公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2021.06.29 (火) 印刷する

戦後教育と国家意識の欠如 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

 昨今、日本のメディアを賑わしているのは新型コロナウイルスの感染対策と東京五輪・パラリンピックの開催であるが、コロナ危機に適切に対応できなかった最大の理由は国産ワクチンの開発が遅れたことである。オリンピックを中止すべきとする論調には国家の威信という意識が欠如している。

コロナ渦でも突きつけられた

今年の年頭に「はやぶさ2」のカプセルがオーストラリアに着陸したが、これが中国に着陸したとしたら無事に回収できていただろうか。飛行機で中国上空を通過する時には、機内でのネット通信が急にできなくなる。国の差は厳然として存在する。

最近、話題となってきた経済安全保障に関してもこれまで国家意識のないまま先端技術を他国に流出させてきた教訓ではないか。

サイバー対策にしてもインテリジェンス組織の遅れにしても、国際情勢の厳しさにも拘らず国防費がほとんど伸びない事も、全てに国家意識が欠如しているからであるように思われる。コロナ禍を通じて国家の大切さが無言のうちに再考されつつあるように思われるが、それでも十分ではない。
 

国家の重要性についても再考を

筆者は、戦後の義務教育を受けた世代だが、道徳や倫理の教科で国家の重要性について教えられた記憶がない。その結果だろうか、2014年に行われたWIN/ギャラップ・インターナショナルの調査によれば「国のために戦う意思があるか」についての回答で日本は最低の10%、韓国は42%、中国は71%であった。これでは領土防衛で戦う以前に「勝負あり」の状態である。

戦前は全ての国民が教育勅語を暗唱し「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」が定着していた。筆者は通算約10年、米国に居住していたが、フットボールでも野球でもスポーツ競技の開会式には国歌を斉唱し、主要イベントには各家に国旗が掲揚される。日本では中々見られない光景である。

イージス・アショアーが中止されたのも、確率が極めて低いミサイルのブースター殼が民家に落ちる可能性を恐れたためである。海上自衛隊の艦にシステムを搭載すれば艦の修理や訓練の為にミサイル防衛能力は三分の一に落ちてしまうのに、国防よりも民家最優先の議論に国民の目は向きがちだ。

もう一度、戦後教育を見直し、国家の大切さを教育することに着目すべきではないか。