公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

国基研ろんだん

2021.07.20 (火) 印刷する

仲裁裁判所裁定を無視し続けた5年 黒澤聖二(国基研事務局長)

 5年前の7月12日、フィリピンと中国の間で争われた南シナ海の仲裁裁判で、中国惨敗という裁定が下され、当時は事態改善の期待が高まった。しかし、現実は期待通りには進んでいないようだ。

7月11日、ブリンケン米国務長官は改めて中国への非難声明を発出した。その内容は、「南シナ海ほど法に基づく海洋秩序が脅威にさらされている場所はない」との危機感を確認し、「5年前、国連海洋法条約の下で構成された仲裁裁判では、中国の拡大した南シナ海の海洋権益は国際法上の根拠がないと、全員一致かつ恒久的に否定された」という認識を示した。きわめて妥当な内容だが、トランプ政権時と同様の表現を繰り返しただけとも受け取れる。

法の支配の重要性は誰でも頷ける正論である。しかし、それを繰り返すだけで、果たして事態は改善するのか。5年前の裁定を少し振り返り、現状を確認しておく必要があるだろう。

完全否定された中国の主張

仲裁裁判所の裁定が明らかにしたのは ①中国が独自に引いた九段線内の歴史的権利に法的根拠が無い ②南沙諸島に法的意味での島は無く、そこを基点に排他的経済水域(EEZ)は設定できない ③中国の埋め立て工事が重大な環境破壊を引き起こしている ④中国公船がフィリピン漁船の漁獲活動を不当に妨害した―などである。

就中、①の九段線問題は、採決で中国が主張する法的根拠が完全に否定された。しかし、その翌日、中国外交部新聞弁公室は長大な反論を発表し、「中国は何千年もの昔から領有していた」とする、中国お得意の主張を展開した。法的反論とは程遠いものだが、その後も、一方的に国内法上の措置を取り実力を行使してきた。

たとえば、2020年4月には南沙諸島と西沙諸島を管轄する南シナ海行政区なるものを設置し、中央政府による実効支配を強化したほか、弾道ミサイルを発射するなど軍事演習を重ね強硬姿勢を増している。

②の南沙諸島に法的島が存在しないとの裁定の後も、サンゴ礁を埋め立て、軍事施設を建設し続けた。当初、中国は南シナ海の島嶼について軍事化の意図はないと公言していたが、最近では軍事防衛強化が目的であると主張を変えた。大規模に埋め立てた南沙諸島7地形のうち、ミスチーフ礁など3礁で3000m級滑走路を整備し、哨戒機など軍用機を展開させている。EEZどころか防空識別圏を設定するとの報道も否定できない状況だ。

③の埋め立てによるサンゴ礁など海洋環境の大規模破壊の継続は深刻で取り返しがつかない。裁決でも指摘されたように、人類共通の資産である海洋環境は、国際社会が糾弾し保護すべき対象であったが、なんら有効な規制措置はできなかった。

④の漁業妨害問題についても、生起したミスチーフ礁、セカンドトーマス礁やリード堆はフィリピンのEEZ内及び大陸棚上にあり、付近海域の経済権益がフィリピンにあると採決された。これで中国公船や漁船は当該海域内での操業がフィリピンの同意なしにできないことになったはずだが、中国は依然として大規模船団を動員してフィリピンの沿岸漁業を圧迫し続けている。

東シナ海にも及ぶ南シナ海の危機

上述のとおり、5年前の仲裁裁判所の裁定は圧倒的に中国の主張を退ける内容であった。だが、「裁定は紙屑同然」と言い放つ中国の傲岸不遜な行動は、留まることを知らない。何とか中国が周辺国と協調できるように努力してきた東南アジア諸国連合(ASEAN)の枠組みはあっても、その成果は乏しい。例えば、紛争防止のための南シナ海行動規範(COC)についても作成の取り組みは遅延し、その間に中国の実効支配は進んでしまった。

米国をはじめ、最近は英国やフランスなども実施する航行の自由作戦は参加国が拡大し、一見対中包囲網が形成されているかのように見える。だが、その効果は一過性で、すでに岩礁上の不沈空母は、ほぼ完成しており、中国にとっては痛くも痒くもないだろう。

そのような中、本年2月、中国海警法が施行された。中国外務省は「国際法と国際慣例に完全に合致している」と主張するが、同法の適用海域の曖昧性については、誰もが指摘するところである。

たとえば、7月13日の閣議で令和3(2021)年版防衛白書が報告され、海警法に対する懸念が新たに記述された。「海警法には、曖昧な適用海域や武器使用権限等、国際法との整合性の観点から問題がある規定が含まれている」との白書の指摘は当然である。

海警法では中国の管轄する水域について、明らかに国際法とは異なる「その他の水域」が存在する。その中には根拠を欠く歴史認識に基づき、かつて中国が支配していたとされる水域として、九段線で囲まれる南シナ海全域も含まれている。

つまり南シナ海は、国際水域として自由な交易に開かれているという西側諸国の認識とは異なり、国内法で処理される自国の水域だというのが中国の姿勢だ。両者の考えは全く相容れない。その結果、事態は改善するどころか、悪化の一途を辿るのである。

周辺国が独力で中国を排除できればいい。しかし現実には不可能である。だからこそ、南シナ海の不法行為を監視、防止する国際的枠組みを作り、民主国家が結束する必要がある。

東シナ海の沖縄県尖閣諸島周辺海域でも状況は同様と見て差し支えない。中国は1992年、「領海及び接続水域法」で尖閣諸島を自国領と規定した。だから当然、尖閣諸島に海警法を含め全ての国内法を適用するのである。わが国は南シナ海で生じている問題に、もっと危機感を持って対応すべきだ。