公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.09.09 (月) 印刷する

人民解放軍は既に香港に介入している 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

 米国防大学は先ごろ、2015年から始まった中国人民解放軍の改編と、それによって生じた事象を纏めた『習主席の人民解放軍再建(Chairman Xi Remakes the PLA)』を出版した。厚さ6cmもの詳細な報告だが、それによれば、2003年に政治工作条例によって規定された世論戦、心理戦、法律戦の「三戦」を司る台湾対岸の福建省福州市にある第311基地は、改編後、電子戦、サイバー戦、宇宙戦を司る戦略支援部隊(Strategic Support Force=SSF)に編入されていることが判った。
 つまり、いまではSSFが香港、台湾、そして沖縄に対する「三戦」を担っているわけで、物理的な兵力による介入はなくとも、国際的な世論戦や心理戦、法律戦は既にレベルアップされた形で遂行されている。SSFは「支援部隊」というよりも平時の最前線部隊ととらえるべきであろう。

 ●心理戦としての鎮圧訓練
 香港から10kmしか離れていない深圳に集結した人民解放軍隷下の武装警察が、デモ鎮圧訓練を敢えてネットなどで一般公開したのは、香港のデモ隊に対する心理戦に他ならない。
 最近になって香港の林鄭月娥・特別行政区長官は「逃亡犯条例」改正案の撤回に踏み切った。これは米議会が超党派で提出した香港支援法案を審議する直前であり、米中貿易戦の激化に配慮したと見せかける絶妙のタイミングの法律戦ととらえることもできる。
 国際的な世論戦に関しては、中国の官製メディアが連日、香港デモの黒幕は米国であるとする偽情報を流している。また7月に出版された中国の国防白書も、これまで最初の章は「国家安全保障情勢」であったのが、今年は「国際安全保障情勢」とした。トランプ大統領がパリ協定やイラン合意から離脱し、米国のソフトパワーが低下した機会をとらえ、「米中対決」を「米国と国際社会の対決」の構図に導く意図がここにも窺える。

 ●物言わぬ日本は誤解招く
 三戦を規定した2年後の2005年3月に「反分裂国家法」が制定したのは、台湾独立を阻止するための法律戦である。増強された人民解放軍が、海や空から台湾を周回して圧力をかけ、また台湾の対岸に1000基以上の弾道ミサイルを配備する心理戦を行っている。さらに台湾と外交関係があった国々に圧力をかけて断交させるなど、国際的な世論戦を有利に導いている。
 それでも香港情勢のお陰で台湾の蔡英文総統の支持率は50%に回復している。
 日本固有の領土である沖縄県の尖閣諸島について、中国が自国領土と規定したのは1992年の「領海及び接続水域法」によってだ。昨今の中国海警の増強ぶりは異常な度合いで、最新の米海軍大学の評論誌『Naval War College Review』によれば、中国海警は来年には2500トンから1万トン級の大型船60隻を含む1300隻強の態勢になると見積もられている。軍艦から改造された海警船の中には76ミリ砲すら装備しており、日本を戦わずして威圧する心理戦を行っている。
 西側諸国が、香港の人権や中国の武力介入に懸念を表明しているのに、日本政府は「憂慮しており、早期収拾に期待」と表明するにとどめている。そして安倍晋三総理は12月に訪中し、来年4月には習近平主席を国賓として迎えるという。これでは、日本は現状を是認しているとの誤ったメッセージを中国に送ることにならないか。