石破茂首相は11月29日の衆参両院本会議での所信表明演説の冒頭、「政権運営の基本方針」を示した。10月の衆院選を受けて、これからどのように政権を運営するかの考え方を示したものだが、その内容は危うさをはらんでいる。
石破首相は「民主主義のあるべき姿とは、多様な国民の声を反映した各党派が、真摯に政策を協議し、よりよい成果を得ることだと考えます」と述べた。その上で、10月27日投開票の衆院選で自民党と公明党の連立与党が過半数割れしたことを受けて「他党にも丁寧に意見を聞き、可能な限り幅広い合意形成が図られるよう、真摯に、そして謙虚に、国民の皆さまの安心と安全を守るべく、取り組んでまいります」と語った。
「丁寧な民主主義」
当たり前のことを言っているようだが、その発言の真意を29日付朝日新聞朝刊が伝えている。石破首相は側近である政務担当首相秘書官の槌道明宏、吉村麻央両氏との11月6日夜の会合で、「何をやる政権か明確にした方が良いです」「『石破らしさ』を出すべきです」とアドバイスされた。その数日後、石破首相は周辺に「乱暴な政権運営はできない。それを逆手に、丁寧な民主主義を取り戻す機会にしたい」との決意を示したという。
「丁寧」の対比として石破首相が意識しているのが、ライバル視していた安倍晋三元首相の政権運営であろう。石破首相は安倍政権当時、党内非主流派だった。安倍政権は「官邸一強」と言われるように、大半の野党から反対されても限定的ながら集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法制などを成立させた。
朝日新聞の記事によると、「強すぎる官邸」が石破首相には「日本の民主主義をゆがめてきたという問題意識があった」そうだ。このため、所信表明の最初に、安倍政権との違いを強調するためにも「民主主義のあるべき姿」について説明し、「他党にも丁寧に意見を聞き」「真摯に」「謙虚に」を盛り込んだとみられる。
民法改正に動く立民
少数与党となったことであるし、野党の声に耳を傾けるのは当然のことだ。だが、野党に譲歩を重ねてしまっては本末転倒でしかない。
特に懸念されるのが、立憲民主党の野田佳彦代表が早期成立を目指す選択的夫婦別姓を導入するための民法改正案への対応だ。野田氏は民法改正案を野党で連携して国会に提出し、成立を図る方針を示している。
石破首相が9月の自民党総裁選で「姓を選べず、つらい思いをし、不利益を受けることは解消しないといけない」と述べるなど導入に前向きの姿勢を示していたことを意識したものだろう。
首相に就任後は自民党内の慎重論に配慮し「政府としては、国民各層の意見や国会における議論の動向などを踏まえ、更なる検討をする必要がある」と述べるにとどまっているが、「丁寧」に意見を聞いた結果、導入に踏み切ることのないようにしてほしい。
「前途洋々」でない政権
石破首相は演説の冒頭と最後で、石橋湛山元首相に言及した。石破首相は昨年6月、湛山没後50年に発足した超党派議連「石橋湛山研究会」に参加した。同議連には岩屋毅外相、村上誠一郎総務相、中谷元・防衛相ら石破内閣の閣僚も名前を連ねている。
石橋湛山は戦前の日本の拡張主義を批判し「小日本主義」を唱えた。石破首相はこれに共感し、8月に出版した自著『保守政治家』でも「一方が得して一方が損する外交は長続きしない」と記した。
もっとも、石橋湛山は石破首相と大きな違いがある。それは引き際の潔さだ。石橋湛山は母校の早稲田大学で開かれた首相就任祝賀会に参加したが、場所が野外の庭園だったこともあり、2日後に風邪をこじらせた。1か月ほど療養した後、「新内閣の首相として最も重要なる予算審議に一日も出席できないことが明かになりました以上は、首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います」(石橋書簡)として、退陣を表明した。在任期間はわずか65日だったが、この態度は潔いとして称賛された。
対照的に石破首相は衆院選で与党過半数割れという惨敗を喫したものの、責任を取って退陣することはなかった。
日本の敗戦直後の昭和20(1945)年8月25日、東洋経済新報社社長兼『東洋経済新報』主幹(編集長)だった石橋湛山は「更生日本の門出―前途は実に洋々たり」と題する社説を掲げた。政権の延命のためには野党の要求を丸のみしかねない石破首相のままでは、日本の前途は明るいとはいえない。(了)