日本の国家の始まりは、そもそも「官僚国家」だった。廃藩置県で何もないところに6省を置いた。民業らしきものがない所で官が製鉄、電気、鉱業を興し、大きくなったところで民営化した。伊藤博文らが2~3年、欧米を見廻って近代国家とはどういうものかを勉強し、そのイミテーションをまず作った。官僚は天皇の家臣だったから、全権力を握っていた。国家を背負っていたから威厳もあり、権力も強かった。
これが戦争に敗れて、いきなり民主主義国になった。新憲法の41条には「国会は、国権の最高機関」と定めている。官僚は、全権を持っていた高貴な身分から、政治家の下に身を置くことになったが、気持ちはなかなか変えられない。
●変わらぬ「省あって国なし」
50年前は次官人事を大臣が決めることさえできなかった。この結果、「省あって国なし」といった人事が横行した。獣医師の定員について52年間にわたって政治が手を付けられなかったのも、「官」の力が「政」を上回っていた証左だ。このため、安倍晋三政権は「内閣人事局」を設けて官僚上層部、600人の人事権を握った。
官僚が外部から人事をいじられたくないのは業界との連帯を切られたくないからだ。たとえば医師会の子分に医政局を差配させるというような人事をしたい。業界にとっては便利だが、新しい医療を導入するのは困難になるだろう。
安倍首相はダボスの会議で「岩盤規制は断固ぶち壊す」と国際的に公約した。日本のように岩盤規制の強い国は珍しいのである。これは日本国が官僚制度からスタートした事情が絡んでいる。ちなみに米国では官僚が業界に天下ることは一切、許されない。
●今も続く国民無視の天下り
国鉄民営化をやった〝土光臨調〟をきっかけに、政府は特殊法人の整理に着手した。30年前に特殊法人は113存在したが、いまも機構とか財団法人などに化けたり、合併したりして同じ数だけ存続している。加計問題で登場した文部科学省の前川喜平元事務次官は禁じられた天下りを堂々とやらせた責任を取らされて辞任した。官僚にとっては天下りポストは何が何でも人事差配の上から必要なのである。
しかし、土光臨調時代に点検した特殊法人のトップの座は、ほとんどが不必要なものだった。役所にとっては局長や次官になれなかった人を処遇するためだけに必要なのだ。次官の名称はないものの、年俸2300万円は確保できる。国民から見れば税金泥棒そのものだ。天皇の官僚であった頃の威信はない。恩給もなくなり、共済年金になった。給与は人事院が裁量することになった。それでも官僚がいやしいのは、昔の威信と給与をいたずらに懐かしむからだ。