虚偽に基づいて日本の名誉を傷つける慰安婦問題に関し、政府が、河野談話を再検証するのは当然だ。同時に、米下院の「慰安婦決議」(2007年7月30日)に至った過程についても検証せねばならない。国際情報戦における日本外交の敗北を象徴する事例だからだ。
まず、マイク・ホンダ議員(民主党)の原案になる下院決議の要点を確認しておこう。そこにある「事実認識」は以下の通りである。
「残虐性と巨大さにおいて前例を見ない、日本政府による強制的軍隊売春である『慰安婦』システムは、20世紀最大規模の人身売買として、輪姦や強制堕胎、辱め、性的暴行を含み、四肢の切断や死亡、自殺に至ったものであり……」
この著しい事実誤認に基づき、同決議は日本に次の4点を要求している。
- 日本政府は、若い女性を強制的に性奴隷とした事実(coercion of young women into sexual slavery)を、公式に認め、謝罪し、歴史的責任を負わねばならない。
- 日本の首相が、その公的な立場において謝罪するのがよい。
- 性奴隷化(sexual enslavement)がなかったといういかなる主張に対しても、明確かつ公式に反駁せねばならない。
- 国際社会の勧めに従って、現在および将来の世代に、この恐るべき犯罪(this horrible crime)について教育せねばならない。
国の名誉を重んじ、一定の常識と勇気を有する日本人なら、ここに示された事実認識を正さねばならないと思うだろう。そして実際、一部有志が、決議案の審議段階で、「事実」(The Facts)と題する全面広告を米紙ワシントン・ポストに掲載(2007年6月14日付)などの行動に出た。筆者も賛同人に名を連ねた一人である。
当然、外務省やそのOB、出先機関たる在米日本大使館なども、連動して、決議案の誤りを強く指摘する行動を起こす……どころか、現実に見られたのは、むしろ逆の動きであった。
中でも違和感を覚えたのは、外務省OBの岡本行夫氏が同年7月23日付で産経新聞の「正論」欄に寄せた一文である。事なかれ的な現実逃避を、いかに知恵ある現実主義のように見せるかに腐心した、著しく爽快感に欠ける文章であった。中心部分を引用しておく。
「慰安婦問題について米下院で審議されている対日謝罪要求決議案。4月末に安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた。しかし日本人有志が事実関係について反論する全面広告をワシントン・ポスト紙に出した途端、決議案採択の機運が燃えあがり、39対2という大差で外交委員会で可決され、下院本会議での成立も確実な状況になった。正しい意見の広告だったはずなのに何故なのか。それは、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっているからである。過去の事象をどのような主観をもって日本人が提示しようとしているかに焦点があたっているからである。日本人からの反論は当然あるが、歴史をどのような主観をもって語っていると他人にとられるか、これが問題の核心であることに留意しなければならない」
2007年7月23日付産経新聞「正論」
特に最後の数行は一体何を言いたいのか。日本を一方的に断罪した東京裁判史観の単純さに異議を唱えるような「主観」を持つと「他人にとられる」ような主体性を日本人は持ってはならず、ひたすら謝罪と反省で生きて行くべきと言うのであろうか。中国共産党政権やそれに追従する韓国・朴槿恵政権が日本人の精神的武装解除を狙って攻勢を掛けて来る中、「事実」で争わないという選択肢はもはやない。
安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた
というのも、長く国際政治の最前線にいた人とは思えない甘い認識である。
例えば当時、中国系反日団体が、トム・ラントス下院外交委員長らに、選挙での支持撤回をちらつかせるなど、決議促進に強い圧力を掛けていた。「事態は沈静化」などと楽観できる状況では全くなかった。
ワシントン・ポストの意見広告一つに流れを決定的に左右する力があったというのも(賛同人の一人としては勇気づけられる話だが)、何の根拠もなく、体のよい責任転嫁であろう。
岡本氏は、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっている
とも強調している。では、慰安婦問題が反日情報戦の争点に浮上してきた頃、外務省で対米外交の中心にあり(北米局安保課長、同北米第一課長など歴任)、その後も首相補佐官や内閣官房参与、首相外交顧問などを務めた氏は、その間、「事実関係」を説明する努力を尽くしたのか。
自分が責任者の一人であった時は何ら行動を起こさず、「20万人の朝鮮人女性を強制連行、性奴隷化」という地点まで誤解の拡大を放置し、やむなく議員・民間の有志が事実説明に乗り出すと、「すでに事実関係が争点ではなくなっている」と高みから諭すような訓戒を垂れる。
そして結論として言うところは相変わらず、流れに逆らわず、ひたすら謝罪・反省の姿勢でという、敗北主義的事なかれ主義だ。しかし、ますます多くの日本人が、慰安婦問題で事実を正せと声を上げていこう。それを所与として、外務当局は外交に当たらねばならない。「あいつらさえ黙っていれば」は全体主義国でない以上通用しない。