礼で地域の紐帯を保つ、あるいは防災拠点として活用する、など神社の持つ地域社会への重要な役割は見直される必要があるのではないか。
【略歴】
1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部准教授、同大學研究開発推進センター准教授(兼担)。博士(神道学)。平成9年~23年まで神社本庁にて奉職の後、國學院大學神道文化学部専任講師を経て現職。日本宗教学会理事、神道宗教学会理事なども務める。
著書に『明治維新と天皇・神社 一五〇年前の天皇と神社政策』(錦正社、2020年)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社、2017年)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店、2012年)など。
(文責 国基研)