9月10日、原田義昭前環境大臣が退任直前、東電福島第1原発施設内のタンク群に大量に溜まったトリチウム処理水について、「思い切って放出して希釈するしか方法がないと思っている」と発言したことが話題になっています。この発言を失言だ、被災者を傷つける、などと批判的に報じるメディアがあります。しかし、はたしてそうでしょうか。
私は原発が立地する福島県双葉郡の住民として、こうした批判には短絡的な印象づけをしようとするメディアの意図、日本社会の無理解を感じて違和感すらおぼえます。
結論を先に言えば、私は前大臣発言が「被災者への気づかい」を欠いているとは思わないし、むしろ必要な発言だったと思っています。
●自然界にも存在するトリチウム
背景を知るためには、まず処理水の正しい実態を理解しておく必要があります。
タンクに貯蔵されている処理水は原発の内部から取り出したままの危険な水ではありません。62種類の放射性物質を取り除く「多核種除去設備」と呼ばれる浄化システムなどを通じて、すでに線量は大幅に下がっています。海に放出するなど最終処分する際には、同じ設備で再浄化するなどして安全性を重ねて確保することになっています。
現在の科学では最終的にトリチウム(三重水素)という放射性物質だけは取り除くことができませんが、希釈することで科学的安全性は十分確保できることが分かっています。つまり、施設内のタンクに貯蔵されているのは科学的に可能な限りの安全性を確保した処理水だということです。
いうまでもなく処理水の状態は常にモニタリングし、人体や環境への影響がないようにチェックし続ける必要があります。実は私もそうでしたが、「トリチウム」と聞くと、なにかとても危険な物質と思ってしまうのでしょう。ですが、それは水素の一種であり、太陽光のもとで自然界では常に大量に発生しているものです。海水浴場の海水や水道水にも含まれています。
●政治とマスコミの責任を問う
それではなんで「海に放出して希釈する」ことが議論になるのか。それこそが前環境大臣の発言や海洋放出論に反対する福島の漁業関係者の気持ちを理解する上で重要なポイントだと思います。
地元漁業関係者の多くは、タンクの処理水が危険だから海洋放出するなと言っているのではないと思います。処理水の扱い方ひとつで更なる風評被害を引き起こすことは困ると心配しているのです。
では、この懸念を解決するにはどうすればよいか。ひとつは科学的な安全性を丁寧に粘り強く説明し、日本全体で共有することです。いま述べたようなことを一人でも多くの人が知る状態をつくり、「これならもう誤解は起こらないだろう」と実感できるようにすることだと思います。
そこで役割を発揮すべきなのは政治家とマスコミです。彼らが明確な説明を行い、安全だとのメッセージを出していけば、多くの人々の認識は変わるはずです。私のような普通のおばちゃん、あるいは地元の漁師のようなおじちゃんでも理解できる話なんですから。
ところが実際は、政治家もマスコミも人々の不安をセンセーショナルに煽ってばかり。彼らはいつまで同じことを繰り返すのでしょうか。
もうひとつ、いくら対策を打ち出しても起こってしまう風評被害については、その損害について被害者が納得行くように面倒を見る仕組みをつくることだと思います。
例えば福島第1原発が報じられる時、かならず映し出される膨大な数のタンク群。それだけでも見る者によっては「福島はまだまだ危険だ」というイメージが刷り込まれます。今後タンクをなくしていくとしても、その過程で起こる風評被害は完全にゼロにすることはできないでしょう。
つまり、止まっていても、前に進んでも、どちらでも被害は出ます。ここについて何も手当がなされないというのでは、地元の漁業者らに不満は貯まるばかりです。具体的な配慮と仕組みが必要なのは言うまでもないでしょう。
●将来見据えた“決断”のとき
原発事故から8年半もたっているのに、政治家やマスコミの事なかれ主義は固定化し、ますます拡大しているように見えます。前大臣の発言はこの無策の連鎖に風穴をあけようとするものだったと思います。
たしかに「それなら大臣在任中に具体的な策を講じるべきだったではないか」という批判はあるでしょうが、他の有力政治家や大手マスコミが何もしていないことに比べればはるかにましです。彼らには「寄り添うだけでは被災地の人々は救えない」と言いたい。
風評被害について私は、国が責任を持って、漁業者を中心に経済的な補償をしなければいけないと思っています。安全性や将来を見据えた“決断”を求められるのが本当の意味での政治だと言いたい。
今年の夏、私は福島第1原発がある福島県の浜通り地域の子どもたちを連れて英国を訪れました。セラフィールドという、世界で最初期の商業用原発や1957年に火災事故があったウィンズケール原子炉などの廃炉を抱える地域です。そこを視察しながら福島の未来を子供たちと考えました。
セラフィールドには、原発に関する様々な問題とその解決のための知見が蓄積されていて、当然、汚染水に関する問題も含まれていました。そこでは科学的に判断する必要性が重視され、海に流すことも冷静に議論する土壌がありました。それは長期的に地域のためになり、多くの国民のためにもなる重要なポイントでした。福島の子どもたちはいまそういうことを学びはじめています。