公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2014.04.24 (木) 印刷する

ヒトラーの危険を見抜いた「戦争屋」 西村眞悟(衆議院議員)

 第一次世界大戦後の欧州は、パシフィズム(平和主義)の時代だった。その時代の1934年、ドイツのパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が死去し、ヒットラーが首相と大統領職を統合してドイツの「総統」となり、翌年、再軍備を宣言する。
 この時、イギリスで「戦争屋」と呼ばれて荒野にいたチャーチルは、次のように書き、下院で次のように演説した。「労働党と自由党の平和主義者は、相変わらず平和の名においてイギリスの軍縮を進め、これに反対する者は、全て『戦争屋』と呼んで非難した。」
 「我々は(ドイツとの)『均等を獲得する手段』が欲しいのであります。世界の如何なる国も、自らを脅迫される立場におく道理はありません。」
 チャーチルは、「ヒットラーの野心に必要な抑制を加えるだけの空軍」の増強を主張し続けたが、無視された。そして五年後に、ドイツ空軍はロンドン爆撃を開始したのである。同時期、フランスでは、ドゴールが、「マジノラインは、機械化部隊によって簡単に突破される、マジノラインを突破した機械化部隊は六時間でパリに到達する」と警告し続けていたが、「危険人物」としてフランス陸軍から無視されていた。しかし、五年後、ドイツ軍機械化部隊はドゴールの警告通りにマジノラインを突破してパリに入城した。
 現在の我が国も、パシフィズムのなかにある。よって、我々は、喜んで、「戦争屋」、「危険人物」となって、祖国に対する責務を果たそうではないか。