アフガニスタンに残る日本人や大使館現地スタッフら約500人を救出するためカブールに向かった航空自衛隊の輸送機は、日本人女性一人と部外者のアフガン人十数人を救出しただけに終わった。これに対し、同じ23日に出発した韓国軍の輸送機は390人を乗せてソウルに帰還した。救出作戦の明暗を分けた背景に、日韓の「外交官格差」がありそうだ。
韓国は4人残り、任務達成
韓国の報道によれば、韓国大使館員はカブール陥落後、いったんカタールに避難した後、4人の大使館員が救出作戦を支援するため現地に戻った。4人は大使館の連絡網を使って現地スタッフに集合場所を伝え、バスを確保。タリバンの検問を通過して空港にたどり着いた。
大混乱の中、米国が契約する現地のバスを、了解を得て素早くチャーターし、緊急連絡網も機能した。外交官の日頃の人脈や行動力、機転が作戦成功につながった。
これに対し、日本大使館の日本人職員12人は、陥落2日後の17日、全員が英軍輸送機に便乗してドバイに脱出。国際協力機構(JICA)の日本人職員全員も国外に退避した。その後、防衛省の先遣隊が現地入りしたが、大使館員は戻らなかった。
大使館の日本人職員がいなければ、脱出者への通報や確認作業、空港への移送は困難だ。韓国のように、一部職員が残って救出作戦の指揮を執るべきだった。英独仏などは、一部の大使館員が残留して救出作戦を行い、英国は1万3000人、ドイツは4000人を退避させた。
日本は過去20年にわたり、総額70億ドル(約7700億円)の援助をアフガンに行っており、欧米諸国と違ってタリバンと戦っていない。タリバンが日本人外交官に危害を加えることはまず考えられない。踏みとどまって行方を見極めるのは外交官冥利につきるが、そうした気概はなかったのだろうか。
臨時事務所はペシャワルに
日本外務省は、大使館臨時事務所をイスタンブールのヒルトン・ホテルに設置し、邦人保護に当たると発表した。だが、遠方の観光地から救出作業ができるとは思えない。今後、空港の使用制限や陸上脱出が予想され、臨時事務所を置くなら、カブールに近く、情報も多いパキスタンの国境の町ペシャワルにすべきだろう。
日本の外交官は、有事の逃げ足が速い。20年前の米同時多発テロでニューヨークが大混乱に陥る中、「ニューヨークの総領事館は、館内に逃げ込もうとした日本人を追い払った」「ロサンゼルスの総領事館はいち早く避難し、かなり長い間、連絡がつかなかった」というエピソードがある。(古森義久著『亡国の日本大使館』、小学館)
いざという時、日本大使館はあてにならないという教訓が残った。