9月5日(金)、国基研企画委員会はドイツの中国学・アルタイ学(注)の権威である常設国際アルタイ学会(PIAC)書記長・オリバー・コーフ氏を招き、最近のヨーロッパ情勢などについて、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと意見交換した。
コーフ氏は、今回アルタイ学の国際学会に出席した後、時間を割いて帰国直前にもかかわらず来所した。氏は中国学やアルタイ学の権威であるばかりでなく、欧州の安全保障にも造詣が深く、ロシアのウクライナ侵略戦争に危機感を抱く欧州の現状などをドイツ人の視点から説明した。
【概要】
〇欧州における戦争と平和
ウクライナに対するロシアの殲滅戦争は留まることを知らない。この戦争は欧州の第2次世界大戦後の秩序を崩壊させた。しかしその予兆は、2008年に起こったロシアによるジョージア侵攻(南オセチア紛争)を見ると明らかだった。ジョージアの南オセチアに住むロシア系住民を保護する名目でロシアが軍事侵攻し、領土の約2割を占領したのである。その後、2014年にクリミアをウクライナから切り離すことからウクライナ紛争が始まった。ロシアはウクライナ国内で親ロシア派を支援し、侵略の下地を作り出した。西側はロシアに対する抑止力が弱まっていたこと以上に、ロシアの侵略意図に気付くことができなかった。
侵略以前は平和と戦争の間(グレーゾーン)にあったが、伝統的な二元論でとらえた通常の軍事力行使には及ばないものの、従来の枠組みでは考えられない過激な活動が行われた。例えば、サイバー攻撃、スパイ活動、影響力行使など多岐に渡る手段をもって長期間行われてきた。
そこにはマルクス主義の理論を背景として、戦争の原因は帝国主義的政策にあり、平和のためにはその排除が必要だという一貫した思想がある。冷戦で崩壊したソ連共産圏だが、米英など西側という帝国主義的集団を打倒するマルクス主義の概念は残った。したがってロシアが影響力を行使する対象は西側という集団全体であることに注意しなければならない。
クラウゼヴィッツは「戦争とは他の手段をもってする政治の継続」と言ったが、これをロシア風に言い換えれば「平和とは他の手段で行う戦争」となる。ロシアにとって戦時も平時も関係なく、連綿と継続するロシアによる影響力工作は、西側のウクライナ支持を弱体化することに成功したと言える。
〇アジアへの波及
ロシアのウクライナ侵攻に際し中国は中立の立場にあると主張してきたが、公然とロシア側に立ち支援をしている。北朝鮮は実際に自国の兵員を戦場に送り出し、見返りにロシアから弾道ミサイル能力を獲得しようとしている。露中朝が歩調を合わせて西側に対峙する図式の中、中国の核戦力は着実に伸び、北朝鮮もすでに保有しているとされる現状において、核兵器の軍備管理は遠い道のりと言わざるを得ない。
明確な国際法違反であるウクライナ侵攻は2022年2月24日に生起したが、その前の2月4日には中国の北京で、プーチン氏と習近平氏が「新時代の国際関係」を謳った。その時の声明で中国は、関係ないにもかかわらずNATO拡大に反対し、欧州に長期的な安全を作り出すというロシアの主張に合意した。中国は主権と不干渉を主張する反面、ロシアを非難しないというダブルスタンダードを一向に恥じない。その一方、紛争の平和的解決を求め、米国等は武器を供与して火に油を注いでいると非難する。その上ロシアの石油やガスを購入してロシアの軍事経済を支え、ウクライナ侵略戦争を継続させ経済的利益(漁夫の利)を得ているのである。
〇ドイツ国内では
ドイツ国内の状況は、当初ウクライナへの軍事支援は低調で、ロシアは戦争に勝たなければいいという程度の消極的態度であったが、最近では大きく変化し、米国に次ぐ第2の支援国になっている。重火器システムまで提供し、戦争当事者になる議論まで登場しているが、現状はまだステルス性の高い巡航ミサイル・タウルスをウクライナに提供できないように、あくまでも戦争当事者ではないという立場を変えられず、煮え切らない状況は続いている。
2025年2月の選挙で連邦議会の状況は変わった。平和色の強かったドイツ社会民主党(SPD)に代わり中道右派のドイツキリスト教民主同盟(CDU)が躍進して第1党となり、ウクライナ支援を推進する方向に舵を切った。他方、極右のドイツのための選択肢(AfD)がCDUの次に議席を獲得し第2党となった。しかしAfDはウクライナ支援に反対し、中国の情報機関と関係している可能性が疑われるなどで問題が多いことが懸念材料である。
軍事面では、連邦の軍事予算が増額され、今年のGDP比はすでに2.5%に達し、3.5%に向け努力中で、過去のドイツとは明らかに異なって見える。ロシアはNATOにとって大きな脅威になるとピストリウス国防相が言及するように、事態が最悪に至る前に抑止しなければならない事情があるからだろう。加えて、NATOの要求を満たすには多くの兵士が必要になることから、徴兵制の再開も模索しており、欧州でのドイツの存在感は益々増大する。
今後、日本を含めた西側諸国は互いに協力することで、ロシアの脅威に立ち向かうことができ、ひいては中国抑止にも繋がるのではないか。
(注)アルタイ学とは、トルコ語、モンゴル語、ツングース語など、中央ユーラシアのアルタイ山脈の東西に広がる言語(アルタイ語族)を使用する歴史、言語、民族、文学などの研究であり、言語的には韓国語や日本語も入る場合がある。
【略歴】
1958年、旧東ドイツ・ザクセン州生まれ。ベルリン自由大学で中国学を専攻、1983年から2年間上海の復旦大学に留学、1987年に修士。1987年から2年間東大社会科学研究所で研究員、1992年、ベルリン自由大学から博士号取得。上海ドイツ総領事館で通訳などを歴任。専門は中国学、アルタイ学、モンゴル学者で安全保障にも造詣が深い。2022年に常設国際アルタイ学会(Permanent International Altaistic Conference)の書記長に会員の選挙で選ばれ活躍中。 (文責国基研)